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ソウル・シンガー/ギタリストのクラレンス・カーター死去
クラレンス・カーター『This Is Clarence Carter』
1936年、アラバマ州モンゴメリーで生まれたカーターは、生まれつき盲目でした。彼の音楽キャリアはクラレンス&カルヴィンというデュオ(後のC & C Boys)から始まり、1960年代初頭に数曲のシングルを録音しました。同じく盲目だったパートナーのカルヴィン・スコットが交通事故で負傷したのを機に、カーターはソロ活動を始め、1967年に自らのペンによる「Tell Daddy」で初のR&Bチャート・ヒットを獲得します。これにインスピレーションを得たエッタ・ジェームスが、この曲をリポストする形でカヴァーした「Tell Mama」も、全米トップ30入りを果たしました。
1968年には、彼の曲の中で恐らく最も息長く愛され続けている曲、「Slip Away」がリリースされました。現在この曲のスポティファイでの再生回数は4500万回を記録しています。カーターが女性に対し、パートナーを裏切って自分になびくよう懇願するという内容の、憂いを帯びた、けれど小気味いいリズムを刻むバラード曲は、R&Bチャートで2位を獲得し、全米ポップ・チャートにも初めてクロスオーヴァーを果たして最高位第6位に食い込みました。以来この曲は、『ザ・コミットメンツ』、『あの頃ペニー・レインと』、『リコリス・ピザ』など多くの映画サウンドトラックで使用されています。
この年には更に別のヒット曲「Too Weak to Fight」や、淫らな「Back Door Santa」も生まれており、後者は一風変わったクリスマスの定番曲として今も愛され続け、Run-DMCの「Christmas in Hollis」にもサンプリング使用されました。
そして1968年と言えばもうひとつ、彼が未来のソウル・ミュージック界のレジェンド、キャンディ・ステイトンと出逢った年でもあります。彼女はまず彼のバッキング・シンガーとなり、やがて1970年に彼と結婚しました。ステイトンは後に、彼と結婚を決めた理由を「何故って彼は目が不自由だったから…前の夫は私が他の男に目移りする度に責め立てるような人で、もうすっかり嫌気が差してたの。囚われの身も同然だったのよ。だから今度は何も見えない人がいいなと思って。おかげで私は彼と、たいそう楽しい時を過ごしたわ」
カーターは彼女をマッスルショールズのプロデューサー、リック・ホールに紹介し、これが彼女のソロ・アーティストとしてのキャリアのスタートとなりました。カーターはステイトンのために幾つもの曲も共作し──その中にはグラミー賞にノミネートされた、機知に富んだ「I'd Rather Be an Old Man's Sweetheart (Than a Young Man's Fool)」も含まれていました──いずれもこの時代を代表するソウル・ミュージックの傑作とされています。2人の間には息子のクラレンス・カーターJr.も生まれました。
ところが彼は不貞を働き、ステイトンは彼の裏切りを題材にした苦々しい歌を次々に書きました。「クラレンスが女の尻を追いかけてばかりで、私に酷い扱いをしたことに怒りを感じたの」と彼女は後に語っています。「私たちが夫婦で連れ立って通りを歩いていても、彼女たちは平気で近づいてきて、彼をハグするんだもの。あの曲たちは全部彼に仕返しするために歌ったのよ」
ステイトンいわく、カーターは「IRS(アメリカ合衆国歳入庁=国税庁)に行って、私が税金を払ってないって密告したのよ。私はクスリの過剰摂取をやらかしたけど、子供たちの顔がちらついてしまってね。全部吐き出して、それ以来もう二度とそんなバカなことはしなかったわ」。彼らは1973年に離婚しました。
私生活では様々あったものの、その間にもカーターのR&Bヒット曲は次々と生まれ、ソウル・グループ、チェアマン・オブ・ザ・ボードの楽曲をカバーした「Patches」でひとつの頂点を迎えました。カーターは、苦難を乗り越えて前進するよう息子を激励する父親の社会派リアリズムを鮮やかに歌い上げ、その情熱的なパフォーマンスでこの曲は全米チャート最高位第4位、全英チャート最高位第2位を獲得。カーターにとってこれは生涯唯一の全英トップ40ヒットとなりました。彼のヴァージョンは、作詞/作曲者のロナルド・ダンバーとジェネラル・ジョンソンに1971年のグラミー賞において最優秀R&B楽曲賞をもたらし、カーター自身も最優秀R&Bボーカル・パフォーマンス部門(男性)でノミネートされました。
1970年代半ばまではアメリカのソウル・シーンで確固たる地位を築いていたカーターですが、ディスコの台頭によってソウル・ミュージックの人気が衰え出すと、彼の成功にも陰が差し始めました。1988年には露骨に性的な内容のシングル「Strokin'」で全英チャートの下位を賑わし、一時的に盛り返すと、その後も1990年代の間はコンスタントにアルバムをリリースし続けました。
映画監督のウィリアム・フリードキンは「Strokin'」のファンで、自身の映画『キラー・ジョー』でこの曲を使用し、カーターを「南部音楽のモーツァルト」と評していました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
クラレンス・カーター
『ザ・ダイナミック・クラレンス・カーター』
Amazon(2012/10/3)¥1,180・CD
クラレンス・カーター
『Patches』
Amazon Music(JAN 01 1970)
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