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全米No.1ヒット「Johnny Angel」や、TVドラマ、エルヴィス映画などでヒロインを務めたことで知られる歌手/女優のシェリー・フェブレー死去
8月22日、1950年代のアメリカの人気TVドラマ『The Donna Reed Show』で気立てのいい健全な娘を演じ、その後エルヴィス・プレスリーと3本の映画で共演、『Coach』ではクレイグ・T・ネルソン演じる主人公の自立した妻役を務めたシェリー・フェブレー(英語の発音ではファバレスに近い)が亡くなりました。享年82。
家族によると、フェブレーは短い闘病生活の末、ロサンジェルスで亡くなったそうです。彼女の遺族は、1984年に結婚した夫で『M*A*S*H』の俳優マイク・ファレルと義理の子供たちです。
「家族や友人にとって、シェリーは愛と力、笑い、そして安らぎの源でした」と、遺族は声明の中で述べました。「彼女は献身的な妻であり、愛される継母、娘、姉妹、姪、叔母、家族の一員、そして誠実な友人でした。その温かさ、寛大さ、ユーモア、そして気品は、彼女を知るすべての人々の人生を絶えず感化していました。彼女は人々に温かく迎え入れられたと感じさせ、自分が大切にされ、価値を認められていると感じさせることのできる、並外れた才能の持ち主でした」
家族によると、フェブレーは短い闘病生活の末、ロサンジェルスで亡くなったそうです。彼女の遺族は、1984年に結婚した夫で『M*A*S*H』の俳優マイク・ファレルと義理の子供たちです。
「家族や友人にとって、シェリーは愛と力、笑い、そして安らぎの源でした」と、遺族は声明の中で述べました。「彼女は献身的な妻であり、愛される継母、娘、姉妹、姪、叔母、家族の一員、そして誠実な友人でした。その温かさ、寛大さ、ユーモア、そして気品は、彼女を知るすべての人々の人生を絶えず感化していました。彼女は人々に温かく迎え入れられたと感じさせ、自分が大切にされ、価値を認められていると感じさせることのできる、並外れた才能の持ち主でした」
『The Donna Reed Show』以後も数ある人気ドラマ・シリーズへの出演による全国的な人気を背景に、フェブレーは──ダーリーン・ラヴ&ザ・ブロッサムズと、ギターを担当したグレン・キャンベルのサポートを受け──「Johnny Angel」のカヴァーを歌い、1962年4月にビルボード・ホット100で1位を獲得しました。彼女はその数ヶ月前に、『The Donna Reed Show』の1エピソードでこの曲を初披露していました。
「私は文字通り、まるで歌えないのよ。だからあのレコードではオーヴァーダビングをどっさり使ってるの」と、彼女は1983年のインタビューで明かしています。「バックに付いてる女の子たちに『お願い、もうちょっと大きな声で歌ってくれない?』って頼むことだってあったわ。珍しいケースだったでしょうね。でも、当時あの番組は大ヒットしていたから、あの曲自体に固定ファンが付いてたのよ」
彼女いわく、“ライヴ”・パフォーマンスの最中──「誰もがレコードに合わせて口パクで歌っていた時代」の話ですが──「最悪の経験は、どっかの地方のTV番組の生放送に出演した時のこと。ご想像通り、レコードが針飛びしたのよ。あの時は卒倒寸前だったわ」
彼女いわく、“ライヴ”・パフォーマンスの最中──「誰もがレコードに合わせて口パクで歌っていた時代」の話ですが──「最悪の経験は、どっかの地方のTV番組の生放送に出演した時のこと。ご想像通り、レコードが針飛びしたのよ。あの時は卒倒寸前だったわ」
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ミシェル・アン・マリー・フェブレーは1944年1月19日、サンタモニカ生まれ。母親のエルサによって彼女は3歳の時にモデルの世界に足を踏み入れ、そこからTV出演の仕事が舞い込むようになったのです。
フランク・シナトラはNBCの特別番組で、9歳になった彼女に向かって「Young At Heart」を歌いました。また、彼女は1955年にはシナトラ、ポール・ニューマン、エヴァ・マリー・セイントが主演したNBCの『Our Town』のドラマ化作品に出演し、1956年には『Never Say Goodbye』でロック・ハドソンとも共演を果たしました。1958年には、彼女にとって生涯の友人となるアネット・フニチェロが主演したABCのTVシリーズ『Annette』に出演します。
その後も数年間TVドラマの仕事を続けた後、フェブレーは銀幕での仕事に専念し、ファビアンと共演した『Ride the Wild Surf』(1964年)や、ハーマンズ・ハーミッツのピーター・ヌーンと共演した『Hold On!』(1966年)といった、太陽の下で楽しく過ごすことがテーマのような映画への出演が続きました。
そして、彼女は『Girl Happy』(1965年)、『Spinout』(1966年)、『Clambake』(1967年)でプレスリーの相手役を務めます。
「『Girl Happy』の撮影初日、私はセットにいたの。何かが起こっているのは分かったんだけど、それが何かは分からなかったわ」と彼女は語りました。「ふと視線をやると、そこにはエルヴィスがいたの。彼は歩いてセットに入って来たのよ。別に何をしてたわけでもなく、ただ歩いて入って来ただけ。でもあのひとが放っていたオーラと言ったら……言葉も出なかったわ。誰も何もできなかった。文字通り、みんながその場で動きを止めてしまったの。私は今でも覚えてるわ、『ああ、なんてこと。エルヴィス・プレスリーじゃないの。彼の前で口を開いてセリフを言うなんて、とてもできっこないわ』って思ったことをね」
1960年代後半は反戦運動や社会に対する抗議活動の気運が高まった時代で、彼女の「お利口さん」的な魅力は当時の文化的風潮には合わなくなってしまいますが、その後見事復活を果たします。70年代後半から80年代前半にかけては『One Day at a Time』で主演を務め、更にソープオペラ・パロディ『Forever Fernwood』では毒舌なエレノア・メジャー役を演じてより大胆な一面を見せ、再び一線で俳優として息の長い活動を続けました。
私生活では、1984年、彼女はマイク・ファレルと結婚します。二人の出逢いは1970年、彼女がファレルのシリーズ『The Interns』にゲスト出演した際でしたが、交際を始めたのはそれから実に12年も経ってからのことでした(それ以前、フェブレーはレコード・プロデューサーのルー・アドラーと結婚しており、ファレルもそれ以前に結婚経験がありました)。熱心な人権活動家として知られるファレルは、妻のおかげで少し気持ちが軽くなったと語っていたことがあります。1991年、彼は「以前よりずっと面白い人間になったって言われるよ。私が近寄りがたい悲観論者ではないことを周囲に理解してもらえるようになったのは、シェリーのおかげさ」と述べています。
フェブレーはそれにこう付け加えています。「マイクの人生に気楽なことは何ひとつないの。彼はとても真面目なのよ。主人は私を落ち着かせてくれるし、私は時々彼を深い淵から引き揚げてあげるの。いいバランスだと思うわ」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
フェブレーはそれにこう付け加えています。「マイクの人生に気楽なことは何ひとつないの。彼はとても真面目なのよ。主人は私を落ち着かせてくれるし、私は時々彼を深い淵から引き揚げてあげるの。いいバランスだと思うわ」
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商品詳細
シェリー・フェブレー
『The Things We Did Last Summer』
Amazon Music(SEP 01 1962)
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