ザ・ポーグスのフロントマン、シェイン・マガウアンが65歳で死去
ザ・ポーグス「A Pair Of Brown Eyes」7インチ・シングル(Stiff:1985)スリーヴより。
はっきりした死因は公表されていませんが、長年アルコールと薬物の問題をかかえていたマガウアンは、2022年12月に脳炎で入院した後、今年6月には特定不能の健康問題で入院し、先週退院したばかりでした。
1957年のクリスマスに英ケント州で生まれたマガウアンは、6歳までアイルランドで育った後、イングランド南東部の様々な場所に住んでいました。10代からパンクに夢中になり、1976年にニップル・エレクターズに加入し、また70年代後半にはミルウォール・チェインソーズ(ニュー・リパブリカンズ)で歌っていました。
その後、1982年にピーター・“スパイダー”・ステイシーらとザ・ポーグスを結成し、1984年にデビュー・アルバム『Red Roses for Me』(邦題『赤い薔薇を僕に』)を発表。バンドは、時事的な話題性のあるソングライティングで評価されていましたが、エルヴィス・コステロがプロデュースした1985年のセカンド・アルバム『Rum Sodomy & the Lash』(邦題『ラム酒、愛、そして鞭の響き』)でブレイクし、1988年のサード・アルバム『If I Should Fall from Grace with God』(邦題『堕ちた天使』)から、マガウアンが共作したクリスマス・ソング「Fairytale of New York」(邦題「ニューヨークの夢」)が、アイルランドで1位、UKで2位を記録する大ヒットになりました。
しかしながら1991年の日本ツアー中、マガウアンは度重なる問題行動によりバンドを解雇され、翌1992年にシェイン・マガウアン&ザ・ポープスを結成、2枚のスタジオ・アルバムをリリースしました。
その後、ポーグスと2001年に再結成ツアーを行ない、2004年から2009年までバンドとツアーを続け、2010年にはシェーン・ギャングというグループも結成しましたが、2015年に転倒により骨盤を骨折し、車椅子生活を余儀なくされていました。
なお、2020年には、マガウアンのドキュメンタリー『Crock of Gold : A Few Rounds With Shane MacGowan』(邦題『シェイン 世界が愛する厄介者のうた』)が公開されています(2020年10月30日MLCニュース)。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
※アイルランド、マイケル・D・ヒギンズ大統領のインスタグラム
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