ゴールドワックス・レコードの創始者、クイントン・クランチが99歳で死去

ソウルの名門ゴールドワックス・レーベルの創設者で、ミュージシャン/ソングライター/プロデューサーでもあったクイントン・クランチ(Quinton Claunch)が4月10日、テネシー州メンフィスで死去しました。享年99。死因は公表されていません。
ミシシッピ州生まれのクランチは、40年代初期にアラバマ州のマッスル・ショールズに移り、地元のカントリー・ミュージック・バンドでギターを演奏し、1943年にエドガー・クレイトンとビル・カントレルと共にブルー・シール・パルズを結成しました。バンドは、マッスル・ショールズやフローレンスのラジオ局でレギュラー番組を担当した後、ナッシュヴィルのラジオ番組『グランド・オール・オープリー』にもレギュラー出演するようになりました。

その後、1948年にメンフィスに移ったクランチは、サム・フィリップスが立ち上げたサン・レコードのカール・パーキンスやワンダ・ジャクソンらのレコーディングにギタリストとして参加し、1954年にカントレルと作曲した「Daydreamin」がジミー・ニューマンのヒット曲になり、二人は1957年に独自レーベルのハイ・レコーズ(Hi Records)を創設しました。

クランチは同レーベルでプロデューサーとソングライターも兼ね、200曲以上のオリジナル曲にクレジットされ、ローカル・レーベルとして成功を収めましたが、1959年にレーベルにおける自身の権利を売却し、音楽業界を去ったクランチは、以前立ち上げたハードウェア会社のビジネスに移行しました。

しかしながら、1964年に音楽ビジネスに復帰したクランチは、ルドルフ・V・“ドック”・ラッセルとサザン・ソウル/ゴスペル音楽の専門レーベル、ゴールドワックス・レコードを創設し、ジェイムス・カーやジ・オヴェイションズ、スペンサー・ウィギンスらによる一連のヒット曲をリリースしました。同レーベルは、1969年にクランチとラッセルの意見の相違などにより廃業し、80年代半ばにメンフィスのビジネスマンによって事業が再開されましたが、社長に就任したクランチは90年代に再びレーベルを去りました。

その後、クランチはソウルトラックス・レーベルを立ち上げ、アル・グリーンやジョー・トーマスらのレコードを制作し、93歳の時には彼が発掘したアロンゾ・ぺニントンとマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオでラスト・アルバムをレコーディングしていました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
クランチが楽曲を提供した/クランチの楽曲を取り上げた作品。リンゴ・スターも「Sure to Fall」をカヴァー

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Sure to Fall
Love Attack
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