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カントリー界のみならず米ポピュラー音楽界に君臨した偉大なシンガー・ソングライター/女優/作家/実業家/慈善活動家、ドリー・パートン死去
当初は直接の死因は明らかにされていませんでしたが、新たに公開された彼女の代理人の声明によれば、彼女は癌との「ごく短い闘病」の末、入院中のテネシー州ナッシュヴィルのヴァンダービルト・イングラム病院で、愛する人々に囲まれて亡くなったとのことです。
パートンの死は、現代ポピュラー音楽界において最も長く、かつ最も影響力の大きかったキャリアの一つに幕が下ろされたことを意味します。彼女はこの60年以上にわたり、レコーディング・アーティスト、ソングライター、パフォーマー、女優、実業家、そして慈善家として多方面で活躍し、カントリー・ミュージックの枠をはるかに超えた一大カタログを築き上げると同時に、自身の築いた富の大部分を、彼女が重要視する地域社会や社会活動に還元し続けてきたのです。
彼女の家族は公式声明の中で次のように述べています:
「人気歌手、ソングライター、慈善家、女優、劇作家、そして作家として知られた世界的なアイコンであり、人道主義者でもあったドリー・パートンは、本日、テネシー州ナッシュヴィルで安らかに息を引き取りました。80歳でした。
世界中にそのキラキラとした輝きを放ち、まるでラインストーンのような人生を送ったドリーは、時代を超えた音楽や数多くの楽曲だけでなく、私たち全員を家族のように感じさせてくれたそのウィット、温かさ、そして優しさを通じて、永遠に人々のインスピレーションの源であり続けるでしょう。ドリー・パートンの遺したものは、愛、思いやり、そして不屈の精神です。約70年に及ぶキャリアの中で、彼女は音楽と、世界をより良い場所にするという揺るぎない信念を携え、何世代にもわたるアーティストやファンにインスピレーションを与えてきました。彼女の歌はこれからもあらゆる年代の人々の心に響き続け、その慈善活動は永続的な影響を残し続けることでしょう。
生前のドリー本人の希望により、葬儀は近親者のみによる小規模な非公開の形で執り行なうことになっています。世界中のドリーのファンや友人の皆様には、ソーシャルメディアで@DollyPartonをタグ付けするか、公式サイトにメッセージを投稿して、ドリーへの追悼の意を表していただければ幸いです。
また遺族から、ファンの皆さまには献花に代えて『Dolly Parton’s Imagination Library』へのご寄付をお願い申し上げたいと思います」
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ドリー・レベッカ・パートンは1946年1月、グレート・スモーキー山脈に抱かれたテネシー州ピジョン・フォージで、2部屋しかない丸太小屋を家族で共有する家庭に生まれました。「私は12人兄弟の家庭に生まれ、農場で育ったの」と彼女は1978年にBBCの取材に応えてそう語っていました。「私たちは文字通りその土地から生計を立てていたの。その生活を支えていたのは、信仰から得た力と、手持ちの物で生き抜く術を知っていたということで……私はいつも素敵なものを手に入れたいと思っている野心家だけど、一方で幼少期や自分のルーツを、心の奥深くでしっかりと守り続けてきたのよ」
彼女の家族は音楽一家で──母親のアヴィーは歌手でした──ドリーは6歳の頃から教会で歌い始め、すぐにギターを弾くことを覚えました。彼女は僅か10歳の時から地元のテレビやラジオ局に出始め、13歳でかの有名な『Grand Ole Opry』[訳注:テネシー州ナッシュヴィルのラジオ局WSMで毎週土曜夜に放送されているカントリー・ミュージックの公開生番組]にも出演しています。スターになることを志し、彼女は1964年にセビア・カウンティ高校を卒業した翌日にナッシュヴィルに移り住みました。
その都会の街にやって来た最初の日に、彼女はひとりのアスファルト舗装作業員、カール・ディーンと出会い、2年後には彼と結婚することになったのです。1994年に出版された自伝『My Life and Other Unfinished Business』の中で、彼女は、人生におけるささやかな喜びを大切にする彼の姿が、自身のショービジネス界の華やかさとは対照的だったと書いています。「彼は腕利きのメカニックで、一日中トラックやトラクターの修理に没頭した後、家に帰って来て古びた作業着のポケットを縫い直すような人でした」
パートンのキャリアがぐんぐん高みへと登り詰めて行く間も、カールは一般大衆にとっては謎の存在であり続け、奥方がどれほど有名になっても、彼はスポットライトを回避する姿勢を崩しませんでした。彼女が有名人となる第一歩を踏み出したのは『The Porter Wagoner Show』で、番組のタイトルにもなっている冠スターのポーター・ワゴナーは、彼女の才能に深く感銘を受け、5年間番組出演契約(実際には7年間出演)を結びました。ワゴナーは彼女のメンター兼マネージャーとなったものの、この波乱に満ちた二人の関係は「水と油だった」と、彼女は後に『The Martha Stewart Podcast』で振り返っています。彼女にチャンスを与え、育てようという姿勢には感謝していたものの、常に彼女を自分の思う通りの方向性に持って行こうとするポーターに対して業を煮やしたパートンは、最終的に彼と袂を分かつことを決断し、その懐柔の切り札として、自身の率直な思いを曲にしました。
パートンにとって最初のチャート・ヒットとなった「Dumb Blonde」は、ビルボード・ホット・カントリー・シングルス・チャートで最高位第24位を記録しました。「このおバカなブロンドは、誰の道化にもなる気はないわ」と、彼女は自由奔放なカントリー・シャッフルのリズムに乗せて歌っています。そしてその言葉通り、彼女が前述のワゴナーとの決別を決意した時、その思いを歌に込めた1974年の「I Will Always Love You」は、彼女の前作である不朽の名曲『Jolene』と同様に、ビルボード紙のホット・カントリー・ソングス・チャートで1位を獲得したのです。
カントリー界で着々とスターとしての地位を確立していくにつれ(1975年と1976年にはカントリー・ミュージック・アソシエーションの年間最優秀女性ヴォーカリスト賞を獲得)、彼女はその豊かなクリエイティヴィティと共に、鋼のようなビジネスセンスにも磨きをかけて行きます。パートンはほぼデビュー当時から自身の出版権を自ら管理していました。エルヴィス・プレスリーが「I Will Always Love You」のカヴァーをレコーディングしたいと申し入れて来た際、彼女が仕方なしに断ったのは、物議を醸していた彼のマネージャー、トム・パーカー大佐が、出版権の半分を譲渡するよう要求してきたからだったのです。この時働いた直感は、後にホイットニー・ヒューストンによる同曲のカヴァーがビルボード・チャートで14週連続1位を獲得し、パートンが莫大な利益を得たことを考えれば、見事に報われたと言えるでしょう。
1970年代半ばにエミルー・ハリスに代表される新たなスタイルのアーティストが登場した時にも、彼女は自身のカントリー界における、野心を前面に押し出したアプローチの魅力を見失うことはありませんでした。「私はキラキラした装飾やラインストーンなんかが大好きなのよ」と、彼女は1976年にNMEで語っています。「カントリー・ミュージックの新しいアンダーグラウンド派の人たちは、パッチや色あせたデニムを着ているでしょ。私も子供の頃はそんな格好をしていたのよ。当時は他に何も持っていなかったからね」
そんな中で、パートンは1977年の「Here You Come Again」でポップ・チャートに進出を果たしました。この曲は、バリー・マンとシンシア・ワイルが手がけた、切ないカントリー・ポップのバラードでした。彼女は1980年のコメディ映画『9 to 5』での役柄でハリウッドを席巻したが、この作品の同名のサウンドトラックは、彼女の代表的となるポップソングを前面に押し出した作品でした。
彼女はその後も映画出演を続け(1982年の『The Best Little Whorehouse in Texas』ではゴールデングローブ賞主演女優賞にノミネート)、数々のヒット・シングルも生み出し続けました(中でもケニー・ロジャースとのデュエット曲「Islands In The Stream」は現在もカラオケの定番曲となっています)。1984年、彼女は子宮内膜症と診断され、子宮部分切除手術を受けたことより、母になるという夢は永遠に叶わなくなってしまいました。打ちひしがれたパートンは、代わりに慈善活動に全力を注ぐことを誓ったのです。その数多くの成果の一つが、ピジョン・フォージにある彼女のテーマパーク『ドリーウッド』で、これは地元経済の活性化に大いに貢献したと言われています。
2023年にリリースされた彼女の最後のスタジオ・アルバム『Rockstar』は、彼女にとって初のロック・アルバムであり、70代後半を迎えても衰えることを知らないドリーの陽気な精神の証明でした。その翌年、最愛の夫カールが82歳で亡くなったことを公表した彼女は、悲しみに打ちひしがれながら、彼を偲んで「If You Hadn’t Been There」という美しいバラードを捧げました。曲の中で彼女はこう問いかけています。「もしあなたがあなたという人でなかったら──ねえ、私はどうなっていたでしょう?」
昨年、パートンはラスベガスのシーザーズ・パレスで6公演にわたるレジデンシー公演を行ない、再び観客を魅了する予定でした。同年後半に「健康上の問題」を抱えたため、公演を2026年9月に延期すると発表したものの、5月にはこのスケジュールは完全に白紙となりました。彼女は亡くなる直前に、結果的には最後となった公の場への登場を果たし、ドリーウッドの41周年記念式典での基調講演のステージで、自身の健康状態やカールとの死別後の生活について近況を語りました。「カールの死を悼むことや、他にもいろいろと些細なことが重なって、なんだか疲れ果ててしまったの」というのがその時の言葉でした。
ドリー・パートンの訃報に誰もがまだ衝撃冷めやらぬ今、2014年のグラストンベリー・フェスティバルでのあの輝かしいステージ・パフォーマンスが、心の癒やしとなってくれるかも知れません。1971年にヒットしたカントリー・ソング「Coat of Many Colors」──母親が縫ってくれたパッチワークのコートについて歌った曲──を紹介する際、この謙虚な「農家の娘」は、家族の愛と不屈の精神に敬意を表しました。ラインストーンをあしらったスーツをまとい、キラキラとした輝きを放つ彼女は、人々を一つに結ぶアイコンとして、その両方の資質を体現していました。あのステージ以来、世界はますます分断が進んでしまっていますが、私たちはこれからも、いつまでもドリーを愛し続けることでしょう。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
ドリー・パートン
「If You Hadn’t Been There」
Amazon Music(MAR 07 2025)
ドリー・パートン
『Rockstar(Deluxe)』
Amazon Music(JAN 19 2024)
Dolly Parton
『Run Rose Run』
・Amazon Music(2022/3/4)
・Amazon(2022/3/4)輸入盤[CD]
Dolly Parton
『A Holly Dolly Christmas』
・Amazon Music(2020/10/2)
・Amazon(2020/10/2)輸入盤[CD]
ドリー・パートン
『The Very Best Of』
・Amazon Music(2007/3/7)
・Amazon(2007/3/2)輸入盤[CD]
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