アイアン・バタフライの創設メンバー、ダグ・イングルが78才で死去

アイアン・バタフライ『In-A-Gadda-Da-Vida』(ATCO:1968年)
米サイケデリック・ロック・バンド、アイアン・バタフライ(Iron Butterfly)の創設メンバーで、リード・ヴォーカル/オルガン/作曲を担当したダグ・イングル(Doug Ingle)が5月24日、78才で死去しました。

息子がSNSで訃報を伝えており、イングルは5月24日の夜、家族に見守られながら安らかに息を引き取ったそうです。

3作目『Ball』のインナースリーヴより。右がダグ・イングル。

1945年にネブラスカ州オマハで生まれたイングルは、生後3か月で家族とサンディエゴに移り、教会のオルガン奏者だった父の影響で幼少期から音楽を聴いていました。

イングルは、1966年にサンディエゴでダニー・ウェイスらとアイアン・バタフライを結成し、1年後に拠点をロサンゼルスに移したバンドは、1968年1月にデビュー・アルバム『Heavy』を発表しました。

それからわずか半年後、バンドはセカンド・アルバム『In-A-Gadda-Da-Vida』を発表し、81週にわたりUSチャートのトップ10入りを果たした同作は、USチャートで81週にわたりトップ10入りを果たし、マルチ・プラチナとなる成功を収めました。イングルが書いたタイトル曲のオリジナル・ヴァージョンは17分にも及び、同曲はラジオ用に3分のヴァージョンに短縮されたもののトップ40ヒットとなり、当時最も影響力のあった曲の一つになりました。この曲はその後数十年にわたり、スレイヤーやザ・シンプソンズがカヴァーしています。
またバンドは、60年代を代表するドアーズやクリーム、ザ・フー、バッファロー・スプリングフィールド、ジャニス・ジョプリンらとツアーを行ない、1969年のオリジナル・ウッドストック・フェスティバルにも出演する予定でしたが、NYCのラガーディア空港で立ち往生する羽目になり、結果的にマネージャーと主催者側とのミス・コミュニケーションにより、出演に至りませんでした。

バンドは1969年のサード・アルバム『Ball』に続き、1970年にもアルバム『Metamorphosis』をリリースしましたが、バンドをスターダムにのし上げたセカンド・アルバム『In-A-Gadda-Da-Vida』の成功には及ばず、1971年に解散しました。

それから3年後、バンドは再結成したもののイングルは参加せず、1978年から再加入したイングルは、80年代から90年代にかけてバンドとツアーを行ない、1999年にパフォーマンスから正式に引退していました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品情報
アイアン・バタフライ
『In-A-Gadda-Da-Vida』


Amazon Music・MP3( JUN 14 1968)¥1,500
CD(1990/10/25)輸入盤
商品情報
Iron Butterfly
『Ball』


Amazon Music・MP3(JAN 17 1969)¥1,500
商品情報
アイアン・バタフライ
『Iron Butterfly - Original Album Series』


5CDs(2016/11/18)輸入盤
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