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ZZトップのドラマーを約57年間務めあげた、フランク・ビアード死去
商品情報 ZZトップ
『The Baddest』
Amazon(2014/7/22)輸入盤・CD
バンドのギタリスト兼シンガーであるビリー・ギボンズは自身のSNSにこう書いています。「今日、エルウッドと俺は偉大な友人兼コラボレイターを喪い、世界は生まれながらに革新性を備えたドラマーの一人、テキサスの偉大なる真の息子を亡くした。ZZがトップでいられたのは、奴お決まりのバックビートあってこそだった」
このニュースと併せて、ZZトップは8月18日のソルトレイク・シティと19日のコロラド・スプリングスで予定されていたショウのキャンセルを表明していますが、バンドが現在行なっているツアーは今週末、彼らの地元であるテキサス州オースティンから再開されるとのことです。
ビアードは厳密には結成メンバーではなかったものの、バンドにおいては長年にわたり、紛れもなく替えの利かないドラマーでした。ZZトップがデビュー・シングル「Salt Lick」(ドラマーを務めたのはダン・ミッチェル)をリリースした後にギボンズと合流した彼がいたからこそ、ベーシストのダスティ・ヒルはバンドに迎えられたのです。
ZZトップの持つ独特のオーラの中心にあったのは、そのキャッチーなメロディーやリフ、そしてトレードマークの長い顎髭(beard)でしたが、実はバンドの要の役割を担っていたのは誰あろう、顎髭のないビアードでした。彼は “テキサス・シャッフル” の達人であり、その寸分違わぬ精確性と抜群の安定感を誇るロック・ドラムのグルーヴが、「Tush」や「La Grange」といった代表的ヒット曲において、ZZトップにしかプレイし得ないブルーズ・ロック・ブギーを支えていたのです。
ビアードの演奏はメトロノームのように正確かつ疲れ知らずでした。2019年のドキュメンタリー『ZZ Top: That Little Ol’ Band from Texas』の中で、彼はギボンズと初めて一緒に演奏した時のことを、冗談めかしてこう振り返っています。「俺はスピードでハイになってたもんで、こいつが音を上げるまで8時間ほどジャムり続けてたんだよ」
ギボンズはこの時の体験について、こう付け加えています:「30分どころか、30秒もかからなかったよ──フランク・ビアードが、まさしく俺が求めていた通りの技術を持ってるってことを見極めるまでにはね。そりゃあ凄まじいプレイぶりだった。明確な決意が漲ってたよ」
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ビアードは1949年6月11日、テキサス州の小さな町フランクストンに生まれました。高校時代にバンド活動を始め、やがてダラスの音楽シーンの常連となり、そこでヒルと出会います。二人は1960年代にウォーロックスやアメリカン・ブルーズといった数々のバンドを渡り歩きましたが、その中には本物の英国のサイケデリック・ロック・グループ、ザ・ゾンビーズが解散した後に、バンド名を騙ってツアーを行なった悪名高き偽ヴァージョンのゾンビーズもあったそうです。
ビアードのミュージシャンとしてのキャリアは、当時のガールフレンドの予期せぬ妊娠で一度は暗礁に乗り上げました。二人は結婚し、子育てを始め、しばらくの間ビアードの実家で暮らすことになったのです。しかし、家族と共にヒューストンに移住した後、ビアードは当時ムーヴィング・サイドウォークスというバンドで活動していたギボンズと知り合います。ビアードは間もなくそのバンドに加入し、更にヒルを誘い入れると、彼らはバンド名をZZトップに改めました。
マネージャー兼プロデューサーのビル・ハムが打ち出した方針に従い、結成間もないZZトップは可能な限りありとあらゆる場所で、休むことなくライヴ活動を続けました。1971年のデビュー作『ZZ Top’s First Album』はチャート入りも果たせず、これと言って注目すべきシングルも生み出すことはありませんでしたが、バンドはツアーを通じて着実に評価を築き上げていきます。1984年にローリング・ストーン誌のインタヴューに応じたビアードは、ZZトップが比較的大味なヘッドライナーのツアーにサポート・アクトとして回れるよう、巧みにブッキングしてくれたハムの手腕を称賛していました。
「俺たちが前座で回ってた時代、彼はいつも、もう終わりかけのバンド──解散間近だとか、ただ金を稼ぐためのツアーをやってるだけの連中――とのツアーに俺たちを巧いこと組み込んでくれたんだ」と、ビアードは語っています。「で、俺たちはステージに出て行って、ヘッドライナーを完全に喰っちまうようなショウをやり倒すわけさ。モット・ザ・フープルやアリス・クーパー、ディープ・パープルとのツアーでも、そういう調子でやってたよ。向こうはもう終わり間近で、そんな状態だろうが別にお構いなしって感じだったから、オーディエンスには自ずと俺たちのパフォーマンスが記憶に残るってわけでね」
ZZトップがようやくブレイクを果たしたのは1970年代半ばに入ってからのことでした。記憶に残る名曲「La Grange」を収録した1974年のアルバム『Tres Hombres』は、ビルボード200アルバム・チャートでトップ10入りを果たし、RIAAからゴールド認定を受けています。続いて1975年にリリースされた『Fandango!』も、ZZトップ初のトップ20入りシングル「Tush」の勢いに乗り、同様の成功を収めました。しかし、こうした成功の兆しが見え始めてからも、ZZトップはロック系メディアからは軽く見られたり、その他大勢のサザン・ロック・バンドと十把一絡げの扱いを受けがちでした。
「あれは要するに『(成功したいなら)カリフォルニアに行かなきゃダメだ、ニューヨークに行かなきゃ話にならない』っていうところに話が戻っちゃってたんだよね、」とビアードは2019年のドキュメンタリーで語りました。「俺たちはそれを拒否したクチだから」
1976年にアルバム『Tejas』をリリースした後、ZZトップは一時活動を休止しますが、その一因はビアードに薬物依存を断ち切らせるためでした。『That Little Ol’ Band from Texas』の中で、ビアードはこの期間の稼ぎの大半をドラッグ、特に様々な錠剤やコカイン、ヘロインといった薬物に費やしていたことを認めています。
「ドブに棄てたも同然の金については、勿論後悔してるよ」と彼は語りました。「俺のオリジナルのラディックのドラムセットを売って、その金でドラッグを買ったりしてた。人間関係、恋愛関係もダメにしちまったし……心の奥底では、ヘロインを止めなきゃダメだってことは分かってたんだよな。コカインやるのも止めなきゃって。もう何もかもやり尽くして、これ以上先には進めないってとこまで来てたんだ」
ZZトップは1979年に活動を再開し、ワーナー・ブラザース・レコードと新たな契約を結び、6枚目のアルバム『Degüello』をリリースします。このアルバムはビルボード200で最高位第24位を記録し、80年代から90年代初頭にかけてバンドが長く商業的な全盛期を享受する、大成功の幕開けとなりました。この期間、ZZトップは1983年の『Eliminator』、1985年の『Afterburner』、1990年の『Recycler』といったマルチ・プラチナ・アルバムをリリースし、「Legs」や「Sleeping Bag」といったトップ10シングルを生み出したほか、「Gimme All Your Lovin’」や「Sharp Dressed Man」等のコミカルで印象的なMVのおかげで、MTVの常連となったのです。
その後数十年にわたり、ZZトップはレコーディングとツアー活動を続け、2004年にはロックの殿堂入りも果たしました。2012年には『La Futura』をリリースしましたが、これは2021年に亡くなったヒルが参加した最後のアルバムとなりました。ギボンズとビアードはヒル抜きでツアーを続けましたが、ビアードは健康上の問題により、時折ツアーを休まざるを得ませんでした。
音楽活動以外では、ビアードはテキサス州リッチモンドで牧場を所有・経営しており、ゴルフやカーレースへの情熱も持ち続けていたそうです。また彼と妻のデビーには双子の息子がおり、ビアードの前妻との間の娘の養育にも協力的に取り組んでいたと言います。
“That Little Ol’ band from Texas(テキサス出身のあのお馴染みのバンド)” ことZZ Topのバンドメイトたちと過ごした50年以上の年月について、ビアードは次のように語っていました。「俺にとっては、一緒にプレイしたい仲間が見つかったっていう、その一言に尽きるね。しかも、それをとても若い頃に叶えられたわけだから。俺はいまだに彼らに対して何の不満もないよ。ダスティにも満足してるし、ビリーにも満足してる」。それから、彼は冗談めかしてこう付け加えました。「この2人がいてくれるから、俺は辞めたいと思ったこともなければ、クビになりたいと思ったことも一度もないんだ」
なお、「ひとりだけ顎髭がないくせに苗字はBeard」という彼の鉄板ネタ(?)ですが、そもそも1977年にバンドが活動休止期間に入るまで、彼らは全員(基本的には)きちんと髭を剃っていたそうです。ところがこの休みの間、ギボンズはバックパッカー同然で世界中を周り、ヒルは空港で働いていて、どちらも髭を剃るという習慣を励行しませんでした。ギボンズいわく、「俺たち二人とも、とにかく何もかもが面倒になっちまったんだよ。だから髭を剃ろうなんて気にもならなかった。簡単に言えば、すべてはそこから始まったんだ」
前述のドキュメンタリーの中で、ビアードは休み明けに二人と再会した時のことを振り返ってこう語っています。「俺も多少顎髭は伸びてたけど、あいつらと比べたらパヤパヤ程度だったよ。だから俺の方はとっとと剃っちゃったんだ」。「フランクは顎髭なしでもお構いなしだったんだよ」とギボンズが横から口を挟んでいます。「何しろこいつは苗字の方に髭がついてるし、髭がないおかげでどこのショッピング・モールに行っても足止め食うこともないからな」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
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ビリー・F・ギボンズ
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ビリー・F・ギボンズ
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