ビー・ジーズのヒット曲で演奏したドラマー二人が相次いで死去
ビー・ジーズ1978年の大ヒット曲「Stayin’ Alive」などで演奏したドラマーのデニス・ブライオン(Dennis Bryon)が、11月14日に75歳で亡くなり、ビー・ジーズに1967年から1969年まで在籍したオリジナル・ドラマーのコリン・ピーターセン(Colin Petersen)が、11月18日に78歳で死去しました。
ブライオンの訃報は、元ビー・ジーズのブルー・ウィーヴァーがフェイスブックで伝え、ピーターセンの訃報は、彼が参加していたビー・ジーズのトリビュート・バンド、ザ・ベスト・オブ・ビー・ジーズが発表しており、同バンドのメンバーによると、ピーターセンは転落死したそうです。
ブライオンの訃報は、元ビー・ジーズのブルー・ウィーヴァーがフェイスブックで伝え、ピーターセンの訃報は、彼が参加していたビー・ジーズのトリビュート・バンド、ザ・ベスト・オブ・ビー・ジーズが発表しており、同バンドのメンバーによると、ピーターセンは転落死したそうです。


ビー・ジーズ、1979年リリース『Spirits Having Flown』(ジャケットは本ページトップの右側)インナースリーヴより。中央がデニス・ブライオン。
1949年に英ウェールズのカーディフで生まれたブライオンは、10代からドラムを始め、UKバンドのエイメン・コーナー(Amen Corner)で成功した後、1973年にビー・ジーズに加入しました。
1980年までビー・ジーズに在籍したブライオンは、バンド1974年のアルバム『Mr. Natural』から1979年の『Spirits Having Flown』まで参加し、中でも1977年の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラ・アルバムから、「Stayin’ Alive」「Night Fever」「More Than a Woman」「How Deep Is Your Love」「You Should Be Dancing」が大ヒットしました。
このほか、ブライオンはビー・ジーズのロビン・ギブが1983年に発表したセカンド・ソロ・アルバム『How Old Are You?』の共同プロデュースを手掛け、2015年には、ビー・ジーズとの日々を綴った自伝『You Should Be Dancing:My Life with the Bee Gees』を出版していました。
1980年までビー・ジーズに在籍したブライオンは、バンド1974年のアルバム『Mr. Natural』から1979年の『Spirits Having Flown』まで参加し、中でも1977年の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラ・アルバムから、「Stayin’ Alive」「Night Fever」「More Than a Woman」「How Deep Is Your Love」「You Should Be Dancing」が大ヒットしました。
このほか、ブライオンはビー・ジーズのロビン・ギブが1983年に発表したセカンド・ソロ・アルバム『How Old Are You?』の共同プロデュースを手掛け、2015年には、ビー・ジーズとの日々を綴った自伝『You Should Be Dancing:My Life with the Bee Gees』を出版していました。

ビー・ジーズ、1968年リリース『Horizontal』。ギブ3兄弟に囲まれるようにして立っている金髪の人物がコリン・ピーターセン。
一方のコリン・ピーターセンは、1946年にオーストラリアのクイーンズランドで生まれ、7歳から子役として俳優のキャリアをスタートさせ、9歳の時にコメディ映画『Smiley』で主役を務めたことから、“スマイリー” のニックネームで呼ばれていました。
その後、12歳で俳優を引退したピーターセンは、同じ学校に通っていたビー・ジーズ3兄弟(バリー、ロビン、モーリス)と再び連絡を取るようになり、1967年にビー・ジーズの初代ドラマーになりました。
ピーターセンは1969年までバンドに在籍し、1967年のヒット曲「To Love Somebody」や、1968年の「I’ve Gotta Get a Message to You」「I Started a Joke」などで演奏していましたが、バンドの出版権を所有し、財政管理もしていたマネージャーと衝突したことで解雇されました。
その後、1970年にアイルランド人シンガーのジョナサン・ケリーと、UKフォーク・ロック・バンドのハンピー・ボング(Humpy Bong)を結成したものの間もなく解散し1974年にオーストラリアに戻り、晩年はシドニーで画家として暮らしつつ、ビー・ジーズのトリビュート・バンドで演奏していました。
お二人の安らかなる眠りをお祈りいたします。
その後、12歳で俳優を引退したピーターセンは、同じ学校に通っていたビー・ジーズ3兄弟(バリー、ロビン、モーリス)と再び連絡を取るようになり、1967年にビー・ジーズの初代ドラマーになりました。
ピーターセンは1969年までバンドに在籍し、1967年のヒット曲「To Love Somebody」や、1968年の「I’ve Gotta Get a Message to You」「I Started a Joke」などで演奏していましたが、バンドの出版権を所有し、財政管理もしていたマネージャーと衝突したことで解雇されました。
その後、1970年にアイルランド人シンガーのジョナサン・ケリーと、UKフォーク・ロック・バンドのハンピー・ボング(Humpy Bong)を結成したものの間もなく解散し1974年にオーストラリアに戻り、晩年はシドニーで画家として暮らしつつ、ビー・ジーズのトリビュート・バンドで演奏していました。
お二人の安らかなる眠りをお祈りいたします。


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『アルティメイト・ベスト・オブ・ビー・ジーズ』
・Amazon Music・MP3(2009/11/3)¥2,100
・2CDs(2018/11/21)¥2,339
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ザ・ビー・ジーズ
『Trafalgar / To Whom It May Concern』
CD(2021/2/19)輸入盤
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『グリーンフィールズ:ザ・ギブ・ブラザーズ・ソングブック Vol. 1』
・Amazon Music・MP3(2021/1/8)¥1,900
・CD(2021/1/15)¥2,404
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