クイーン研究家・いしづみたかゆきのクイーンとプラチナ・ジュビリーを訪ねて6,000マイル![6]クイーン関連スポットを巡る聖地巡礼編
クイーン研究家・石角隆行(いしづみたかゆき)氏によるクイーンのツアー+エリザベス女王プラチナ・ジュビリー観戦記 in 英国「いしづみたかゆきの英国徒然漫遊紀行」第6回。最終回となる今回は、クイーン関連スポットを巡る聖地巡礼編としてお送りします。
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クイーンとプラチナ・ジュビリーを訪ねて6,000マイル!
いしづみたかゆきの英国徒然漫遊紀行⑥〜聖地巡礼編
ロンドン市内のクイーン関連スポットを巡るガイド
石角隆行(クイーン研究家)
連載6回目、最終回はロンドン市内のクイーン関連スポットを巡るガイドです。これからロンドンを訪れる方の参考にして頂ければ。
■ ケンジントン編
ロンドン中心部のオックスフォード・サーカス(Oxford Circus)駅から約20分。地下鉄のサークル線(Circle Line)、ディストリクト線(DistrictLine)のハイストリート・ケンジントン(High Street Kensington)駅で降りると、そこはクイーン関連の聖地密集地域。早速あるのは駅出口を背に右に歩いた隣、フレディの恋人、メアリー・オースティンさんが働いていたブティック、BIBAがあった建物。さらに駅とは反対方向に歩くと、ケンジントン・マーケット跡地。フレディがまだクイーン加入前の1969 年の夏頃、ロジャーと共に小さなファッション雑貨店をここにオープンさせました。お店は1970年の9月、ふたりが敬愛していたジミ・ヘンドリックスの急逝を機に閉めています。建物内にはファッションやカフェなどの様々な店が並び60〜70年代にはロンドン・ファッションの震源地のひとつとも言われましたが2000年1月に閉鎖。外観から当時の面影がうかがえます。
再びハイストリート・ケンジントン駅に戻り、徒歩5分の距離にあるのはフレディがフェルサムにある実家を離れ、最初に住んだフラット。閑静な住宅街にある白亜の建物で、日本のアパートやマンションに相当。この中に複数のフラット(ワンルーム)が入っています。ここは70年の秋ごろからメアリーさんと同居が始まったところ。ハイストリート・ケンジントン駅周辺にフラット、BIBA、ケンジントン・マーケットがあり、クイーン・デビュー前夜のフレディの生活圏がしのばれます。
そしてハイストリート・ケンジントン駅から地下鉄ディストリクト線に乗って1駅、アールズ・コート(EarlsCourt)駅で降ります。1977 年6月にシルヴァー・ジュビリー・コンサートを開いたアールズ・コートがある場所。ここから10分ほど歩くとフレディが生前、最期まで過ごした自宅、ガーデン・ロッジ(Garden Lodge)があります。フレディがこの瀟洒な一軒家を購入したのは1980年。生活の拠点にしたのは1986年頃。夏前には日本人ガーデナーの髙原竜太朗さんを雇用し日本庭園の造園にも着手。「マジック」ツアー(1986年)が終わった頃から1991年に亡くなるまで過ごした場所。私が初めて彼の地を訪れたのは1995年9月。当時は通用口や壁の壁面の至るところに落書きがありましたが、現在は綺麗に整えられフレディが住んでいたころの佇まいになっています。ガーデン・ロッジは前述のハイストリート・ケンジントン駅からも歩けます。青年期から晩年までフレディが愛したケンジントン地区。そんな想いに馳せながらこの地域を散策するとフレディの息吹が感じさせられます。
※フレディが最初に一人暮らししていたフラット;12 Stafford Terrace, Kensington
※フレディが最後に過ごした家:1 Logan Place, Kensington
■ スマイルやクイーンのギグが行なわれたブライアンの母校
地下鉄ピカデリー線(Piccadilly Line)のサウス・ケンジントン(South Kensington)駅を降り5〜6分歩くとブライアンの母校、インペリアル・カレッジに着きます。1968年夏、ブライアンがドラマー募集の広告を学内の掲示板に載せ、ロジャーが応募して、クイーンの前身バンド、スマイルが始動した場所でもあります。同校の並びには王立音楽大学(Royal College of Music)があり、その向かいにはロイヤル・アルバート・ホールがあります。1969年2月27日、ティム・スタッフウェルとブライアン、ロジャーの3人体制でのスマイルが初ライヴを行なった会場です。同ホールを背に撮影した3人の写真を見たことある方も多いでしょう。インペリアル・カレッジと隣り合わせにあるのはちょっと感動します。そしてこのホールの隣にあるのが当時の学生会館。スマイルやクイーンはここで練習していました。残念ながら校内には関係者以外、入ることは出来ませんが、門には “QUEEN first public performance in London Here / 18 July 1970” と書かれたプラーク(看板)が掛けられ、こちらは外からも見られます。私はせっかく来たのだからと、校内に入る学生の後から入場。学内の購買店でインペリアル・カレッジのパーカーにTシャツ、ネックストラップを購入し、学食でお茶を楽しんできました。ブライアンもここで過ごしたんだなぁと思い巡らせながら。ただし一般の方は校内には入れませんので、購買店や学食に行かれる際はうまくやってください(笑)。インペリアル・カレッジはガーデン・ロッジからも歩いて20分ぐらいの距離なので、ケンジントン地区からの散歩にもイイと思います。
地下鉄ピカデリー線(Piccadilly Line)のサウス・ケンジントン(South Kensington)駅を降り5〜6分歩くとブライアンの母校、インペリアル・カレッジに着きます。1968年夏、ブライアンがドラマー募集の広告を学内の掲示板に載せ、ロジャーが応募して、クイーンの前身バンド、スマイルが始動した場所でもあります。同校の並びには王立音楽大学(Royal College of Music)があり、その向かいにはロイヤル・アルバート・ホールがあります。1969年2月27日、ティム・スタッフウェルとブライアン、ロジャーの3人体制でのスマイルが初ライヴを行なった会場です。同ホールを背に撮影した3人の写真を見たことある方も多いでしょう。インペリアル・カレッジと隣り合わせにあるのはちょっと感動します。そしてこのホールの隣にあるのが当時の学生会館。スマイルやクイーンはここで練習していました。残念ながら校内には関係者以外、入ることは出来ませんが、門には “QUEEN first public performance in London Here / 18 July 1970” と書かれたプラーク(看板)が掛けられ、こちらは外からも見られます。私はせっかく来たのだからと、校内に入る学生の後から入場。学内の購買店でインペリアル・カレッジのパーカーにTシャツ、ネックストラップを購入し、学食でお茶を楽しんできました。ブライアンもここで過ごしたんだなぁと思い巡らせながら。ただし一般の方は校内には入れませんので、購買店や学食に行かれる際はうまくやってください(笑)。インペリアル・カレッジはガーデン・ロッジからも歩いて20分ぐらいの距離なので、ケンジントン地区からの散歩にもイイと思います。
■ 数々の名盤が生まれたトライデント・スタジオ
ファースト・アルバム『戦慄の王女』からサード・アルバム『シアー・ハート・アタック』に「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」が録音されたトライデント・スタジオはロンドンの中心地区、ソーホー(Soho)にあります。この辺りはパブやBARに飲食店がひしめくエリア。新宿歌舞伎町や渋谷、大阪のミナミやキタのような一大繁華街。そんな場所にあるのがザ・ビートルズの「ヘイ・ジュード」やエルトン・ジョンの「ユア・ソング」等がレコーディングされた名門スタジオ、トライデント・スタジオ。1981年頃に売却されたそうですが、私が初めてブライアン、ロジャーを取材したのが2011年の2月での同スタジオ。少なくとも11年前はまだスタジオ機能が残されていましたが、現在はトライデント・ハウスと書かれた表札があるのみで中は改装工事中でした。ちなみにここの玄関には「デヴィッド・ボウイが『スペース・オディティ』を始め幾つかのアルバムをここで録音」というブルー・プラーク(英国内の史跡案内板)がかけられてました。「クイーンと違うんかい!」とツッコミを入れたことは言うまでもありませんが。
さてトライデント・スタジオから表通りに出た斜め向かいに、『ミュージック・ライフ』がクイーンを初めて撮り下ろした場所があります。撮影されたのは1974年7月、カメラマンは長谷部宏さん。折りしも『シアー・ハート・アタック』の録音の真っ最中。ブライアンが写ってないのは、ちょうど入院中でレコーディングを欠席していたため。トライデント・スタジオでの作業を抜けて、ちょっとその辺で撮影しましょうか?という場所にありました。ケンジントン地区散歩でもそうでしたが、実際に現地を歩いてみるとその距離感が体感できます。ソーホーの最寄り駅は地下鉄・ピカデリー線&べーカールー線(Bakerloo Line)のピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)駅、もしくはべーカールー線、セントラル線(Central Line)、ヴィクトリア線(Victoria Line)のオックスフォード・サーカス(Oxford Circus)駅から徒歩10分ぐらいの距離です。
※トライデント・スタジオ跡地:17 St Anne’s Court, Soho
※ML初撮影場所:143 Wardour Street, Soho
ファースト・アルバム『戦慄の王女』からサード・アルバム『シアー・ハート・アタック』に「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」が録音されたトライデント・スタジオはロンドンの中心地区、ソーホー(Soho)にあります。この辺りはパブやBARに飲食店がひしめくエリア。新宿歌舞伎町や渋谷、大阪のミナミやキタのような一大繁華街。そんな場所にあるのがザ・ビートルズの「ヘイ・ジュード」やエルトン・ジョンの「ユア・ソング」等がレコーディングされた名門スタジオ、トライデント・スタジオ。1981年頃に売却されたそうですが、私が初めてブライアン、ロジャーを取材したのが2011年の2月での同スタジオ。少なくとも11年前はまだスタジオ機能が残されていましたが、現在はトライデント・ハウスと書かれた表札があるのみで中は改装工事中でした。ちなみにここの玄関には「デヴィッド・ボウイが『スペース・オディティ』を始め幾つかのアルバムをここで録音」というブルー・プラーク(英国内の史跡案内板)がかけられてました。「クイーンと違うんかい!」とツッコミを入れたことは言うまでもありませんが。
さてトライデント・スタジオから表通りに出た斜め向かいに、『ミュージック・ライフ』がクイーンを初めて撮り下ろした場所があります。撮影されたのは1974年7月、カメラマンは長谷部宏さん。折りしも『シアー・ハート・アタック』の録音の真っ最中。ブライアンが写ってないのは、ちょうど入院中でレコーディングを欠席していたため。トライデント・スタジオでの作業を抜けて、ちょっとその辺で撮影しましょうか?という場所にありました。ケンジントン地区散歩でもそうでしたが、実際に現地を歩いてみるとその距離感が体感できます。ソーホーの最寄り駅は地下鉄・ピカデリー線&べーカールー線(Bakerloo Line)のピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)駅、もしくはべーカールー線、セントラル線(Central Line)、ヴィクトリア線(Victoria Line)のオックスフォード・サーカス(Oxford Circus)駅から徒歩10分ぐらいの距離です。
※トライデント・スタジオ跡地:17 St Anne’s Court, Soho
※ML初撮影場所:143 Wardour Street, Soho
■ フェアリー・フェラーの神技の元絵!
『クイーン II』に収められた「The Fairy Feller’s Master Stroke」はフレディがリチャード・ダッド(1817〜1886)が描いた同名の油彩画にインスパイアされて書かれた曲。この絵画が収蔵されているのはテイト・ブリテン美術館(Tate Britain)。館内の妖精部屋というコーナーにあります。曲の邦題は「フェアリー・フェラーの神技」ですが、絵の邦題は「お伽の樵の入神(神技)の一撃」。実際の絵は拍子抜けするほど小さいですが、「フェアリー・フェラーの神技」を聴きながらこの絵を眺めるとフレディの脳内世界が垣間見えるよう。行かれる方は是非、曲と共に絵を鑑賞してください。館内SHOPには収蔵絵画のポストカードが販売されているのですが、ある一角だけ抜け落ちています。店員さんに「The Fairy Feller’s Master Stroke」のポストカードはないか?と訊ねると、「Out of Stock!」と言われました。おそらく日本の観光客が買い占めたのでは? おみやげには最適ですものね。買えなくて残念ではありましたが。この美術館、入館料は無料。お時間あれば是非、他の作品も鑑賞してください。
テイト・ブリテン美術館はオックスフォード・サーカス駅から約15分、地下鉄ヴィクトリア線のピムリコ(Pimlico)駅下車、徒歩8分。テムズ川沿いに建てられており、対岸にはかの007/ジェイムズ・ボンドが勤務した英国秘密情報部、通信MI6の建物があります。
※テイト・ブリテン美術館:Millbank, London
『クイーン II』に収められた「The Fairy Feller’s Master Stroke」はフレディがリチャード・ダッド(1817〜1886)が描いた同名の油彩画にインスパイアされて書かれた曲。この絵画が収蔵されているのはテイト・ブリテン美術館(Tate Britain)。館内の妖精部屋というコーナーにあります。曲の邦題は「フェアリー・フェラーの神技」ですが、絵の邦題は「お伽の樵の入神(神技)の一撃」。実際の絵は拍子抜けするほど小さいですが、「フェアリー・フェラーの神技」を聴きながらこの絵を眺めるとフレディの脳内世界が垣間見えるよう。行かれる方は是非、曲と共に絵を鑑賞してください。館内SHOPには収蔵絵画のポストカードが販売されているのですが、ある一角だけ抜け落ちています。店員さんに「The Fairy Feller’s Master Stroke」のポストカードはないか?と訊ねると、「Out of Stock!」と言われました。おそらく日本の観光客が買い占めたのでは? おみやげには最適ですものね。買えなくて残念ではありましたが。この美術館、入館料は無料。お時間あれば是非、他の作品も鑑賞してください。
テイト・ブリテン美術館はオックスフォード・サーカス駅から約15分、地下鉄ヴィクトリア線のピムリコ(Pimlico)駅下車、徒歩8分。テムズ川沿いに建てられており、対岸にはかの007/ジェイムズ・ボンドが勤務した英国秘密情報部、通信MI6の建物があります。
※テイト・ブリテン美術館:Millbank, London
■ ロンドン郊外、フェルサムにはフレディの実家跡があります
ロンドン聖地巡り、ここまでは市内中心エリアにありアクセスも便利でしたが、最後はちょっとハードルが高い場所にあります。フレディ一家がロンドンで最初に住んだフェルサム地区。アフリカのザンジバルで外交関連の仕事をしていたバルサラ家は、国内の政情が不安定になったのを機にロンドンに移住します。1964年1月、フレディ、17歳の頃でした。バルサラ一家が住んだフェルサムはヒースロー空港の近く。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の冒頭シーンでフレディがヒースロー空港でアルバイトしている姿が映し出されてましたが、なるほど、自宅から近かったんですね。ちなみにここからケンジントン地区まではバスと地下鉄を乗り継いで約60分。また「ライヴエイド」会場のウェンブリー・スタジアムまでは車で約30分と至近距離。ガーデン・ロッジからフェルサムの実家に行ってスタジアムまで1時間ちょっとで移動できます。もっともあれは映画内のフィクションですが。
さてバルサラ一家宅、現在は他の方がお住まいなので中には入れませんが、壁には “FREDDIE MERCURY lived here” と書かれたブルー・プラークがかけらています。こちらは住民の方のご迷惑にならない程度で撮影も出来ます。またフェルサムの中心部には台座に “フレディがフェルサムの住人” と書かれた記念樹も植えられています。フェルサムを訪問される際は、帰国日がおすすめ。ヒースロー空港に荷物を預けタクシーで向かえば約20分で行けます。
※かつてフレディが住んでいた家:22 Gladstone Avenue, Feltham
ロンドン聖地巡り、ここまでは市内中心エリアにありアクセスも便利でしたが、最後はちょっとハードルが高い場所にあります。フレディ一家がロンドンで最初に住んだフェルサム地区。アフリカのザンジバルで外交関連の仕事をしていたバルサラ家は、国内の政情が不安定になったのを機にロンドンに移住します。1964年1月、フレディ、17歳の頃でした。バルサラ一家が住んだフェルサムはヒースロー空港の近く。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の冒頭シーンでフレディがヒースロー空港でアルバイトしている姿が映し出されてましたが、なるほど、自宅から近かったんですね。ちなみにここからケンジントン地区まではバスと地下鉄を乗り継いで約60分。また「ライヴエイド」会場のウェンブリー・スタジアムまでは車で約30分と至近距離。ガーデン・ロッジからフェルサムの実家に行ってスタジアムまで1時間ちょっとで移動できます。もっともあれは映画内のフィクションですが。
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※かつてフレディが住んでいた家:22 Gladstone Avenue, Feltham
この他、市内のハード・ロック・カフェにもクイーン関連のメモラビリアを見られます。地下鉄ハイド・パーク・コーナー駅近くの “Hard Rock Café LONDON” には『Jazz』のゴールド・ディスクやブライアンの衣装、マーブル・アーチ駅近くの “Hard Rock Café” 地下にはフレディが使っていた中国製のアンティーク椅子、 “Hard Rock Hotel London” のロビーにはフェルサムの実家に置いてあったアップライト・ピアノが展示されています。
ここで紹介した聖地巡りは1日もあれば充分に巡れます。ロンドンに行かれる機会あれば是非、訪れてみて下さい。
ここで紹介した聖地巡りは1日もあれば充分に巡れます。ロンドンに行かれる機会あれば是非、訪れてみて下さい。
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■石角隆行の著作

クイーン全曲ガイド
1,650円
著者:石角隆行
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クイーン全曲ガイド2 ライヴ&ソロ編
1,760円
著者:石角隆行
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クイーン 誇り高き闘い
3,520円
ジャッキー・スミス/ジム・ジェンキンズ(著)
田村亜紀(訳)
ジャッキー・スミス/ジム・ジェンキンズ(著)
田村亜紀(訳)
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クイーン・フォトグラフス ニール・プレストン写真集
通常盤:8,800円
SMRS直販・特典付:8,800円 送料として別途650円
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通常盤:3,300円
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