マイケル・ジャクソン、デヴィッド・フォスターらとコラボしたソングライター/アレンジャーのジェレミー・ラボックが死去

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ポピュラー音楽のソングライター/アレンジャー/プロデューサーで、ピアニストでもあったジェレミー・ラボック(Jeremy Lubbock)が1月31日に亡くなりました。死因は発表されていません。
イギリス生まれのラボックは、多彩な音楽スタイルで80年代と90年代のポップスやAOR〜ブラック・コンテンポラリー・ミュージックにおいて重要な役割を果たしました。

特にマイケル・ジャクソンの作品に深く関わり、マイケルがナレーターを務めたアルバム『ET』でクインシー・ジョーンズと共にアレンジを手掛け、マイケルの「Billie Jean」ではストリングスのコンダクターを務めたほか、マイケル1995年のアルバム『HIStory : Past, Present and Future, Book I』にはアレンジャー/コンダクターとしてクレジットされています。

幼少期から音楽的才能を発揮していたラボックは、オックスフォード大学に通いながら、ロンドンやパリのクラブでピアニスト/ヴォーカリストとしてプロの道を歩み始めました。50年代~60年代に海外のクラブで演奏し、様々な音楽的影響を受けたラボックは、70年代初期に英BBCとITVでアレンジャーの仕事に就きましたが、その後理想の仕事を求めてアメリカに渡りました。

1977年にロサンゼルスに移住してからは、ジョニ・ミッチェルのアルバム『Mingus』やミニー・リパートンのアルバム『Minnie』でアレンジを手掛け、これらの仕事に注目したクインシー・ジョーンズとデヴィッド・フォスターと仕事をするようになりました。

アレンジャーとしては、シカゴ1984年の「Hard Habit to Break」や、マンハッタン・トランスファー1983年の「The Night that Monk Returned to Heaven」、バーブラ・ストライザンド1994年の「Luck Be a Lady Tonight」、ホイットニー・ヒューストンの「I Have Nothing」などでグラミー賞にノミネートされ、いくつかの作品が受賞しています。

また、ソングライターとしても活躍したラボックは、デヴィッド・フォスターとリチャード・マークスと共作した「The Best of Me」がクリフ・リチャードによってレコーディングされ、1989年のUKチャートで第2位を記録したほか、パティ・ラベル&マイケル・クロフォードの「With Your Hand Upon My Heart」や、アル・ジャロウの「Not Like This」もヒットしました。

その他にも、ジェイムス・イングラムの「Whatever We Imagine」や、パティ・オースティンの「Alone In The World」など、数多くの一流アーティストの作品を手掛け、AOR/ブラコンの分野でも多大な貢献をしました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
 
 
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