ボンゾ・ドッグ・ドゥー/ダー・バンドのニール・イネスが75歳で死去
ボンゾ・ドッグ・ドゥーダー・バンドの中心メンバーで、モンティ・パイソンやラトルズの楽曲を手掛けた英コメディアン/ミュージシャンのニール・イネス(Neil Innes)が12月29日、75歳で亡くなりました。イネスは特に病気だった訳でもなく、今年はリバプールのキャヴァーン・クラブに出演する予定でした。
彼の家族が次の声明を発表しています。
「2019年12月29日にニール・ジェイムス・イネスが他界したことをお知らせしなければならず、深い悲しみに包まれています。私たちは美しく親切で優しい魂を失いました。彼の音楽と歌は人々の心を打ち、彼の知性と真実への探求は私たち全員に影響を与えました。彼は何の前触れもなく老衰のため亡くなりました。痛みもなかったと思います」
英エセックス州生まれのイネスは、1962年にヴィヴィアン・スタンシャルとボンゾ・ドッグ・ドゥーダー・バンドを結成し、ピアノとギター、ヴォーカルを担当しました。ポール・マッカートニーがプロデュースしたバンドの代表曲「I’m the Urban Spaceman(恋のスペースマン)」を作曲し、1967年のビートルズ映画『マジカル・ミステリー・ツアー』では、「Death Cab for Cutie」を演奏しています。
バンドの解散後、イネスはザ・ワールド(The World)とグリムス(Grimms)というバンドで活動しますが、どちらもあまり成功せず、70年代からは英コメディ・グループのモンティ・パイソンと仕事をするようになり、正式メンバーにはならなかったものの「7番目のパイソン」と呼ばれ、グループに音楽を提供していました。また、モンティ・パイソンのメンバーだったテリー・ギリアム監督の映画『Jabberwocky』(1977年)と、モンティ・パイソンの映画『Life of Brian』(1979年)にも出演しています。
パイソンのエリック・アイドルと出演した70年代半ばの英テレビ・シリーズ『Rutland Weekend Television』からビートルズのパロディ・バンド、ザ・ラトルズが生まれ、1978年に放送されたビートルズのパロディ映画『All You Need Is Cash』に繋がりました。
また、2002年にはジョージ・ハリスンのトリビュート・コンサートに出演し、2006年にはボンゾ・ドッグ・バンドのCDをプロデュース、2010年にはコメディ・バンドのイディオット・バスタード・バンド(Idiot Bastard Band)を結成してレジデンシー公演を行なうなど、生涯現役のミュージシャンでした。
ご冥福をお祈りします。

ニール・イネス
『オフ・ザ・レコード』
CD(2017/7/25)¥3,300

ザ・ラトルズ
『アーキオロジー』(紙ジャケット仕様/限定版)
CD(2016/6/29)¥2,934
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