元リトル・リヴァー・バンドのベーシスト、ロジャー・マクラクランが71歳で死去

リトル・リヴァー・バンド1975年リリースの、セルフ・タイトルのデビュー・アルバム。日本を含むワールドワイドでは上画像のジャケでリリースされていましたが、オーストラリアとニュージーランドでは左のイラスト似顔絵ヴァージョンでリリースされていたようです。下段中央がロジャー・マクラクラン。
豪メルボルンのロック・バンド、リトル・リヴァー・バンド(Little River Band)初期のベーシストだったロジャー・マクラクラン(Roger McLachlan)が、メルボルンにて膵臓ガンのため71歳で死去しました。

彼の訃報は、マクラクランが後に結成したレイト・フォー・ブレックファスト(Late for Breakfast)のマイケル・オリファントがSNSで伝えていますが、死亡日などは発表されていません。

上掲デビュー・アルバムの、ディスクが入っていた内袋の表裏。歌詞とともにメンバーの写真が散りばめられており、左画像右端にベースを弾くロジャー・マクラクランの姿が。

1954年にニュージーランド南島のリヴァトンで生まれたマクラクランは、幼少期からウクレレを演奏し、1974年にミュージカル『Godspell』のツアー・バンドに参加するため、オーストラリアに移住しました。

翌1975年、デイヴ・オラムスの後任としてリトル・リヴァー・バンドに加入し、バンド1975年のデビュー・アルバム『Little River Band』と1976年のセカンド・アルバム『After Hours』に参加、バンドのツアーでは311公演で演奏しましたが、1976年に脱退しました。

その後、1976年~1977年まで豪カントリー・ロック・バンドのスターズ(Stars)に在籍し、80年代にはフュージョン・グループのピラミッドと共にモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演、またセッション・ミュージシャンとして、リトル・リヴァー・バンドのジョン・ファーナム1986年の大ヒット・アルバム『Whispering Jack』や、メリル・ベインブリッジ1995年のヒット・アルバム『The Garden』にも参加し、後者のアルバムから「Mouth」がNo.1シングルになりました。

90年代後半には、ギタリストのスティーヴン・ハウスデン率いるリトル・リヴァー・バンドに復帰し、1年間在籍しましたが、アメリカ・ツアーでのプレッシャーから再び脱退しました。

マクラクランは2012年に初ソロ・アルバム『Roger This Roger That』をリリースした後、2019年に再結成したスターズに復帰していました。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品詳細
REOスピードワゴン
『アーリー・イヤーズ 1971-1977:8CD BOX』


8CDs(2018/10/24)¥5,138
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