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「悲しき慕情」などで知られる稀代のソングライター:ニール・セダカ死去

ニール・セダカ『Sings His Greatest Hits』
Amazon Music(JAN 01 1963)

2月27日、稀代のクルーナーであり、「悲しき慕情(Breaking Up Is Hard To Do)」、「カレンダー・ガール(Calendar Girl)」、「雨に微笑みを(Laughter In The Rain)」他、数多くの記憶に残るヒット曲のソングライターでもあるアメリカ音楽界の大御所ニール・セダカが亡くなりました。享年86。直接の死因等は明らかになっていませんが、現地ではこの日の朝に体調を崩してロサンジェルス市内の病院に救急搬送され、わずか数時間後にそのまま還らぬ人となったと報じられています。

「私たち家族は愛する夫であり父であり祖父であったニール・セダカの急逝に打ちひしがれています」と、彼の遺族は声明に綴っています。「彼は真のロックン・ロール・レジェンドであり、数え切れないほどの人たちにインスピレーションを与えましたが、少なくとも彼という人物を直接知ることができた私たちのような幸運な者たちにとって、何より大切なのは、その喪失が惜しまれて止まない、素晴らしい人物だったということです」

セダカは1960年代から70年代にかけて、最も大きな成功を収めたパフォーマーでありソングライターのひとりで、主に2つの時代において著しい成功を享受しました。60年代初期、彼の甘くポップでドゥーワップ調の「哀しき慕情」や「オー! キャロル(Oh! Carol)」はビートルズ登場前のヒット・チャートを独占しました。それから10年後、彼は「雨に微笑みを」や「バッド・ブラッド(Bad Blood)」といったヒットで、アダルト・コンテンポラリー界のスターとして復活を果たしたのです。
 
セダカは生まれも育ちもブルックリンで、子供の頃から堪能だったピアノで名門ジュリアード音楽院に奨学生として入学、プレップ・スクールとカレッジで学びました。クラシックの専門教育を受けつつも、セダカは黎明期のロックン・ロールと恋に落ち、仲間たちと一緒にドゥーワップ・グループ、ザ・トークンズを結成しました。彼らが一躍その名を知られることになった(物議を醸したとも言いますが)「ライオンは寝ている(The Lion Sleeps Tonight)」のヴァージョンでチャートの首位を獲得する前に、セダカはグループを離れましたが、間もなく彼自身がその手で成功を掴むに至ります。
 
隣人であり長年の曲作りのパートナー、ハワード・グリーンフィールドと共に、セダカはかの有名なブリル・ビルディングで契約を取り付け、このニューヨーク・シティのヒット工場から生産されるポップ・スタイルの確立に貢献することとなりました。そしてコニー・フランシスのために書いた「間抜けなキューピッド」等の成功が後押しとなって、セダカは自身のレコーディング・アーティストとしての契約も手に入れます。1959年に「オー!キャロル」で最初のトップ10入りを記録すると、彼は「星へのきざはし(Stairway to Heaven:※あれとは別曲です)」「カレンダー・ガール」、「小さい悪魔(Little Devil)」、そして「すてきな16歳(Happy Birthday Sweet Sixteen)」と次々ヒットを飛ばしました。その量産の結果が遂に1962年の「悲しき慕情」のナンバー・ワン達成を呼び込み、続く「かわいいあの娘(Next Door to an Angel)」も最高位第5位まで上がりました。

セダカの人気はアメリカのみに留まらず、海外でも売れに売れていました。自らの曲を頻繁に多言語でレコーディングしていたことが、国際的な支持へと結びついたのです。彼はその長いキャリアの中で、イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、ポルトガル語、そして日本語でも曲をリリースしていました。
 
しかしながら1964年、ザ・ビートルズの登場が、事実上セダカのキャリアを頓挫させることになりました。所属レーベルはやがて彼との契約を打ち切り、さらに自身のマネージャー(彼の母親の恋人でもあった人物)による使い込みが発覚、資金面でも苦境に追い込まれました。セダカにはソングライターとしてだけでも十分にやって行ける能力があり、その作品は度々成功を収めていましたが、彼は昨年のニューヨーク・タイムズ紙のインタヴューで、60年代後半に感じていたやり場のない思いについて語っていました。
 
「戻りたかった。どうしても戻りたくて、悔しくてたまらなかった。ラジオを聴きながら考えていたよ、一体何をすればいいんだろう?って。もう僕が王様だったトゥラララとかドゥ・ビ・ドゥは通用しない。時代のカルチャーにフィットしたアーティストになりたかったんだ」
 
70年代に入って間もなく、セダカはイングランドで心の慰めと新鮮なインスピレーションを見つけます。英国中の小さなクラブでギグを重ねるうちに、また新たなコラボレーション仲間と出逢い、そこには後に10ccを結成することになるメンバーたちも含まれていました。彼らの助けも得て、セダカは2枚のアルバム、1972年の『ソリテアー(Solitaire)』と1973年の『ピース・アンド・ラヴ(The Tra-La Days Are Over)』を制作し、更に全英での評価を高めてゆきます。程なくして彼は、エルトン・ジョンという強固な後ろ盾を獲得し、ジョンのレーベルと契約を結んだことで、ようやくカムバックの準備が整ったのです。
 
1974年、ジョンのロケット・レコード・カンパニーが、セダカが英国で制作した曲の多くを収めたコンピレーション盤『セダカズ・バック(Sedaka’s Back)』をリリースすると、このアルバムがアメリカでゴールド・ディスクを獲得するヒットとなりました。その翌年、いよいよセダカの絶頂期が到来します。

最初に「雨に微笑みを」、次に「バッド・ブラッド」(クレジットはありませんがエルトン・ジョンがバッキング・ヴォーカルで参加)がビルボード・ホット100で立て続けに1位に輝き、「悲しき慕情」も最高位第8位にランクインしました。一方、キャプテン&テニールの「愛ある限り(Love Will Keep Us Together))」(セダカとグリーンフィールドが『The Tra-La Days Are Over』のために書いた曲)もナンバー・ワンを獲得、更にカーペンターズがレコーディングしたセダカの「ソリティア」も最高位第17位まで上昇したのです。

Love Will Keep Us Together
Solitaire (Remastered)

セダカはそれ以降もライヴ・パフォーマーとして、またレコーディング・アーティストとして忙しい日々を送り続けました。クラシックや子供向けの音楽にも手を染め、更には全曲イディッシュ語のアルバムをレコーディングしたりしたこともあります。結果的に生前最後のスタジオ・アルバムとなった2016年の『I Do It for Applause』をリリースした後は、新しい曲を書くことを完全に止める決心を固めました。「前に書いたものを超えることができないなら、潔く足を洗うべきだと思ったんだ」と、彼は2020年のインタヴューで語っています。
 
その後、コロナウイルスのパンデミックの期間中に、自宅で録画したパフォーマンスをSNSでシェアし、80代でも難なくショート動画の新時代に参入を果たしたことで、セダカは再度のリバイバルに近いものを味わうことになりました。パンデミックが明けた後も彼は動画投稿を続け、ティックトックやインスタグラムに撮りおろしのクリップやアーカイヴからのレアな映像を次々にシェアしました。今年のヴァレンタイン・デイに彼が自身最初のヒット曲「間抜けなキューピッド」をプレイした動画は、ティックトックだけで何と33万8000ヴューを超えました。

「僕がこんなにも長くこの世界でやって来られたのはね、多分僕が常にバーを上げ続けることができたからだと思うんだ、ニール・セダカを絶えず再構築して、発展させ成長させるためにね」

彼は前述の2020年のインタヴューでそう語っていました。「僕の音楽がラジオでかかっているのを耳にする度、今も感謝の気持ちでいっぱいになる──きっと僕の曲の方が、僕自身よりも長生きしてくれるんだろうなって思えてね」

安らかなる眠りをお祈りいたします。

商品情報
ニール・セダカ
『Circulate (Expanded Edition)』


Amazon Music(DEC 30 1960)
商品情報
ニール・セダカ
『Solitaire』


Amazon Music(JAN 01 1972)
商品情報
ニール・セダカ
『The Best Of』


Amazon Music(JUN 06 1996)
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