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ジャド・フェアとのノイジーなオルタナ・ロック系兄弟ユニット、ハーフ・ジャパニーズのデヴィッド・フェア死去

左が弟のジャド・フェア、右がデヴィッド・フェア。

8月29日、弟のジャドと共に、シーンで強い影響力を誇ったアート・ロック・グループ、ハーフ・ジャパニーズの創始者であるデヴィッド・フェアが亡くなりました。享年74。ジャドは『ローリング・ストーン』誌へのメールでデヴィッドの死を確認し、死因ががんであったことを付け加えました。

デヴィッドの娘も、父親のフェイスブック・ページで声明を発表し、「悲しみに沈んだ気持ちと共に、父のデヴィッド・フェアが2026年8月29日に逝去したことをお知らせします。父は愛と優しさ、そして創造性に満ちた素晴らしい人生を送りました」と綴りました。

「デヴィッドは、音楽に決まったルールなどないことを教えてくれた人物の一人でした。ただ『作りたい』という気持ちがあれば、人は何かを作り出すことができる、ということです」と、彼の所属レーベル代表であり友人でもある、シック・シロップ・レコードのトラヴィス・マッケルロイはインスタグラムに綴っています。「彼は心から善良で、他の誰とも似ていない、ひととして唯一無二の存在でした。彼と巡り合えたこと、そして音楽を超えたところで彼の知己を得られたことに感謝しています。私の持っている彼の思い出は、今となってはこれまでに輪をかけて大切なものになっています。自分が親しく思い、大切に思っていた人が、突然いなくなってしまうというのは辛いことですね。私からは伝えるべき深遠な言葉など何もありません。ただ本当に、どうしようもなく悲しいし、私はこれからもあの友人を恋しく思うでしょう」
ジャドとデヴィッド・フェアは、子供時代に共有していた寝室でハーフ・ジャパニーズを結成し、1977年に自主レーベルである〈50 Skidillion Watts〉から、彼ら初のホーム・レコーディング作品となるEP『Calling All Girls』をリリースしました。〈Allmusic〉のプロフィールによれば、彼らのテープはアンダーグラウンド界隈で注目を集め、2人はやがてイギリスのインディーズ・レーベル〈Armageddon〉と契約を交わし、1980年に同レーベルからハーフ・ジャパニーズのデビュー・アルバム『1/2 Gentlemen/Not Beasts』がリリースされました。デビュー作にしてLP3枚組のボックスセットというこの壮大な作品には、彼らによるホーム・レコーディング、ノイズやミニマリスト的サウンドアートの実験、原曲とは似ても似つかないカヴァー曲を長々とメドレーにしたライヴ録音などが収録されており、現在でもカルト的傑作として評価されています。

ジャドが一貫してハーフ・ジャパニーズの創造的な原動力であった一方、デヴィッドはバンドのDIY精神とあらゆる制約から解放された姿勢を、多くの人々に読まれたエッセイ『How to Play Guitar』の中で簡潔に言語化しています。

エッセイはこんな風に始まります。「僕は独学でギターを弾けるようになった。その仕組みを理解すれば、それは驚くほど簡単なことだ。細い弦は高い音を出し、太い弦は低い音を出す。チューニング・ペグの端に近い場所に指を置けば、より低い音が出る。速く弾きたいなら手を速く動かし、ゆっくり弾きたいなら手をゆっくり動かす。それだけのことだ。他の人が使っている音符の名前やコードの作り方を覚えることもできるが、それではかなり制限される。たとえ数年かけて全てのコードを覚えたとしても、選択肢は限られたままだ。逆にコードを無視すれば、選択肢は無限に広がり、たった1日でギター演奏をマスターできるんだ」

ハーフ・ジャパニーズは、その後もポップな実験を多方面へと展開し続けましたが、1984年の『Sing No Evil』や1988年の『Charmed Life』といった名盤では、より伝統的なソングライティングや音楽性を作品に巧みに取り入れる手腕も示しました。こうした要素が相まって、バンドはカルト的な人気を博し、著名人のファンも数名現れます。マジシャンのペン・ジレットは、80年代後半にフェア兄弟が『50 Skidillion Watts』を復活させるのを支援し、1993年にはニルヴァーナが『In Utero』ツアーのオープニング・アクトに彼らを起用しました(カート・コバーンは亡くなった際、ハーフ・ジャパニーズのTシャツを着ていたと伝えられています)。
バンドの伝説的ステイタスをさらに確固たるものにしたのは、ジェフ・フュアーザイグによる決定版ドキュメンタリー『Half Japanese:The Band That Would Be King』(1989年のアルバム名にちなんで名付けられた)でした。ハーフ・ジャパニーズは、オルタナティヴ・テンタクルズと契約し、1997年の『Bone Head』と2001年の『Hello』(いずれもデヴィッド・フェアは参加していない)の2枚のアルバムをリリースした後、活動休止に入りましたが、2012年にジェフ・マンガムから「All Tomorrow’s Parties」フェスティバルへの再結成出演を打診されたことをきっかけに活動を再開します。兄弟は2014年、ハーフ・ジャパニーズの再結成アルバム『Overjoyed』(ディアフーフのジョン・ディーターリッヒがプロデュース)で復帰し、その後、ファイア・レコードから長らく埋もれていた音源の再発やアーカイヴ・アルバムを次々とリリースしました。

ハーフ・ジャパニーズはかなりのハイペースで楽曲を作り続け、リリースし続けていますが、デヴィッドの参加は断続的でした。彼は何度かバンドを離れては再加入を繰り返しており、バンドを離れている間は他の芸術活動に専念していました。

その「他の芸術活動」のひとつ、ヴィジュアル・アーティストとしての彼は遊び心にあふれ、目を奪うようなアクリル画で最もよく知られています。また、奇想天外なウェブ・シリーズ『The Big Baby Show』のプロデューサーも務めており、2020年にはアルフレッド・ヒッチコックの『サイコ』をシュールな形で翻案した『Psycho X10!』の共同脚本・共同監督を手掛けています。デヴィッドとジャドは、ハーフ・ジャパニーズとは別に、それぞれの名義で数枚のアルバムを制作しており、デヴィッドはシック・シロップを通じて、2010年の『The Middleman Soundtrack』や2016年の『I’ll Be Moe』など、数枚のソロ作やコラボレーション・アルバムをリリースしています。
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