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「Y.M.C.A.」「In The Navy」「Go West」等の大ヒットで知られるヴィレッジ・ピープルのヴィクター・ウィリスが死去

ヴィレッジ・ピープル『マッチョマン』(Casablanca Records.:1978)
商品情報 Amazon Music(FEB 12 1978)Amazon(2018/5/16)¥909
6月30日、「Y.M.C.A.」「In The Navy」「Go West」等の大ヒットで知られるヴィレッジ・ピープルのフロントマン、ヴィクター・ウィリスが亡くなりました(『マッチョ・マン』ジャケット写真、最前列)。享年74。死因は明らかにされていませんが、彼の妻でマネジャーだったカレン・ハフ=ウィリスがSNSで明かしたところによれば、「短い間に猛威を振るう病」に罹患したとのことです。ヴィレッジ・ピープルはメンバーそれぞれに様々な扮装をしていることで知られていますが、ウィリスの衣装は警官で、トレードマークはバイク用のヘルメットでした。

グループのリード・シンガーであり、大ヒット曲「Y.M.C.A.」「Macho Man」「In The Navy」「Go West」などの共作者でもあるウィリスは、ディスコを70年代後半の陽気でゲイ・フレンドリーなサウンドトラックとして確立するのに大いに貢献したひとりです。彼はほぼすべての曲で連帯を説き、その活気に満ちた歌声は、寛容さと仲間意識の新時代のアンバサダーとしてはうってつけであり、彼の歌を聴く全ての人をパーティーへと誘いました。加えて、多民族グループであるヴィレッジ・ピープルの、いかにもゲイ的ステレオタイプ(カウボーイ、船乗り、建設作業員、ネイティヴ・アメリカン、そして……バイカー?)を誇張した派手でけばけばしい衣装は、ディスコがいかに包括的な音楽になり得るか、その可能性を投影するものでした。

「俺たちひとりひとりが、それぞれ長年にわたって定着してきたアメリカ人のイメージを表現しているんだけど」と、ウィリスは1979年に『ローリング・ストーン』誌に語っていました。「感謝祭のパレードで自分たちの姿を見た時、どれだけ馴染んでいるかを実感したよ」

「彼は素晴らしく陽気な人物で、私が彼のグループの曲 “YMCA” を集会で使ったことをとても喜んでくれた」と、トランプ大統領は自身のソーシャル・ネットワーク「Truth Social 」に投稿しました。「オリジナルのリリースから30年経った今、この曲は再びモンスター級の大ヒットとなった」
1951年7月1日、本名ヴィクター・エドワード・ウィリスとしてテキサスで生まれた彼は、バプテスト派の牧師である父親が説教をしていたサンフランシスコの教会でゴスペルを歌って育ち、やがて歌手としての活動と並行して、『Hair』『River Niger』『The WIZ(オズの魔法使い)』といったミュージカル作品でブロードウェイの仕事もこなすようになります。一方1977年にニューヨークでヴィレッジ・ピープルが結成された際、舞台裏で偉大な魔法使いのオズのように暗躍したプロデューサーのジャック・モラリでした。彼はビジネス・パートナーのアンリ・ベロロとピーター・ホワイトヘッド、作詞家のポール・ハットと共に、ビートの効いた最初のヒット曲「San Francisco (You’ve Got Me)」と「In Hollywood(Everybody Is a Star)」を共作し、楽曲にR&Bのソウルフルさを加えようとウィリスをグループにスカウトしたのです。

ヴィレッジ・ピープルというグループ名を冠したファースト・アルバムのジャケットには、様々な衣装を着たモデルたちが写っていました。このアルバムがヒットした後になって初めて、モラリは『ヴィレッジ・ヴォイス』紙に、ウィリスのサポートとして「口ひげを生やした、ルックスに非常に自信のあるゲイの歌手とダンサー」を募集する広告を出しました。

今や注目の的となったウィリスは、間もなくモラリと共に曲作りを始め、その最初の曲「Macho Man」はビルボードのダンス・チャートで最高位第4位にランク・インしました。歌詞はあからさまな同性愛的な快楽を表現していた(ちなみに3枚目のアルバムのタイトルは『Cruisin’』[訳注:「ナンパ」を意味するスラング])ものの、いわゆるノヴェルティ(イロモノ)的シングルとしての純粋な楽しさは、ストレートのディスコ客にも受け入れられたのです。

「ストレートの観客は、彼らがゲイのグループだとは知らないと思う」と、モラリは1978年に『ローリング・ストーン』誌に語っていました。「ヴィクター・ウィリスはゲイではないけど、彼らは全員問題なく一緒に仕事をすることができる。それがアメリカが目指していることなんだ。……ヴィレッジ・ピープルはドラアグ・クイーンには見えないだろ、見た目はれっきとした男性だ。そしてアメリカのストレートの男たちは、マッチョなルックスを求めているんだよ」

ヴィレッジ・ピープルはその全盛期に6枚のゴールド・ディスクと4枚のプラチナ・ディスクを獲得し、中でも不朽の名曲「Y.M.C.A.」は独特のインタラクティヴなダンスも相まって、ダンス・チャートとポップ・チャートの両方で最高位第2位にランク・インしました。彼らはたちまちのうちにディスコ界の寵児となり、TVのトーク番組にも顔を出し、コンサートを開けばソールドアウトと、あらゆるメディアで活躍した。当時の報道によれば、彼らは全世界で2000万枚以上のシングルと1800万枚以上のアルバムを売り上げたと言います。「“Y.M.C.A.” は人道的な歌なんだ」とウィリスは1979年に『ローリング・ストーン』誌に語っていました。「ただ他人を助けるってことを歌っているだけなんだよ」(同じインタビューでウィリスは「俺たちはゲイのグループじゃない」とも語っています。彼は数年後にも、この曲のインスピレーションは安っぽい刺激ではなく、“安価な宿” から得たものだという主張を繰り返しました)。

後年、ウィリスと妻は「Y.M.C.A.」を「ゲイのアンセム」と呼ぶ人々を訴えると公言するようになりました。「ゲイの人たちが自分たちのゲイのアンセムだと主張したいなら、それは構わないけど、俺が言いたいのは、この曲について記事を書こうとして、歌詞の不道徳さを理由に『ゲイのアンセム』と表現するのは間違ってるってことだ。だって俺の歌詞にはゲイであることやY.M.C.A.での同性愛的行為については何も書かれてはいないからね」

それでも「Y.M.C.A.」は全英で歴代ベストセラー・シングルのトップ25に入り、ヴィレッジ・ピープルの人気はアメリカでは斜陽に向かう一方で、海外では高まり続け、いつしか結婚式やスポーツ・イヴェントの定番曲となっていきました。現在はアーカイヴ化されている彼の古いウェブサイトによれば、ウィリスは映画『Can't Stop the Music』に出演する直前の1979年、「ライフスタイルの違いとグループに対する認識に対する不満」を理由にグループを脱退します。彼の後はヴァレリー・シンプソンの兄であるレイ・シンプソンが引き継ぎましたが、このラインナップは往年の成功を再現することは叶わず、「Ready for the 80's」とマイナーなディスコ・ヒット「Can't Stop the Music」を除けば、ウィリスの脱退後、ヴィレッジ・ピープルのヒットは途絶えてしまいました。
Village People - San Francisco OFFICIAL Music Video 1977
Village People - Go West OFFICIAL Music Video 1979
Macho Man - Village People | The Midnight Special
ウィリスは1982年に一時的にグループに復帰したものの、1984年に再び脱退します。1978年から1982年まで、彼は女優のフィリカ・エアーズ=アレン(後のフィリシア・ラシャド)と結婚していました。残念ながらソロ活動の方は鳴かず飛ばずで(唯一のリリースは、オリヴィア・ニュートン=ジョンの大ヒット曲「Physical」の1983年のロボット的なソウル・カヴァー・ヴァージョンのみ)、薬物中毒との闘いの末、2007年に裁判所命令による薬物治療を終えました。彼はグループを離れていた間、「Y.M.C.A.」をはじめとするグループのヒット曲を歌うことを一切拒否していました。彼が1979年に制作したソロ・アルバム『Solo Man』がようやく世に出たのは2015年のことでした。

この困難な時期を乗り切る手段として、彼は自身の楽曲の権利をモラリの会社に売却していました。その後、彼の妻でありマネージャーでもあったカレン(弁護士の資格も持っている)は、著作権者が一定期間内であれば著作権を取り戻すことができるという法律に基づき、楽曲の権利を取り戻すために訴訟を起こしました。

その一方で、ノスタルジー・アクトとしてのグループの人気は爆発的に高まって行きます。U2は1997年のシングル「Discotheque」のMVで彼らをパロディ化し、映画『ウェインズ・ワールド2』『シティ・スリッカーズ』『Married... with Children』『3rd Rock From the Sun』などでも同様のオマージュが数多く見られました。2020年には、米国議会図書館が「Y.M.C.A.」を国立録音登録簿に保存すると発表しています。

ウィリスはその後、長年の法廷闘争を乗り越え、2017年から2023年までグループのフロントマンに返り咲きました。「あれは俺のグループだったし、俺は自分の音楽をプレイできるようになりたかったんだ」と彼は後に振り返っています。70年代後半にスタジオ54[訳注:かつてニューヨークのマンハッタンにあったブロードウェイ劇場兼ナイトクラブ]の常連だったドナルド・トランプは、このグループの音楽的な向こう見ずさを評価し──LGBTQ+の権利を後退させることに躍起になっていた彼が、曲の露骨な同性愛的な内容に全く気づいていなかったのかどうかは謎ですが──大統領選キャンペーンで使用することを決めました。ウィリスは当初、トランプがジョージ・フロイドとブリオナ・テイラーの死について言及した方法に腹を立て、トランプへの公開書簡で「Y.M.C.A.」と「Macho Man」の使用を止めるよう求めていました。またカレンも2023年、トランプの自宅であるマール・ア・ラゴでヴィレッジ・ピープルの衣装を着たパフォーマーが同曲を歌ったことが報じられた際、トランプに使用停止命令を送りました。

けれど2024年、ウィリスは考えを変えました。「トランプが本当にこの曲を気に入っていて、彼がこの曲を使うたびにアメリカ国民に大きな喜びをもたらしていることに気づいた」と語った彼は、楽曲のライセンスを管理するBMIに対し、トランプがこの曲を使用することを禁止しないよう指示を出しました。トランプが2度目の大統領選に勝利した際にも、民主党員のウィリスは、民意として選挙に勝った人物であれば誰であれ支持すべきであるという考えの下、トランプ支持を表明し、彼の大統領就任式で自らヴィレッジ・ピープルを率いてパフォーマンスを行ないました。

「就任式で演奏したことに後悔は一切ないよ」とウィリスは語りました。「あれはヴィレッジ・ピープルにとってこれまでで最大の栄誉だったし、誰が大統領であろうとホワイトハウスに招待されるのは光栄なことだからね」

「Y.M.C.A.」が時代のレガシーとして米国議会図書館に収められることになったことについて、ウィリスはこう語っていました。「あの曲を書いた当時は、それが世界で最も象徴的な曲の一つとなり、世界中の結婚式、誕生日パーティー、(ユダヤ教の)成人式、スポーツ・イヴェントの定番になるなんて、想像もしていなかったさ」

安らかなる眠りをお祈りいたします。
The Village People YMCA Live in Concert 2024 with audience version 2
YMCA in a crowd
YMCA performed by New York Yankees Ground Crew, Yankee Stadium, Bronx, NY
商品詳細
ヴィレッジ・ピープル
『Y.M.C.A.~ベスト・オブ・ヴィレッジ・ピープル』


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ヴィレッジ・ピープル
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