70年代ノー・ウェイヴのパイオニア、ジェイムズ・チャンスが71歳で死去

James White & The Blacks『Off White』(ZE:1979)
70年代末にNYで起こったアングラな音楽ムーヴメント、ノー・ウェイヴ(No wave)のパイオニアで、サックス奏者/キーボーディスト/シンガー/ソングライターのジェイムズ・チャンス(別名ジェイムズ・ホワイト)(James Chance/James White)が6月18日、71歳で死去しました。

兄弟が訃報を伝えていますが、死因は発表されておらず、チャンスは長年にわたり病気を患い、ニューヨークで家族に見守られながら息を引き取ったそうです。
1953年にミルウォーキーで生まれたチャンスは、ミシガン州の大学に通いながらバンドで演奏を始め、70年代半ばにニューヨークへ移り、フリージャズやパンク・シーンに関わるようになりました。

1976年にNYCでリディア・ランチとノー・ウェイヴ・バンドのティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス(Teenage Jesus and the Jerks)を結成しましたが、チャンスの在籍期間は短く、翌1977年にジャズ・ファンク・パンク・グループのザ・コントーションズ(The Contortions)を結成し、自身の特徴的なスタイルを広げ始めました。同バンドの結成理由について、チャンスは後のインタヴューで、「ニューヨークの様々なシーンの間にある溝を修復したい」と話し、自身の情熱的で混沌としたサックス演奏をパンクのヴォーカル、ファンキーなリズム、全体的に熱烈なサウンドと融合させました。

称賛を集めたバンドは、ブライアン・イーノがプロデュースした1978年のノー・ウェイヴ・コンピレーション・アルバム『No New York』にフィーチャーされ、またバンドは、観客との間で暴力や対立が起こる騒々しいライヴでも知られるようになりましたが、チャンスとバンド・メンバーとの摩擦により1979年に解散しました。

その後、チャンスは別名義でジェイムズ・ホワイト&ザ・ブラックス(James White and the Blacks)を結成し、1982年にアルバム『Sax Maniac』をリリースしたほか、ローザ・フォン・プラウンハイム監督の映画『Das Todesmagazin』(1979年)や、ジャン=ミシェル・バスキア主演の『Downtown 81』などにも出演していました。

80年年代初頭以降、チャンスは一時的に半引退状態に陥ったこともあったものの、90年代にはブロンディ1999年のアルバム『No Exit』にサックスで参加、2000年代にはザ・コントーションズのメンバーと再結成し、数々のライヴを行ないました。2016年には、コントーションズのアルバム『The Flesh is Weak』をリリースしましたが、これが最後の作品になりました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品詳細
ジェイムス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ
『バイ』


CD(2009/11/18)¥2,268(紙ジャケット仕様)
商品詳細
ジェイムス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ
『ライヴ・イン・パリ1980』


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