ストローブスのフロントマン、デイヴ・カズンズが85歳で死去
ストローブス『Just A Collection Of Antiques And Curios(Live At The Queen Elizabeth Hall)』(A&M:1970)。右はインナースリーヴのグループショットで、前列左がデイヴ・カズンズ(vo/g)で、右がリック・ウェイクマン(key)。後列は左からリチャード・ハドソン(vo/per)、ジョン・フォード(Vo/b)、トニー・フーパー(vo/g)。
商品情報 Amazon Music(JAN 01 1970)
英フォーク・プログレッシヴ・バンド、ストローブス(Strawbs)の創設メンバーで、長年フロントマンを務めたシンガー/ソングライターのデイヴ・カズンズ(Dave Cousins)が7月13日、長い闘病生活の末、カンタベリーのホスピスにて85歳で死去しました。
彼のフェイスブック・ページで訃報が伝えられています。
彼のフェイスブック・ページで訃報が伝えられています。

1940年に英ミドルセックスのハウンズローで生まれたカズンズは、1964年にトニー・フーパーらとトリオ編成のブルーグラス・バンド、ストロベリー・ヒル・ボーイズ(Strawberry Hill Boys)を結成し、1967年にバンド名をストローブスに改名しました。
バンドは同年、フォーク・シンガー/ソングライターのサンディ・デニー(後にフェアポート・コンヴェンション加入)が参加したデビュー・アルバム『All Our Own Work』を録音しましたが、レーベルとの契約が流れたためお蔵入りとなり、同アルバムは1973年になってリリースされました。
その後、英国出身のグループとして、ハーブ・アルパートのA&Mレコードと初契約したバンドは、1968年にファースト・シングル「Oh How She Changed」をリリースし、1969年にトニー・ヴィスコンティがプロデュースしたファースト・アルバム『Strawbs』を発表しました。
翌1970年には、リック・ウェイクマンがピアノでゲスト参加したセカンド・アルバム『Dragonfly』をリリースし、続いてウェイクマンが正式加入したバンドは、プログレッシヴ・ロックを展開するようになり、ウェイクマンは同年のライヴ・アルバム『Just a Collection of Antiques and Curios』と1971年のサード・アルバム『From the Witchwood』にも参加しましたが、その後イエスに加入するため脱退しました。
ストローブスは、1973年のアルバム『Bursting at the Seams』に収録された大ヒット曲「Part Of The Union」で最もよく知られていますが、バンドの典型的なサウンドを象徴していたのは、1972年のアルバム『Grave New World』と1974年の『Hero and Heroine』でした。
またカズンズは、意外にもデフ・レパード1980年のデビュー・アルバム『On Through The Night』にゲスト参加しており、収録曲「When the Walls Came Tumbling Down」の冒頭にカズンズの朗読がフィーチャーされています。
なお、ストローブスは2007年以降、アコースティックとエレクトリック・バンドの2種のフォーマットでレコーディングとツアーを行ない、ウェイクマンの息子でキーボーディストのオリヴァーとアダムが参加したツアーもありましたが、カズンズは近年、ガンの大手術、ステント交換手術、膝関節全置換手術など多くの健康問題に直面し、2021年にツアーから引退していました。
バンドは2023年7月に最新アルバム『The Magic Of It All』をリリースしましたが、これがカズンズ最後の作品になり、同年8月に出演したフェアポート・コンヴェンション主催の音楽フェス「Fairport’s Cropredy Convention」が、バンド最後の公演となりました。
カズンズの訃報を受け、リック・ウェイクマンが自身のFBに長文の追悼メッセージを投稿し、次のように綴っています。
「デイヴと初めて出会ったのは1969年、トニー・ヴィスコンティを通じ、ストローブスのアルバム『Dragonfly』のレコーディングにセッション・ピアニストとして参加した時でした。私はデイヴとトニーと仕事をするのが大好きで、彼らの奇妙で素晴らしいギター・チューニングに一番合う方法を探っていくのも楽しかったです。その後まもなく1970年4月にデイヴからバンドに誘われ、その直後にメンバーが変わり、リチャード・ハドソンとジョン・フォードが加わったことで、バンドは “エレクトリック・フォーク” あるいは “フォーク・ロック” の創始者の一つとなりました。デイヴはバンドの音楽を新たなレベルに引き上げようと決意し、彼の作詞作曲は、一緒に仕事をしていて楽しかったです。
またデイヴは、ダンエレクトロのシタールギターを使い、ファースト・アルバム『Strawbs』に収録された “Where Is This Dream Of Your Youth” の再録用のリフを作り、素晴らしいメロディを書く才能に恵まれていました。
デイヴとは脱退後も連絡を取り合い、ストローブスで演奏した私の息子オリヴァーとアダムを含めた多くのミュージシャンたちと交流していましたが、私が最後にデイヴを見たのは、フォークストンでのクリスマス公演に来てくれた時でした。そして、彼が最後にステージに立ったのは、その年の初めにトレーディング・バウンダリーズで私と共演した時だったと思います。その時はリハーサルなしで “A Glimpse of Heaven” を一緒に演奏しましたが、私にとって非常に感動的で胸が締め付けられる瞬間でした。あの時の演奏が録音・録画されていますので、皆さんに聴いていただき、私の人生に影響を与えた彼のことを思い出していただければ嬉しいです。デイヴは今まさに、 “Glimpse of Heaven” (天国を垣間見る)を体験したのです」
バンドは同年、フォーク・シンガー/ソングライターのサンディ・デニー(後にフェアポート・コンヴェンション加入)が参加したデビュー・アルバム『All Our Own Work』を録音しましたが、レーベルとの契約が流れたためお蔵入りとなり、同アルバムは1973年になってリリースされました。
その後、英国出身のグループとして、ハーブ・アルパートのA&Mレコードと初契約したバンドは、1968年にファースト・シングル「Oh How She Changed」をリリースし、1969年にトニー・ヴィスコンティがプロデュースしたファースト・アルバム『Strawbs』を発表しました。
翌1970年には、リック・ウェイクマンがピアノでゲスト参加したセカンド・アルバム『Dragonfly』をリリースし、続いてウェイクマンが正式加入したバンドは、プログレッシヴ・ロックを展開するようになり、ウェイクマンは同年のライヴ・アルバム『Just a Collection of Antiques and Curios』と1971年のサード・アルバム『From the Witchwood』にも参加しましたが、その後イエスに加入するため脱退しました。
ストローブスは、1973年のアルバム『Bursting at the Seams』に収録された大ヒット曲「Part Of The Union」で最もよく知られていますが、バンドの典型的なサウンドを象徴していたのは、1972年のアルバム『Grave New World』と1974年の『Hero and Heroine』でした。
またカズンズは、意外にもデフ・レパード1980年のデビュー・アルバム『On Through The Night』にゲスト参加しており、収録曲「When the Walls Came Tumbling Down」の冒頭にカズンズの朗読がフィーチャーされています。
なお、ストローブスは2007年以降、アコースティックとエレクトリック・バンドの2種のフォーマットでレコーディングとツアーを行ない、ウェイクマンの息子でキーボーディストのオリヴァーとアダムが参加したツアーもありましたが、カズンズは近年、ガンの大手術、ステント交換手術、膝関節全置換手術など多くの健康問題に直面し、2021年にツアーから引退していました。
バンドは2023年7月に最新アルバム『The Magic Of It All』をリリースしましたが、これがカズンズ最後の作品になり、同年8月に出演したフェアポート・コンヴェンション主催の音楽フェス「Fairport’s Cropredy Convention」が、バンド最後の公演となりました。
カズンズの訃報を受け、リック・ウェイクマンが自身のFBに長文の追悼メッセージを投稿し、次のように綴っています。
「デイヴと初めて出会ったのは1969年、トニー・ヴィスコンティを通じ、ストローブスのアルバム『Dragonfly』のレコーディングにセッション・ピアニストとして参加した時でした。私はデイヴとトニーと仕事をするのが大好きで、彼らの奇妙で素晴らしいギター・チューニングに一番合う方法を探っていくのも楽しかったです。その後まもなく1970年4月にデイヴからバンドに誘われ、その直後にメンバーが変わり、リチャード・ハドソンとジョン・フォードが加わったことで、バンドは “エレクトリック・フォーク” あるいは “フォーク・ロック” の創始者の一つとなりました。デイヴはバンドの音楽を新たなレベルに引き上げようと決意し、彼の作詞作曲は、一緒に仕事をしていて楽しかったです。
またデイヴは、ダンエレクトロのシタールギターを使い、ファースト・アルバム『Strawbs』に収録された “Where Is This Dream Of Your Youth” の再録用のリフを作り、素晴らしいメロディを書く才能に恵まれていました。
デイヴとは脱退後も連絡を取り合い、ストローブスで演奏した私の息子オリヴァーとアダムを含めた多くのミュージシャンたちと交流していましたが、私が最後にデイヴを見たのは、フォークストンでのクリスマス公演に来てくれた時でした。そして、彼が最後にステージに立ったのは、その年の初めにトレーディング・バウンダリーズで私と共演した時だったと思います。その時はリハーサルなしで “A Glimpse of Heaven” を一緒に演奏しましたが、私にとって非常に感動的で胸が締め付けられる瞬間でした。あの時の演奏が録音・録画されていますので、皆さんに聴いていただき、私の人生に影響を与えた彼のことを思い出していただければ嬉しいです。デイヴは今まさに、 “Glimpse of Heaven” (天国を垣間見る)を体験したのです」
安らかなる眠りをお祈りいたします。


商品詳細
ストローブス
『ストローブス・ファースト+3』
・Amazon Music(MAY 23 1969)
・Amazon(2018/8/22)¥2,713(紙ジャケット仕様CD)
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・Amazon Music(MAY 23 1969)
・Amazon(2018/8/22)¥2,713(紙ジャケット仕様CD)

商品詳細
ストローブス
『ドラゴンフライ+4』
Amazon(2018/8/22)¥2,714(紙ジャケット仕様CD)
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商品詳細
ストローブス
『ライヴ・イン・アメリカ 1977』
Amazon(2017/3/31)¥¥2,860[CD]
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Amazon(2017/3/31)¥¥2,860[CD]
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