キング・クリムゾン/フォリナーの創設メンバー、イアン・マクドナルドが75歳で死去
キング・クリムゾンとフォリナーの創設メンバーで、マルチプレイヤー/ソングライターのイアン・マクドナルド(Ian McDonald)が2月9日、ガンのため75歳で亡くなりました。
息子のマックスによると、マクドナルドはNYCの自宅にて、家族に見守られながら安らかに息を引き取ったそうです。
キング・クリムゾンがフェイスブック・ページで訃報を伝えており、次のように綴られています。
「キング・クリムゾンの共同創始者、イアン・マクドナルドの訃報が発表されました。彼のオリジナル・バンドへの貢献は計り知れないほど貴重で、奥深いものでした。イアンのご家族にお悔やみ申し上げます」
息子のマックスによると、マクドナルドはNYCの自宅にて、家族に見守られながら安らかに息を引き取ったそうです。
キング・クリムゾンがフェイスブック・ページで訃報を伝えており、次のように綴られています。
「キング・クリムゾンの共同創始者、イアン・マクドナルドの訃報が発表されました。彼のオリジナル・バンドへの貢献は計り知れないほど貴重で、奥深いものでした。イアンのご家族にお悔やみ申し上げます」

1946年に英ミドルセックス州オスターリーの音楽一家に生まれたマクドナルドは、幼い頃から音楽を聴いて育ち、15歳でイギリス陸軍に入隊し、バンドマンとして5年の任務に就きました。
除隊後にロンドンへ戻ったマクドナルドは、元フェアポート・コンヴェンションのジュディ・ダイブルと音楽作りを始め、ロバート・フリップとマイケル・ジャイルズに紹介されたことを機に、1968年にキング・クリムゾンが結成されました。
1969年のデビュー・アルバム『In the Court of the Crimson King』に参加したマクドナルドは、全収録曲を共作したほか、キーボードや木管楽器、メロトロンを演奏し、同アルバムはプログレッシヴ・ロックにおいて最も影響力のある作品となりました。しかしながら、マクドナルドは初のUSツアー後にドラマーのマイケル・ジェイルズとクリムゾンを脱退し、ロック・デュオのマクドナルド&ジャイルズを結成。1970年にバンド唯一のアルバム『McDonald and Giles』をリリースしました。
その後、クリムゾン1974年のアルバム『Red』にサックス奏者としてゲスト参加したマクドナルドは、バンドの正式メンバーとして復帰するつもりでしたが、ロバート・フリップが同年バンドを解散したため、実現しませんでした。
NYCに移ったマクドナルドは1976年、ミック・ジョーンズやルー・グラムらとフォリナーを結成し、1977年のデビュー・アルバム『Foreigner』、1978年の『Double Vision』、1979年の『Head Games』で、ギターや木管楽器、キーボードを担当。これら3枚のアルバムは大成功をおさめ、プラチナ認定されましたが、マクドナルドは1980年に脱退しました。
また、セッション・ミュージシャンとしても活躍し、T・レックス1971年のヒット曲「Get It On(Bang a Gong)」や、センティピード1971年のアルバム『Septober Energy』などにサックスで参加したほか、ダリル・ウェイ1973年のアルバム『Canis Lupus』や、フループ1975年の『Modern Masquerades』のプロデュースも手がけていました。
1996年には、元ジェネシスのスティーヴ・ハケットとツアーを行ない、1999年に発表したソロ・アルバム『Drivers Eyes』には、ハケットやジョン・ウェットン、ゲイリー・ブルッカーらが参加していました。
2002年には、クリムゾンの元メンバーらとトリビュート・バンドの21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成し、クリムゾンのカヴァー曲を中心にライヴ活動を展開。その後、ジュディ・ダイブル2009年のアルバム『Talking With Strangers』に参加したマクドナルドは、収録曲「Harpsong」でロバート・フリップと共演し、2017年には、テッド・ズコウスキーと結成したハニー・ウェストのアルバム『Bad Old World』をリリースしたほか、2017年~2018年にかけて、フォリナーのリユニオン公演に参加していました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
除隊後にロンドンへ戻ったマクドナルドは、元フェアポート・コンヴェンションのジュディ・ダイブルと音楽作りを始め、ロバート・フリップとマイケル・ジャイルズに紹介されたことを機に、1968年にキング・クリムゾンが結成されました。
1969年のデビュー・アルバム『In the Court of the Crimson King』に参加したマクドナルドは、全収録曲を共作したほか、キーボードや木管楽器、メロトロンを演奏し、同アルバムはプログレッシヴ・ロックにおいて最も影響力のある作品となりました。しかしながら、マクドナルドは初のUSツアー後にドラマーのマイケル・ジェイルズとクリムゾンを脱退し、ロック・デュオのマクドナルド&ジャイルズを結成。1970年にバンド唯一のアルバム『McDonald and Giles』をリリースしました。
その後、クリムゾン1974年のアルバム『Red』にサックス奏者としてゲスト参加したマクドナルドは、バンドの正式メンバーとして復帰するつもりでしたが、ロバート・フリップが同年バンドを解散したため、実現しませんでした。
NYCに移ったマクドナルドは1976年、ミック・ジョーンズやルー・グラムらとフォリナーを結成し、1977年のデビュー・アルバム『Foreigner』、1978年の『Double Vision』、1979年の『Head Games』で、ギターや木管楽器、キーボードを担当。これら3枚のアルバムは大成功をおさめ、プラチナ認定されましたが、マクドナルドは1980年に脱退しました。
また、セッション・ミュージシャンとしても活躍し、T・レックス1971年のヒット曲「Get It On(Bang a Gong)」や、センティピード1971年のアルバム『Septober Energy』などにサックスで参加したほか、ダリル・ウェイ1973年のアルバム『Canis Lupus』や、フループ1975年の『Modern Masquerades』のプロデュースも手がけていました。
1996年には、元ジェネシスのスティーヴ・ハケットとツアーを行ない、1999年に発表したソロ・アルバム『Drivers Eyes』には、ハケットやジョン・ウェットン、ゲイリー・ブルッカーらが参加していました。
2002年には、クリムゾンの元メンバーらとトリビュート・バンドの21stセンチュリー・スキッツォイド・バンドを結成し、クリムゾンのカヴァー曲を中心にライヴ活動を展開。その後、ジュディ・ダイブル2009年のアルバム『Talking With Strangers』に参加したマクドナルドは、収録曲「Harpsong」でロバート・フリップと共演し、2017年には、テッド・ズコウスキーと結成したハニー・ウェストのアルバム『Bad Old World』をリリースしたほか、2017年~2018年にかけて、フォリナーのリユニオン公演に参加していました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。


商品情報
マクドナルド&ジャイルズ
『マクドナルド&ジャイルズ』
・Amazon Music・MP3(1970/11/1)¥1,500
・CD(2022/1/19)¥3,300
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フォリナー
『Foreigner』
・Amazon Music・MP3(2002/4/2)¥800(Expanded)
・CD(2002/4/1)輸入盤
フォリナー
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・CD(2002/4/1)輸入盤

Ian McDonald
『Drivers Eyes』
(Camino Records:1999年)
『Drivers Eyes』
(Camino Records:1999年)
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![バンド・スコア キング・クリムゾン「クリムゾン・キングの宮殿」[ワイド版]](https://www.musiclifeclub.com/global-image/units/img/449452-5-20200128173158_b5e2ff17e3e029.jpg)


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