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ダイアナ・ロスからレナード・コーエンまで、ジャンルを超えた歴史的名曲における数々のセッション・ワークで知られるドラマー、ジェームズ・ギャドソン死去

↑電子音楽ユニットのストマック・クラブとギャドソンがセッションした際のライヴ映像
4月1日、ファンク、ソウル、ディスコの数々の名曲でドラマーを務めたジェームズ・ギャドソンが亡くなりました。享年86。ローリング・ストーン誌がギャドソンの妻バーバラに確認したところによれば、彼は近年幾つかの健康問題を抱えて手術も経験しており、また最近大きな転倒事故により腰を痛めていたそうです。

彼はその高いスキルで常に引く手あまたのセッション・ドラマーとなり、その仕事の実績を記した履歴書はディスコグラフィーと言うより、もはやただの “ポピュラー音楽史上最も偉大なアーティストたち” のリストと言う方がしっくり来るほどです。ギャドソンがスタジオで仕事をした相手はざっと挙げただけでも、ザ・テンプテーションズ、ボビー・ウーマック、バーブラ・ストライザンド、グラディス・ナイト、パティ・ラベル、ハービー・ハンコック、フレディ・キング、B.B.キング、アルバート・キング、レイ・チャールズ、レナード・コーエン、ポール・マッカートニー、ディアンジェロ、ベック、ケリー・クラークソン、ジャスティン・ティンバーレイク、ハリー・スタイルズ、その他まだまだ大勢控えています。
 
ギャドソンはどんなものでも器用にこなす、豊かな才能に恵まれたドラマーで、チャールズ・ライト&ザ・ワッツ・103rd St. Rhythm Bandのファンキーな「Express Yourself」でリズムをキープし、ビル・ウィザースの快活な「Lean on Me」でビートを刻み、ジャクソン5の「Dancing Machine」やグロリア・ゲイナーの「I Will Survive」といったナンバーでは完璧なディスコ・ビートを自在に駆使していました。

Lean on Me
Dancing Machine
Gloria Gaynor - I Will Survive
ベックは自身のSNSで、2002年の『Sea Change』他で共演したドラマーを悼みました。「ビル・ウィザースから “I Will Survive” まで、膨大な数の歴史的名曲にその足跡を遺した大いなる音楽的フォースの持ち主、この優しい巨人そのもののような人物と知り合うことができて、僕は幸運でした」
Paper Tiger

クエストラヴは自身のインスタグラムに綴っています。「ソウルフルなドラマーはいる、ファンキーなドラマーもいる。ロックしてるドラマーもいる。スウィングしてるドラマーも──だけどジェームズ・ギャドソンほど、ブレイクビート・ドラマー(ダンサブルなドラムス)の技術に影響を与えたドラマーはどこにもいやしない」

レイ・パーカーJr.も「俺たちは半世紀以上一緒にプレイしてきたんだ。あいつは世界を変えたドラマーだよ」とコメントしています。

1939年6月17日、ミズーリ州カンザス・シティに生まれたギャドソンは、生まれた時から音楽に囲まれていました。彼の父親はドラマーで、当初は息子が音楽業界に入るのを止めようと説得したそうです。それでも、ギャドソンがライターのジム・ペインの著書『The Great Drummers of R&B, Funk & Soul』の中で振り返ったところによれば、父親のハロルドは、学校のドラムとバグパイプによる楽隊でプレイできるよう、彼と弟のトーマスにコルネットを買い与えてくれました。けれどティーンエイジャーになると、彼は歌の方に興味を持ち始め、13歳にしてザ・カーペッツというドゥーワップ・グループでパフォームするようになります。彼の母親は息子がロードに出ることを阻止しました。そして空軍に入隊し、ルイジアナに駐屯している間にファンク・ミュージックと出逢い、除隊後には弟のバンドに加わって、ピアノを覚え、キーボードを弾きながら歌っていました。時期を同じくしてドラムも独学でマスターしました。

「最初にドラムを叩き始めた時は、昼も夜も毎日練習してたよ──1日に18時間とか20時間とかやってたんじゃないか。自主的にやるべきことを着々とこなして行った感じだね」
 
弟のバンドでもドラマーに転向したギャドソンは、カンザス・シティ周辺をツアーで訪れるアーティストたちのバッキング・ドラマーとして仕事を得るようになります。彼がバックを務めたのはハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズ、ジミー・リード、サム・クック、そしてオーティス・レディングなど錚々たるメンツでした。やがて彼は、ダイク&ザ・ブレイザーズとチャールズ・ライトと知り合い、彼らのレコーディングでドラムを叩き、歌入れも手伝うことになりました。その最初のセッションに臨んだ時に関しては、「最初のうち、R&Bのプレイの仕方がちゃんとわかってなかった間は、そりゃあメタメタだったよ。自分でもあまりに酷かったんで、ギャラを受け取らなかったぐらいだ。彼らのスタジオ時間をムダにさせたことが本当に申し訳なかったんだよ。俺はフリー・ジャズの意識のまんまこっちの世界に来ちゃったもんだから、一定のリズム・パターンを堅実にキープするってことができなかったんだ」

ロサンジェルスに拠点を移した後、モータウンのプロデューサー、ハル・デイヴィスが彼をセッションに呼ぶようになりました。「生まれて初めてモータウンのセッションに参加した時のことはよく覚えてるよ、ジャクソンズの  “Dancing Machine” のレコーディングだったんだ。みんなで仕事に取り掛かってる時に、俺があの跳ねるような8ビートを入れてみたら、コントロール・ルームの側から『おい、今のもう一回やってみてくれ』って声がかかってさ。俺のプレイが気に入ったらしくて、『こいつキープしようよ、いいタイミングのセンスしてる』って言われたんだ。で、曲の方もヒットしてね」
 
彼を探しに来たコントラクター(契約担当者)に掴まり、譜面は読めるかと訊ねられた時、ギャドソンは読めるとウソをつき、セッションの間はずっと夜に譜面の勉強をしました。彼がレコーディングに参加したレコードが次から次へとゴールド・ディスクを獲得していた、このLAセッションの日々は、彼がドラマーとして自分の地位を確立したという手応えを得られた時期であり、そこから彼はあらゆるジャンルのアーティストたちから御用達ドラマー扱いされる存在になったのです。
 
ギャドソンは自身の名義では数えるほどの作品しかリリースしていません。70年代初期、彼は「Got to Find My Baby」や「Good Vibrations」 (ビーチ・ボーイズのものとは同名異曲)といったファンキーな45回転盤を世に出し、後にはディスコ・シングル「Go By What’s in Your Heart」もリリースしていました。2018年、彼は『Chicken Burrito』でラファエル・レスニグとアレックス・シュルツとクレジットを分け合っています。また2009年の映画『Funny Perole』ではバンドのメンバー役で出演していました。
Got To Find My Baby

彼は『The Great Drummers』のインタビューで、自身のキャリアを以下のように振り返っています。「俺はとても恵まれていたね。いまだにこの仕事で食っていけてるんだからさ。いつの日か自分の曲がラジオから流れてくるのを耳にしたいとずっと思ってきたけど、自分がこんなに沢山のレコードに参加できるなんて、夢にも思ってなかったよ」

安らかなる眠りをお祈りいたします。

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