※関連ニュースをご覧になる場合は、こちら↑のタグ(アーティスト名/項目)をクリック。

映画『ONCE/ダブリンの街角で』主演&主題歌でアカデミー賞にも輝いたアイルランド人シンガー・ソングライター、グレン・ハンサード死去

7月29日、ザ・フレームズやザ・スウェル・シーズンのフロントマンとして長年活動し、また2007年のミュージカル映画『ONCE/ダブリンの街角で』の主演及び主題歌を担当したことでも知られるアイルランドのシンガー・ソングライター、グレン・ハンサードが亡くなったことを、彼のマネジメントが確認しました。享年56。ハンサードはこの日未明にダブリン市内で発生したオートバイによる単独事故で負った怪我のため亡くなったと伝えられていますが、現場検証を終えた警察は現在も引き続き目撃者を探しています。
この訃報が伝えられて間もなくネット上に、彼が亡くなるほんの数時間前、ダブリン市内のストロベリー・ベッズ地区にある『Wren’s Nest』というパブに出演していた際に居合わせた客によって撮影された、未発表とみられる楽曲のパフォーマンス動画が公開され、視聴者たちから多くの悲しみの声が寄せられました。

彼の突然の死による衝撃は、アイルランドの音楽・芸術界全体に留まらず、海外の音楽関係者たち、そして世界中の多数のファンにも深く響いています。

1970年4月21日、ダブリンで生まれたハンサードは、市内北部地区のバリーマンで、アルコール依存症で頻繁に家庭内暴力に及ぶ父親の下、労働者階級の家庭で育ちました。12歳でボブ・ディランを発見し、刑務所へ送られた叔父が残していったギターを手にすると、彼はその幅広い音域と強烈な感情を伝える力にたちまち魅了されていきました。「父は寡黙で、怒りを抱えたまま、誰に対しても心を閉ざしていた。だから僕は心に決めたんだ。自分の中にあるものを全部表現し尽くそうって。何もかもを吐き出したいと思ったんだ」と、彼は『ニューヨーク・タイムズ』紙に語っています。ほどなく学校を中退したハンサードは、路上演奏やバンド活動に打ち込むようになりました。自身にとってはバスキングの経験こそが、真の意味での音楽教育だったと、彼は後年振り返っています。

1990年、ハンサードは、ロックのエッジを持ちつつも、時折フォーク音楽を取り入れた6人組バンド、ザ・フレームズを結成。同バンドはアイルランドの音楽シーンにおいて重要な存在となり、1991年のデビュー・アルバム『Another Love Song』をアイランド・レコードからリリースした後、ZTTに移籍し、1995年の『Fitzcarraldo』および1999年の『Dance the Devil』を発表しています。その頃には、ザ・フレームズは母国で愛される定番バンドとなっており、その後の3枚のアルバム──2001年の『For the Birds』、2004年の『Burn the Maps』、2006年の『The Cost』──はいずれもアイルランドのビルボード・チャートでトップ10入りを果たし、ライヴ・アルバム『Set List』は首位を記録しました。

プレイリスト
Set List(Live)
グレン・ハンサードという人物を、音楽──多くは「Falling Slowly」でのアカデミー賞受賞後や、エディ・ヴェダーのような名の知れたアーティストとのコラボレーションを経て──を通じて知った方々からすると、ここでアラン・パーカー監督によるダブリンを舞台にした1991年の大ヒット・コメディ映画『ザ・コミットメンツ』の話題が出るのは、なかなかの驚きかも知れませんが、見返してみれば、巻き毛の赤毛をふさふさと揺らした20歳そこそこの彼が、労働者階級のソウル・バンドの鷹揚なギタリスト、アウトスパン・フォスターを演じているのが分かるはずです。彼はこの映画のオーディションを受ける友人の付き添いでたまたま現場に出かけて行き、架空のバンドのメンバーとは言え本物のミュージシャン(それもできれば赤毛の)を探していたパーカーの目に留まったのでした。

ダブリンのノースサイド出身で、幼い頃から故郷の街角でストリートライヴを行なっていたという設定を持つフォスターはまさに彼そのもので、見事に演じ切ったのは何の不思議もないことでした。しかし、この映画のヒットにより一躍国際的な知名度を得たハンサードは後に、俳優として成功したことで、ザ・フレームズやそれまで築き上げてきた音楽活動の影が薄れてしまうことに不安を感じていたと認めています。
The Commitments - OFFICIAL TRAILER
2005年、ハンサードはマルケタ・イルグロヴァとフォーク・デュオ、ザ・スウェル・シーズンを結成します。彼はその数年前、チェコ共和国で彼女の両親が主催した音楽フェスティバルで、当時まだ13歳だったこのチェコ人シンガー・ソングライターと出会っていました。それから1年足らずの間に、2人はグループ名を冠したデビューLPを制作、リリースします。このアルバムでは一部の曲をそれぞれが担当し、残りの半分はデュエットで歌い分ける構成となっており、このメリハリが映画『ONCE』での共同作業にも影響を与え、同アルバムの最大のヒット曲「Falling Slowly」は、後に公開された同映画のサウンドトラックにも収録されました。2人はその後、映画のプロモーション期間中に交際を始めたものの、2009年に破局しています。
Falling Slowly
15万ドルの予算で制作された『ONCE』は、ダブリンで見知らぬ二人が音楽を通じて互いに惹かれ合うロマンティック・ドラマです。かつてザ・フレームズのベーシストを務めていた監督のジョン・カーニーは、ハンサードに映画の音楽制作を依頼し、更に当初の主演候補だったキリアン・マーフィーが歌の音程を取るのに苦戦したため、最終的に彼をイルグロヴァと並ぶダブル主演に起用しました。「撮影2日目には、我々が今作っているのは間違いなく独創的で特別な作品だということがはっきりと分かったよ」と、カーニーは2007年の公開前に語っています。

ハンサードとイルグロヴァはどちらもミュージシャンではあるものの俳優としてはアマチュアでしたが、そのわざとらしさのない演技がかえって『ONCE』のストーリーに謙虚さと信憑性をもたらしたとして、後に批評家から高く評価されることとなったのです。この映画は世界中で2,000万ドル以上の興行収入を記録し、スティーヴン・スピルバーグは「この映画一本で一年分のインスピレーションをもらった」と絶賛しました。

『ONCE』は、ハンサードとイルグロヴァにグラミー賞2部門のノミネートをもたらし、さらにアカデミー賞では「Falling Slowly」が最優秀オリジナル歌曲賞を受賞しました。更に2011年には、『ONCE』がハンサードとイルグロヴァの楽曲をフィーチャーしたブロードウェイ・ミュージカルとして舞台化され、最優秀ミュージカル賞部門を含む8つのトニー賞を獲得しました。

「(賞のプレゼンターだったジョン・トラボルタが)最初に『そして、オスカー受賞者は……』って言った瞬間から約2時間、僕の頭は完全に真っ白になっちゃったんだ」と、アカデミー賞受賞式から数日後、ハンサードは『ピッチフォーク』誌に語っていました。「まるでその瞬間電気の供給が遮断されたような感じだった。脳が完全にシャットダウンしちゃったんだ! どうにかその場を乗り切ったけどね。まるで予備の脳に切り替わったような感じだった。でも、その夜の2時間は文字通り記憶から消えてしまって……オスカー像はもらってすぐに母に渡したから、本物は母が隠して、もうアイルランドの自宅に持ち帰っちゃったんだよ。母はすぐにでも手元に欲しがってたからね。結局のところ、全ては母のためだったんだ。全ては母のため。母がトロフィーを手元に置いておきたいって言うから、今は実家に置いてあるよ。授賞式には母も来てたんだ。チケットを手配して、素敵なドレスも買ってあげてね。TVでしか見たことのないような人たちに囲まれて座っている母の姿を見られて、本当に嬉しかったよ」
Once (2007) Trailer #1 | Movieclips Classic Trailers

『ONCE』の大ヒット以降、ハンサードのキャリアは新たな名声の段階に達し、彼とイルグロヴァは『ザ・シンプソンズ』にカメオ出演を果たしたこともありました。が、ハンサードは事ある毎に音楽こそが自分の真の道であることを強調し、その発言を裏付けるようにコンスタントに音楽作品をリリースし続け、特に2023年の『All That Was East Is West Of Me』に至るまでの5枚のソロ・アルバムは注目を集めました。

またハンサードはその後も気分に任せて路上でストリート・ライヴを続けていました。2010年には、住む家を失って苦しんでいる人々を支援する慈善団体『Dublin Simon Community』への寄付金を集めるため、ダブリンで毎年恒例クリスマス・イヴに行なうチャリティ・ストリート・ライヴの発起人となり、このイヴェントにはU2のボノ、シェーン・マガウワン、シネイド・オコナーなど、志を同じくする名のあるミュージシャンたちも定期的に参加していました。

ブルース・スプリングスティーン、ザ・マウンテン・ゴーツ、キャット・パワー、ウォーレン・エリス、クリス・オダウド、レイチェル・ズィグラー、コートニー・マリー・アンドリュースらを含め、国内外の音楽や映画界の著名人たちが、ハンサードを称え心温まる追悼の言葉を寄せています。「これまでも僕は時に、グレン・ハンサードは本当に実在しているんだろうか、と疑問に思うことがあった。本当に、彼はまるで天使のような存在だった」と、ボノは長い追悼文に綴っています。「他者に関心を向けることで、ありのままの自分であり続けること──それは、さまざまなペルソナを演じ分けようとしている我々全員にとっての生きるヒントだ。彼はまさに、皆さんが思っていた通りの人物だった。路上生活者を見かければ、その人が大丈夫かどうか確認せずには通り過ぎることができなかった……そしてただそれだけでなく、何よりまず路上生活者を減らすために、彼は懸命に努力していたんだ」

安らかなる眠りをお祈りいたします。

この記事についてのコメントコメントを投稿

この記事へのコメントはまだありません

ヴォイセズ・オブ・アイルランド アイリッシュ・ミュージックとの出会い

ヴォイセズ・オブ・アイルランド アイリッシュ・ミュージックとの出会い

2,420円
Folk Roots, New Routes フォークのルーツへ、新しいルートで

Folk Roots, New Routes フォークのルーツへ、新しいルートで

1,980円
ディスク・コレクション サウンドトラック

ディスク・コレクション サウンドトラック

2,420円
ぼくのアメリカ音楽漂流~鈴木カツ ライナーノーツ集

ぼくのアメリカ音楽漂流~鈴木カツ ライナーノーツ集

2,420円

RELATED POSTS

関連記事

LATEST POSTS

最新記事

ページトップ