スリー・ドッグ・ナイトのプロデューサー、リチャード・ポドラーが86歳で死去
スリー・ドッグ・ナイトやステッペンウルフのプロデューサーで知られ、ミュージシャン/ソングライターでもあったリチャード・ポドラー(Richard Allen Podolor)が3月9日、86歳で死去しました。
スリー・ドッグ・ナイトのフェイスブックで訃報が伝えられています。
「プロデューサー、エンジニア、そしてミュージシャンだったリッチー・ポドラーが他界し、世界は素晴らしい才能を喪いました。彼は、MCA時代のスリー・ドッグ・ナイト初期のレコードからリリース間近の新アルバムに至るまで、素晴らしい音楽的指導者でした」
また、バンドのダニー・ハットンは次のように綴っています。
「リッチーは、僕がこれまで会った誰よりも聴覚が優れていた。彼は1966年、僕のバンドで二人目のプロデューサーになり、最初のプレイバックを聴きにコントロール・ルームに入った時、僕はそれまでスタジオで聴いたこともない何かを感じ、それはまさにマジックだった! 僕はその時から、同じ事が出来るようになりたいと学び始め、3年以内に彼からチャンスをもらった。彼には、全てにおいてお世話になった。リッチー、キミは僕のヒーローだった。そしてこれからも」
スリー・ドッグ・ナイトのフェイスブックで訃報が伝えられています。
「プロデューサー、エンジニア、そしてミュージシャンだったリッチー・ポドラーが他界し、世界は素晴らしい才能を喪いました。彼は、MCA時代のスリー・ドッグ・ナイト初期のレコードからリリース間近の新アルバムに至るまで、素晴らしい音楽的指導者でした」
また、バンドのダニー・ハットンは次のように綴っています。
「リッチーは、僕がこれまで会った誰よりも聴覚が優れていた。彼は1966年、僕のバンドで二人目のプロデューサーになり、最初のプレイバックを聴きにコントロール・ルームに入った時、僕はそれまでスタジオで聴いたこともない何かを感じ、それはまさにマジックだった! 僕はその時から、同じ事が出来るようになりたいと学び始め、3年以内に彼からチャンスをもらった。彼には、全てにおいてお世話になった。リッチー、キミは僕のヒーローだった。そしてこれからも」

1936年にロサンゼルスで生まれたポドラーは、10代でセッション・ミュージシャンになり、50年代後半には、プラス・ジョンソンとアール・パーマー(後のレッキング・クルー)をフィーチャーしたペッツ(Pets)とツアーを行ない、ドラマーのサンディ・ネルソンがレコーディングした1959年のヒット・シングル「Teen Beat」と、1961年の「Let There Be Drums」も共作していました。
60年代初期には、リッチー・アレン名義でシングル「Stranger from Durango」をリリースし、リッチー・アレン&ザ・パシフィック・サーファーズとしてアルバムもリリース、またセッション・ミュージシャンとしても活動したほか、60年代半ばまでにエンジニアも兼ねるようになり、モンキーズやタートルズ、エレクトリック・プルーンズ、グレイトフル・デッド、ドノヴァンらのレコーディングに参加していました。
ステッペンウルフのエンジニアとして初ブレイクしたポドラーは、バンドのヒット・シングル「Born To Be Wild」や「Magic Carpet Ride」を含む最初のアルバム4枚でエンジニアを務めた後、1970年のアルバム『Steppenwolf 7』からプロデューサーになり、また同時期からスリー・ドッグ・ナイトのプロデューサーも担当し、バンド1969年のアルバム『Captured Live at the Forum』から1983年『It’s a Jungle』までの全作と、今後発売される新アルバム『The Road Ahead』もプロデュースしていました。
そのほか、アイアン・バタフライ、ブルース・イメージ、サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド(SHF)、クリス・ヒルマン、ブラック・オーク・アーカンサス、アリス・クーパーらのアルバム・プロデュースも手掛けており、SHFのリッチー・フューレイは、次のように追悼しています。
「彼は本当に素晴らしいレコード・プロデューサーで、彼と仕事が出来て光栄でした。彼にはポコのレコーディングをお願いしたかったのですが、CBS-Epicから許可が下りず、ようやくSHFで実現しました。彼のレコーディングは非常に独特で、スタジオにいたバンドの “ライヴ・サウンド” を捉えていました。彼と仕事をした思い出は、素晴らしかったことしかありません」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
60年代初期には、リッチー・アレン名義でシングル「Stranger from Durango」をリリースし、リッチー・アレン&ザ・パシフィック・サーファーズとしてアルバムもリリース、またセッション・ミュージシャンとしても活動したほか、60年代半ばまでにエンジニアも兼ねるようになり、モンキーズやタートルズ、エレクトリック・プルーンズ、グレイトフル・デッド、ドノヴァンらのレコーディングに参加していました。
ステッペンウルフのエンジニアとして初ブレイクしたポドラーは、バンドのヒット・シングル「Born To Be Wild」や「Magic Carpet Ride」を含む最初のアルバム4枚でエンジニアを務めた後、1970年のアルバム『Steppenwolf 7』からプロデューサーになり、また同時期からスリー・ドッグ・ナイトのプロデューサーも担当し、バンド1969年のアルバム『Captured Live at the Forum』から1983年『It’s a Jungle』までの全作と、今後発売される新アルバム『The Road Ahead』もプロデュースしていました。
そのほか、アイアン・バタフライ、ブルース・イメージ、サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド(SHF)、クリス・ヒルマン、ブラック・オーク・アーカンサス、アリス・クーパーらのアルバム・プロデュースも手掛けており、SHFのリッチー・フューレイは、次のように追悼しています。
「彼は本当に素晴らしいレコード・プロデューサーで、彼と仕事が出来て光栄でした。彼にはポコのレコーディングをお願いしたかったのですが、CBS-Epicから許可が下りず、ようやくSHFで実現しました。彼のレコーディングは非常に独特で、スタジオにいたバンドの “ライヴ・サウンド” を捉えていました。彼と仕事をした思い出は、素晴らしかったことしかありません」
安らかなる眠りをお祈りいたします。


商品情報
スリー・ドッグ・ナイト
『ジョイ・トゥ・ザ・ワールド〜ベスト・オブ・スリー・ドッグ・ナイト』
CD(2012/6/20)¥1,661(SHM-CD)
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スリー・ドッグ・ナイト
『Captured Live At The Forum』
Amazon Music・MP3(1969/10/16)¥1,900
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