レッキング・クルーのギタリスト、ビル・ピットマンが102歳で死去

60~70年代にLAを拠点に活動していた伝説的セッション・ミュージシャン集団、ザ・レッキング・クルー(The Wrecking Crew)のギタリストだったビル・ピットマン(Bill Pitman)が8月11日、カリフォルニア州の自宅にて102歳で死去しました。

妻のジャネットが『ニューヨーク・タイムズ』に語ったところによると、転倒により背骨を骨折したピットマンは、リハビリセンターに4週間入院した後、自宅でホスピス・ケアを受けていた中で亡くなったそうです。
ピットマンは1920年にニュージャージー州で生まれ、ベーシストだった父の影響もあり、幼い頃から楽器を手にしていました。高校時代からマンハッタンのジャズ・クラブに通い、チャーリー・パーカーらの演奏を聴いていたピットマンは、その後カリフォルニア州に移住し、ロサンゼルス音楽院で学んだ後、1951年にペギー・リーのバンドに加入しました。

1957年からフィル・スペクターにジャズ・ギターを教えていたピットマンは、それを機にスペクターがプロデュースした楽曲に参加するようになり、セッション・ギタリストとして活動を開始しました。

1963年には、スペクターがプロデュースしたロネッツの「Be My Baby」にトミー・テデスコらと参加。この曲が大ヒットしたことで、スペクターのお気に入りとなったピットマンは、同シングルのB面にトミー・テデスコと演奏したジャム・セッション「テデスコ&ピットマン」が収録されました。ピットマンは、共演したミュージシャンらと共にLAの大手レコード・レーベルから引く手あまたとなり、このセッション・ミュージシャン集団が、後にレッキング・クルーと呼ばれるようになりました。
ピットマンは、ビーチ・ボーイズ、ザ・バーズ、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、サム・クック、ハーブ・アルパート、B.J.トーマスらの名曲に参加した後、1973年にセッション・ミュージシャンとしての活動を停止しましたが、その後もバート・バカラックやアンソニー・ニューリー、ヴィッキー・カーらのツアーに参加したほか、1987年の映画『Dirty Dancing』や1990年の『Goodfellas』をはじめとする多数の映画やTV番組のサントラで演奏し、1989年に引退しました。

2008年には、レッキング・クルーのドキュメンタリー映画『The Wrecking Crew』(邦題『レッキング・クルー ~伝説のミュージシャンたち』が公開され、監督を務めたデニー・テデスコ(トミー・テデスコの息子)は、次の追悼メッセージを発表しています。

「私は、幼い頃からビル・ピットマンを知っていました。彼は父の友人で、父とギターを弾き、ゴルフをしていたのです。しかしながら、私が彼の影響力を理解したのは、大人になってからでした」

安らかなる眠りをお祈りいたします。

ザ・ビーチ・ボーイズ「グッド・ヴァイブレーションズ」やザ・バーズ「ミスター・タンブリンマン」のレコーディングでは、演奏は一部本人らをフィーチャーしつつも、実際にはピットマンはじめハル・ブレインやレオン・ラッセルなど、レッキング・クルーのメンバーが起用されているのだとか。

商品詳細
『レッキング・クルー 〜伝説のミュージシャンたち〜』
ブライアン・ウィルソン、シェール(出演)、デニー・テデスコ(監督) 

Blu-ray(2016/10/5)¥4,548
DVD(2016/10/5)¥3,347

商品詳細
The Wrecking Crew 
『レッキング・クルー〜オリジナル・サウンドトラック』


4CDs(2020/10/28)¥4,180
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