ムーディー・ブルースのドラマー、グレアム・エッジが80歳で死去
英プログレッシヴ・ロック・バンド、ムーディー・ブルース(Moody Blues)の共同創設者でドラマーのグレアム・エッジ(Graeme Edge)が11月11日、80歳で亡くなりました。エッジは今年7月、ガンと診断されていたそうです。

またエッジは、ソングライター/詩人でもあり、ムーディー・ブルース1967年の名盤『Days of Future Passed』に収録された「Morning Glory」や「Late Lament」をはじめ、様々な楽曲にクレジットされていますが、バンドが2017年に行なった同アルバムの50周年記念ツアーを最後に引退していました。
エッジの訃報を受け、バンド仲間でベーシストのジョン・ロッジは次のように綴っています。
「“When the White Eagle of the North is flying overhead”(エッジが書いた「The Dream」の歌詞)悲しいことに、今日グレアムが旅立ってしまった。僕にとって、彼はまさに北部の白鷲(White Eagle of the North)だった。彼の美しい詩、友情、人生への愛情、独特なドラミング・スタイルは、ムーディー・ブルースの機関室だった」
エッジの訃報を受け、バンド仲間でベーシストのジョン・ロッジは次のように綴っています。
「“When the White Eagle of the North is flying overhead”(エッジが書いた「The Dream」の歌詞)悲しいことに、今日グレアムが旅立ってしまった。僕にとって、彼はまさに北部の白鷲(White Eagle of the North)だった。彼の美しい詩、友情、人生への愛情、独特なドラミング・スタイルは、ムーディー・ブルースの機関室だった」
また、ギタリストのジャスティン・ヘイワードは、長文の追悼コメントを発表しています。「今日はとても悲しい日だ。グレアムのサウンドと個性は、我々が一緒にやってきた全ての中に存在し、ありがたいことにそれはこれからも生き続ける。グレアムが引退すると言った時、彼なしではムーディー・ブルースにならないとわかっていた。そして、その通りになった。これまでの長い年月において、彼がグループをまとめていたのは間違いない。なぜなら、彼はバンドを愛していたから。
僕らは60年代後半にグレアムが望んでいたグループになり、彼の役割はドラマーと詩人になることだった。彼は美しく素晴らしい詩を書き、彼の詩がなければ決して音楽にならない雰囲気と背景を作り出していた。最後のツアーでは、ナレーションを頼んだジェレミー・アイアンズ(イギリス人俳優)に詩を再現してもらったが、あれはまさに魔法のようだった。
僕がグループに加入した時、グレアムと彼の両親はとても親切にしてくれた。そして最初の2年間、僕とグレアムは一緒に住むか、隣合わせに住んでいた。お互いの共通点はほとんどなかったが、僕らはいつも楽しみ、笑い、おそらく人生最高の音楽を作っていた。
グレアムは音楽業界における最高の人物の一人であり、彼のような人は二度と現れないだろう。ご家族に心から哀悼の念を捧げます」
エッジは1941年に英スタフォードシャー州のロチェスターで生まれ、生後半年で家族とバーミンガムに移りました。
当初はブルー・リズム・バンドのマネージャーを務め、同バンドのドラマーを見ながらドラムをいじり始めたエッジは、そのドラマーの脱退後に後任として加入、初めてプロとしてのキャリアがスタートしました。
その後、1964年にエッジ、レイ・トーマス、マイク・ピンダー、デニー・レイン(後にウィングスのギタリスト)、クリント・ワーウィックによるムーディー・ブルースが誕生し、1965年にデビュー・アルバム『The Magnificent Moodies』を発表。同作からシングル「Go Now!」がUKチャートで第1位、USチャートで第10位を記録する大ヒットになりましたが、1966年にレインとワーウィックが脱退し、後任としてジョン・ロッジとジャスティン・ヘイワードが加入しました。
しかしながら、ムーディー・ブルースは1974年から活動停止期間に入り、エッジは初ソロ・シングル「We Like To Do It / Shotgun」(1974年)と初ソロ・アルバム『Kick Off Your Muddy Boots』(1975年)をリリース。この間、ギリシャのコルフ島でヨット生活を送り、世界中を航海したエッジは、カリブを訪れた際にサルサやカリプソ、サンバ、レゲエに魅了され、1975年に発表した2枚目のソロ・アルバム『Paradise Ballroom』に影響を与えました。
その後、ムーディー・ブルースは1978年に活動を再開しましたが、同年マイク・ピンダーが脱退し、1990年にパトリック・モラーツが、2002年にレイ・トーマスが脱退、その後はエッジとジョン・ロッジ、ジャスティン・ヘイワードの3人体制になりました。
バンドは2018年に「ロックの殿堂」入りを果たし、エッジは式典のスピーチで次のようにジョークを飛ばしていました。
「僕は77歳で時間がないから長いスピーチはしないけど、まずは50年も僕に我慢してくれたジャスティンとジョンに感謝したい。僕は50年もジャスティンとジョンに我慢した自分にも感謝したいけどね。そして、僕を助けてくれた世界中の皆さんに感謝します。それから、僕をまだ助けてない世界の皆さん、くたばっちまえ!」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
僕らは60年代後半にグレアムが望んでいたグループになり、彼の役割はドラマーと詩人になることだった。彼は美しく素晴らしい詩を書き、彼の詩がなければ決して音楽にならない雰囲気と背景を作り出していた。最後のツアーでは、ナレーションを頼んだジェレミー・アイアンズ(イギリス人俳優)に詩を再現してもらったが、あれはまさに魔法のようだった。
僕がグループに加入した時、グレアムと彼の両親はとても親切にしてくれた。そして最初の2年間、僕とグレアムは一緒に住むか、隣合わせに住んでいた。お互いの共通点はほとんどなかったが、僕らはいつも楽しみ、笑い、おそらく人生最高の音楽を作っていた。
グレアムは音楽業界における最高の人物の一人であり、彼のような人は二度と現れないだろう。ご家族に心から哀悼の念を捧げます」
エッジは1941年に英スタフォードシャー州のロチェスターで生まれ、生後半年で家族とバーミンガムに移りました。
当初はブルー・リズム・バンドのマネージャーを務め、同バンドのドラマーを見ながらドラムをいじり始めたエッジは、そのドラマーの脱退後に後任として加入、初めてプロとしてのキャリアがスタートしました。
その後、1964年にエッジ、レイ・トーマス、マイク・ピンダー、デニー・レイン(後にウィングスのギタリスト)、クリント・ワーウィックによるムーディー・ブルースが誕生し、1965年にデビュー・アルバム『The Magnificent Moodies』を発表。同作からシングル「Go Now!」がUKチャートで第1位、USチャートで第10位を記録する大ヒットになりましたが、1966年にレインとワーウィックが脱退し、後任としてジョン・ロッジとジャスティン・ヘイワードが加入しました。
しかしながら、ムーディー・ブルースは1974年から活動停止期間に入り、エッジは初ソロ・シングル「We Like To Do It / Shotgun」(1974年)と初ソロ・アルバム『Kick Off Your Muddy Boots』(1975年)をリリース。この間、ギリシャのコルフ島でヨット生活を送り、世界中を航海したエッジは、カリブを訪れた際にサルサやカリプソ、サンバ、レゲエに魅了され、1975年に発表した2枚目のソロ・アルバム『Paradise Ballroom』に影響を与えました。
その後、ムーディー・ブルースは1978年に活動を再開しましたが、同年マイク・ピンダーが脱退し、1990年にパトリック・モラーツが、2002年にレイ・トーマスが脱退、その後はエッジとジョン・ロッジ、ジャスティン・ヘイワードの3人体制になりました。
バンドは2018年に「ロックの殿堂」入りを果たし、エッジは式典のスピーチで次のようにジョークを飛ばしていました。
「僕は77歳で時間がないから長いスピーチはしないけど、まずは50年も僕に我慢してくれたジャスティンとジョンに感謝したい。僕は50年もジャスティンとジョンに我慢した自分にも感謝したいけどね。そして、僕を助けてくれた世界中の皆さんに感謝します。それから、僕をまだ助けてない世界の皆さん、くたばっちまえ!」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
※海外における公演の多くにおいては、オーディエンスによる携帯での撮影、そしてその画像・動画のアップロードがアーティスト側にプロモーションの一環として了承・推奨されている場合が多いため、MUSIC LIFE CLUBではそういった情報も掲載しています。


商品詳細
ムーディ・ブルース
『コート・ライヴ+5』
CD(2021/9/22)¥1,100(限定盤)
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商品詳細
ムーディー・ブルース
『新世界への道程+2』
CD(2016/11/23)¥2,915(紙ジャケット仕様)
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