ザ・ディキシー・カップスのシンガー、ローザ・リー・ホーキンズが76歳で死去

No.1シングル「Chapel of Love」や「Iko Iko」のヒットで知られる米ニューオーリンズの女性ヴォーカル・グループ、ザ・ディキシー・カップス(The Dixie Cups)のローザ・リー・ホーキンズ(Rosa Lee Hawkins:写真右)が1月11日、76歳で死去しました。

ニューオーリンズのニュースサイト「nola.com」が訃報を伝えており、ホーキンズは先週受けた外科手術の後、内出血やその他の合併症によりフロリダ州タンパの病院で亡くなったそうです。
ディキシー・カップスは1963年、バーバラ・アンとローザ・リーのホーキンズ姉妹に従姉妹のジョアン・マリー・ジョンソンを加えたメルトーンズ(Meltones)として結成され、その後レッド・バード・レコードとの契約にあたり、ディキシー・カップスに改名しました。

1964年のデビュー・シングル「Chapel of Love」(邦題「愛のチャペル」)は、本来フィル・スペクターとジェフ・バリー、エリー・グリニッチがダーレン・ラヴのために共作した曲でしたがリリースに至らず、ディキシー・カップスのヴァージョンが全米チャートで3週にわたりNo.1を記録。100万枚以上を売り上げた同曲は、ゴールド・ディスクに認定されました。また、ディキシー・カップス最大のヒット曲になった「Chapel of Love」は、ロネッツ1964年のデビュー・アルバムに収録されたほか、1973年にはベット・ミドラーがカヴァーしていました。

60年代半ばの「ガール・グループ」ブームの波に乗ったディキシー・カップスは、続いて「People Say」(#12)、「You Should Have Seen the Way He Looked at Me」(#39)、「Little Bell」(#51)をリリースし、翌1965年に発表したニューオーリンズの代表的フォーク・ソングのカヴァー「Iko Iko(アイコ・アイコ)」も全米チャートの20位を記録するヒットになりました。

しかしながら、1963年に彼女たちを発掘したマネージャーの杜撰な管理や横領などにより、ディキシー・カップスのレコーディング・キャリアは短命に終わり、従姉妹のジョンソンが1966年に脱退、同年グループは活動を停止しました。

その後、ジョンソンの後任として、ネヴィル・ブラザーズの妹アセルグラ・ネヴィルを迎えたディキシー・カップスは、2007年に「ルイジアナ音楽の殿堂」入りを果たし、ローザが亡くなるまで、3人でライヴ活動を続けていました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
The Dixie Cups - Chapel Of Love
Dixie Cups - Iko Iko
商品詳細
Various Artists
『ザ・レッド・バード・ガールズ・イン・ステレオ1964〜1966』


CD(2016/2/25)¥2,975

商品詳細
ザ・ディキシー・カップス
『The Dixie Cups' Another Boy Like Mine』


Amazon Music・MP3(2006/6/25)¥1,400

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