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ストーンズ、クラッシュとも共演した異色のカントリー/シンガー・ソングライター、ジョー・イーリー他界、享年78
ジョー・イーリー『Musta Notta Gotta Lotta』(MCA Records :1981年)
ブルース・スプリングスティーンとの共演や、ローリング・ストーンズの前座を務めザ・クラッシュをバックに従えてのアルバムをリリースするなど、ロック・ファンにも馴染み深いテキサス州出身のシンガー・ソングライター、ジョー・イーリー(日本ではジョー・エリーと表記する場合も)が12月15日、ニューメキシコ州タオスの自宅で息を引き取りました。死因はレビー小体型認知症、パーキンソン病、肺炎の合併症で、享年78でした。
ジョー・イーリー(Joe Ely)は1947年テキサス州アマリロ生まれ。転居をしながら十代を州内で過ごし、1971年、通った高校のある同州ラボックのミュージシャン仲間であるジミー・デール・ギルモアとブッチ・ハンコックと共にザ・フラットランダーズを結成。ウィキペディアには「ジミーはカントリー・ミュージックの井戸端会議のような人で、カントリーのあらゆることを知っていた。そしてブッチはフォークの世界出身で、私はロックンロールの人間だったので、私たちはほぼ三人組のような状態だった。私たちは意気投合し、一緒にたくさん演奏するようになった。それが、私が今まで知らなかった全く新しい世界を開いてくれたのだ」というイーリーの言葉が引用されています。しかし翌年3人はファースト・アルバムをリリースするものの、直後にバンドは解散。3人は各々の道を歩みながらも、互いのアルバムに共演してきました。2002年には再結成、アルバム『Now Again』を、2004年には『Hills and Valleys』をリリースしています。
商品詳細
Jimmie Dale And The Flatlanders
『All American Music』
・Amazon Music(NOV 15 2024)
・Amazon(2024/11/15)輸入盤CD
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商品詳細
The Flatlanders
『Now Again』
・Amazon Music(MAY 21 2002)
・Amazon(2002/5/21)輸入盤CD
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イーリー最初のソロ・アルバムは、自身の名を冠したセルフ・タイトルで1977年にリリースされました。
翌年、彼はバンドと英国ツアーでロンドンへ。ザ・クラッシュとの強い結びつきはそこからで、互いのパフォーマンスに感銘を受けた2つのバンドは後に一緒にツアーを行なうことになります。ザ・クラッシュはジョー・エリーに敬意を表し、「If Music Could Talk」という曲の歌詞に「ジョー・エリーと彼のテキサス・メンほど素晴らしい組み合わせはない」という一節を入れています(1980年『サンディニスタ!』収録)。またイーリーはクラッシュのシングル「Should I Stay or Should I Go?」(邦題「ステイ・オア・ゴー」)にヴォーカルで参加、自身でも同曲のカヴァーを残しています。イーリーはジョー・ストラマーとレコーディングする予定もあったということですが、ストラマーは2002年に他界、結局実現することはありませんでした。また彼はオランダ生まれのフラメンコ・ギタリスト、テイジェとのコラボレーション作品『Letter to Laredo』(1995年)と『Twistin' in the Wind』(1998年)もリリースしています。
翌年、彼はバンドと英国ツアーでロンドンへ。ザ・クラッシュとの強い結びつきはそこからで、互いのパフォーマンスに感銘を受けた2つのバンドは後に一緒にツアーを行なうことになります。ザ・クラッシュはジョー・エリーに敬意を表し、「If Music Could Talk」という曲の歌詞に「ジョー・エリーと彼のテキサス・メンほど素晴らしい組み合わせはない」という一節を入れています(1980年『サンディニスタ!』収録)。またイーリーはクラッシュのシングル「Should I Stay or Should I Go?」(邦題「ステイ・オア・ゴー」)にヴォーカルで参加、自身でも同曲のカヴァーを残しています。イーリーはジョー・ストラマーとレコーディングする予定もあったということですが、ストラマーは2002年に他界、結局実現することはありませんでした。また彼はオランダ生まれのフラメンコ・ギタリスト、テイジェとのコラボレーション作品『Letter to Laredo』(1995年)と『Twistin' in the Wind』(1998年)もリリースしています。
1977年のデビュー作以降、70・80・90年代にそれぞれ3作・4作・3作とオリジナル作をリリース。2003年の『Streets of Sin』を挟み、次の『Happy Songs from Rattlesnake Gulch』からは自身のレーベル「ラック・エム・レコーズ」を設立してコンスタントに作品をリリースしていき、マイペースで活動を続けます。以後、今年2月にリリースされた最新作にして最後のアルバムとなってしまった『Love & Freedom』までそれは変わることはありませんでした。
1982年には、トルネードで被害を受けたラボックの街と被災民を支援するためトルベード・ジャムを主催。これにはレオン・ラッセルやジョーン・ジェット、ザ・クリケッツらが出演し成功を収め、翌年には第2回も開催されています。1990年代後半にはロバート・レッドフォードが監督を務め、第56回ゴールデングローブ賞で監督賞や作品賞(ドラマ部門)にもノミネートた映画『モンタナの風に抱かれて』(1998年公開、原題『The Horse Whisperer』)の音楽を担当します。本作はフラットランダーズ再結成のきっかけにもなりました。地元や母国の風土・人々を愛し、いずれもそれを歌にしてきたイーリーらしい仕事ぶりです。
1982年には、トルネードで被害を受けたラボックの街と被災民を支援するためトルベード・ジャムを主催。これにはレオン・ラッセルやジョーン・ジェット、ザ・クリケッツらが出演し成功を収め、翌年には第2回も開催されています。1990年代後半にはロバート・レッドフォードが監督を務め、第56回ゴールデングローブ賞で監督賞や作品賞(ドラマ部門)にもノミネートた映画『モンタナの風に抱かれて』(1998年公開、原題『The Horse Whisperer』)の音楽を担当します。本作はフラットランダーズ再結成のきっかけにもなりました。地元や母国の風土・人々を愛し、いずれもそれを歌にしてきたイーリーらしい仕事ぶりです。
ジョー・イーリーの音楽性はカントリーをベースにしながら、ロックだけでなく多岐にわたり、今日 “アメリカーナ” と呼ばれるジャンルの成立に大いに貢献したと評価されています。アメリカーナは米国の様々なルーツ・ミュージックをクロスオーヴァー/ミクスチャーしたもので、この呼称は現在ではグラミー賞の項目のひとつとしても採用されています。
また米国きっての音楽祭/ショーケース「サウス・バイ・サウスウェスト」が開かれることでも有名なテキサスの音楽の街オースティンでも彼を称える声は後をたたず、同地で制作される音楽番組『オースティン・シティ・リミッツ』のプロデューサーは「ジョーはスーパースターであり、これからもずっとそうあり続けるでしょう。テキサスでは、彼は私たちのブルース・スプリングスティーンでした」と最大級の賛辞を送っています。2022年、イーリーは「オースティン・シティ・リミッツの殿堂入り」を果たしました。
イーリーを評する声では、彼のクラッシュとの相思相愛の関係や、 1981年にはローリング・ストーンズのオープニング・アクトを務めたことなどから、カントリー・ミュージック殿堂博物館のカイル・ヤングは他界に際し「彼の真価は、力強いライヴ・パフォーマンスのダイナミックな激しさに表れていました」とし、「彼とデュエットをレコーディングしたブルース・スプリングスティーン、そしてツアーのオープニングアクトを務めたストーンズやクラッシュといった、同じく熱狂的なファンである彼らと肩を並べるだけの力強さを持っていたのです」とのコメントを寄せています。
そして今年4月26日その功績が評価され、ニュージャージー州モンマス大学のブルース・スプリングスティーン・アーカイヴ&センター・フォー・アメリカン・ミュージック主宰によるアメリカン・ミュージック・アワーズにおいて「American Music Honors」を受賞しました。プレゼンターにはもちろんブルース・スプリングスティーンらEストリート・バンドの面々が登場。その際同時に受賞したのは、スモーキー・ロビンソン、ジョン・フォガティ、エミルー・ハリス、トム・モレロという錚々たる顔ぶれでした。こうした評価が、彼の生前にぎりぎり間に合っていたことは幸いです。とはいえ、もっと彼の作る音楽をもっとこの先も聞いていられればよかったのですが。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
また米国きっての音楽祭/ショーケース「サウス・バイ・サウスウェスト」が開かれることでも有名なテキサスの音楽の街オースティンでも彼を称える声は後をたたず、同地で制作される音楽番組『オースティン・シティ・リミッツ』のプロデューサーは「ジョーはスーパースターであり、これからもずっとそうあり続けるでしょう。テキサスでは、彼は私たちのブルース・スプリングスティーンでした」と最大級の賛辞を送っています。2022年、イーリーは「オースティン・シティ・リミッツの殿堂入り」を果たしました。
イーリーを評する声では、彼のクラッシュとの相思相愛の関係や、 1981年にはローリング・ストーンズのオープニング・アクトを務めたことなどから、カントリー・ミュージック殿堂博物館のカイル・ヤングは他界に際し「彼の真価は、力強いライヴ・パフォーマンスのダイナミックな激しさに表れていました」とし、「彼とデュエットをレコーディングしたブルース・スプリングスティーン、そしてツアーのオープニングアクトを務めたストーンズやクラッシュといった、同じく熱狂的なファンである彼らと肩を並べるだけの力強さを持っていたのです」とのコメントを寄せています。
そして今年4月26日その功績が評価され、ニュージャージー州モンマス大学のブルース・スプリングスティーン・アーカイヴ&センター・フォー・アメリカン・ミュージック主宰によるアメリカン・ミュージック・アワーズにおいて「American Music Honors」を受賞しました。プレゼンターにはもちろんブルース・スプリングスティーンらEストリート・バンドの面々が登場。その際同時に受賞したのは、スモーキー・ロビンソン、ジョン・フォガティ、エミルー・ハリス、トム・モレロという錚々たる顔ぶれでした。こうした評価が、彼の生前にぎりぎり間に合っていたことは幸いです。とはいえ、もっと彼の作る音楽をもっとこの先も聞いていられればよかったのですが。
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商品詳細
Joe Ely
『Live Shots』
Amazon Music(JAN 01 1980)
Joe Ely
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Amazon Music(JAN 01 1980)
商品詳細
Joe Ely
『Joe Ely/Honky Tonk Masquerade』
Amazon(2000/10/17)輸入盤CD
Joe Ely
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Joe Ely
『Letter To Laredo』
Amazon Music(JAN 01 1995)
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