ジェファーソン・スターシップのオリジナル・ドラマー、ジョン・バーベイタが79才で死去
Jefferson Starship『Spitfire』(Grunt:1976)
左がジャケット、右はインタースリーヴのメンバー写真。下段中央にジョン・バーベイタ。
左がジャケット、右はインタースリーヴのメンバー写真。下段中央にジョン・バーベイタ。
ジェファーソン・スターシップのオリジナル・ドラマーで、ジェファーソン・エアプレイン、タートルズ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)でも活躍したジョン・バーベイタ(John Barbata)が5月8日、79才で死去しました。
ジェファーソン・スターシップとジェファーソン・エアプレインがそれぞれ訃報を伝えており、後者のフェイスブックには次のように綴られています。
「並外れた才能で知られるジョンは、タートルズ、CSN&Y、ジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップなどと共演し、音楽界に足跡を残しました。1972年、CSN&Yの活動休止中にデヴィッド・クロスビーがジョンをエアプレインに紹介し、ジョンは即座に採用されました。ジョンのドラム・スキルは、エアプレイン最後のスタジオ・アルバム『Long John Silver』や、ライヴ・アルバム『Thirty Seconds Over Winterland』で聴くことができます。安らかに、ジョン」
ジェファーソン・スターシップとジェファーソン・エアプレインがそれぞれ訃報を伝えており、後者のフェイスブックには次のように綴られています。
「並外れた才能で知られるジョンは、タートルズ、CSN&Y、ジェファーソン・エアプレイン、ジェファーソン・スターシップなどと共演し、音楽界に足跡を残しました。1972年、CSN&Yの活動休止中にデヴィッド・クロスビーがジョンをエアプレインに紹介し、ジョンは即座に採用されました。ジョンのドラム・スキルは、エアプレイン最後のスタジオ・アルバム『Long John Silver』や、ライヴ・アルバム『Thirty Seconds Over Winterland』で聴くことができます。安らかに、ジョン」

1945年にニュージャージー州パサイックで生まれたバーベイタは、兄の影響でドラムを演奏し始め、高校時代からいくつかのバンドで演奏していました。
1966年、ザ・バーズのジーン・クラークの勧めでタートルズのオーディションを受け、後の大ヒット曲「Happy Together」(1967年)の演奏に間に合うようバンド・メンバーになり、「She’d Rather Be With Me」「You Showed Me」「Elenore」「She’s My Girl」などのヒット曲でも演奏し、『エド・サリヴァン・ショー』や『スマザーズ・ブラザーズ・コメディ・アワー』『アメリカン・バンドスタンド』などのTV番組にも出演しました。
1969年までタートルズに在籍したバーベイタは、1970年にCSN&Yのドラマーにスカウトされ、同年のシングル「Ohio」と1971年のライヴ・アルバム『4 Way Street』に参加したほか、ニール・ヤングの『Time Fades Away』や、グラハム・ナッシュの『Songs for Beginners』を含めた4人全員のソロ・プロジェクトでも演奏していました。
1972年、CSN&Yの活動休止中にクロスビーからジェファーソン・エアプレインに紹介され、バンド最後のスタジオ・アルバム『Long John Silver』と、ライヴ・アルバム『Thirty Seconds Over Winterland』に参加。1974年にバンドがジェファーソン・スターシップに改名した際に創設メンバー/オリジナル・ドラマーになり、バンドのデビュー・アルバム『Dragon Fly』から1978年の『Earth』まで4枚のアルバムに参加しましたが、1978年の自動車事故で首、腕、顎を骨折し、治療に1年を要したバーベイタは、バンド離脱を余儀なくされました。
音楽業界の主流から引退したバーベイタは、カリフォルニア州コンプチにレコーディングスタジオを建て、地元で音楽活動を続けた後、80年代後半にオクラホマ州に移住し、妻のアンジェラ・エヴァンスと2枚のアルバムをリリースしたほか、昔のバンド仲間と演奏を続け、2005年には、回顧録『The Legendary Life of a Rock Star Drummer』を出版し、本のサイン会も行なっていました。
なお、セッション・ドラマーとしても活躍していたバーベイタは、リンダ・ロンシュタット、ライ・クーダー、ジョニー・リヴァース、ジョン・セバスチャン、エヴァリー・ブラザーズ、ジュディ・シルなど、多数のレコーディングにも参加していました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
1966年、ザ・バーズのジーン・クラークの勧めでタートルズのオーディションを受け、後の大ヒット曲「Happy Together」(1967年)の演奏に間に合うようバンド・メンバーになり、「She’d Rather Be With Me」「You Showed Me」「Elenore」「She’s My Girl」などのヒット曲でも演奏し、『エド・サリヴァン・ショー』や『スマザーズ・ブラザーズ・コメディ・アワー』『アメリカン・バンドスタンド』などのTV番組にも出演しました。
1969年までタートルズに在籍したバーベイタは、1970年にCSN&Yのドラマーにスカウトされ、同年のシングル「Ohio」と1971年のライヴ・アルバム『4 Way Street』に参加したほか、ニール・ヤングの『Time Fades Away』や、グラハム・ナッシュの『Songs for Beginners』を含めた4人全員のソロ・プロジェクトでも演奏していました。
1972年、CSN&Yの活動休止中にクロスビーからジェファーソン・エアプレインに紹介され、バンド最後のスタジオ・アルバム『Long John Silver』と、ライヴ・アルバム『Thirty Seconds Over Winterland』に参加。1974年にバンドがジェファーソン・スターシップに改名した際に創設メンバー/オリジナル・ドラマーになり、バンドのデビュー・アルバム『Dragon Fly』から1978年の『Earth』まで4枚のアルバムに参加しましたが、1978年の自動車事故で首、腕、顎を骨折し、治療に1年を要したバーベイタは、バンド離脱を余儀なくされました。
音楽業界の主流から引退したバーベイタは、カリフォルニア州コンプチにレコーディングスタジオを建て、地元で音楽活動を続けた後、80年代後半にオクラホマ州に移住し、妻のアンジェラ・エヴァンスと2枚のアルバムをリリースしたほか、昔のバンド仲間と演奏を続け、2005年には、回顧録『The Legendary Life of a Rock Star Drummer』を出版し、本のサイン会も行なっていました。
なお、セッション・ドラマーとしても活躍していたバーベイタは、リンダ・ロンシュタット、ライ・クーダー、ジョニー・リヴァース、ジョン・セバスチャン、エヴァリー・ブラザーズ、ジュディ・シルなど、多数のレコーディングにも参加していました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。


商品情報
ジェファーソン・スターシップ
『Original Album Classics』
3CDs(2015/3/20)輸入盤
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商品情報
ジェファーソン・スターシップ
『Touchdown : The Central Park Broadcast, 1976』
2CDs(2017/1/13)輸入盤
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商品情報
クロスビー,スティルス,ナッシュ&ヤング
『4ウェイ・ストリート』
CD(2016/7/20)¥2,312
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