【ミュージック・ライフ写真館】シンディ・ローパー 1984年+1986年【ML Imagesライブラリー】

【ミュージック・ライフ写真館/ML Imagesライブラリー 撮影:長谷部 宏、塚越みどり pix : Koh Hasebe , Midori Tsukagoshi / ML images / Shinko Music】

東日本大震災から、明日でまる10年。まずは被害に遭われ、お亡くなりになった皆様にはお悔やみ申し上げます。そして今もその影響から立ち直る途上の皆様、お見舞い申し上げますとともに、遠くから微力ではございますが、応援差し上げております。
2011年3月11日の地震とその後の一連の出来事は、エンターテインメントの世界にも大きな影響を及ぼしました。洋楽業界でもっともそれが顕著だったのは、来日コンサート/イベントの中止という形で顕れ、多くの公演が中止を余儀なくされております。

ウィキピディア/東日本大震災のイベント等への影響/ポピュラー音楽

上記項目中「日本国外アーティスト関連」冒頭で触れられている、シンディ・ローパーに関しまして。本震のまさにその時は機上の人で着陸直前、上陸後は移動もままならず、15日からの公演は1週間に及ぶ公演だってキャンセルすることもできたでしょうがすべて敢行。しかもステージ後のロビーで募金を呼びかける姿がTVのニュースでも報じられたのをご覧になった方も多いことでしょう。

その来日時の、彼女の発言を一部引用します。

「部屋でTVをつけたら、本当にすさまじい状況になっていることがわかりとてもショックでした。でも、今、私は日本にいるんだから、何ができるかを考えています。私にできることは音楽。私の歌で少しでも勇気を、少しでも元気を与えることができるなら、それが私の仕事と思っています」

「帰国することなんて考えられなかった。だって愛する日本の皆さんがこういった状況にある中、何かしなければと思う。明日の夜CNNに出るので、海外の人々へも訴えていきたい」

ありがとうシンディ。自分が被災者なわけでもないのに、彼女には感謝の気持ちが絶えません。この滞在の様子は、レコード会社担当氏によって時系列に大変細かくまとめられておりますので、是非ご一読ください。胸熱です。

ソニーミュージック/HIGH-HOPE(洋楽ロック)
2011年3月11日―3月23日シンディ・ローパー来日同行記
※上記の彼女の発言はこちらから引用しております。

というわけで、本日の「ミュージック・ライフ写真館」はそんなシンディに感謝の気持ちを込め、ライブラリから少なめですがお蔵出し。

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(以下すべての画像はタップ/クリックで拡大できます)

 

シンディ・ローパーは1983年に『シーズ・ソー・アンユージュアル』でデビュー。同作当時の邦題は『N.Y. ダンステリア』でしたが、その後原題のカタカナ読みに改題。同様に、大ヒットしたファースト・シングル「ハイスクールはダンステリア」も、現在は「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」と改題されております。写真は彼女にとって初めての日本訪問となった、1984年3月のプロモーション来日時。この時のインタヴューは、『ミュージック・ライフ』同年5月号にネーナのインタヴューとともに掲載されております。ちなみに上の最後の1枚、左側から彼女を狙っているのが長谷部カメラマン、撮影は編集部当時の塚越みどり。

そもそも彼女は無名時代、ニューヨークの日本食レストランで働いており、そこで日本人に大変お世話になったことから親日家になったとのこと。そのため1995年の阪神・淡路大震災の折にも被災者に寄付、翌年の神戸・生田神社の豆まきにもチャリティで参加したことがあったのだとか。それを思うと、10年前の震災の際にはたまたま公演で日本に居合わせることになりましたが、それがなくともその後の行動には変わりがなかったに違いありません。

 

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こちらの写真も1984年3月のプロモーション来日時。インタヴュー取材とは別日なのか同じ日なのか、細部は定かではありませんが、最初の6枚は外へ連れ出してのフォト・セッション。場所はおそらく原宿・竹下通りでしょう。一緒に写っている当時のヤングたちにはいい記念になったのでは。最後の2枚は、竹芝桟橋のあるスタジオで行なわれた、メディアを集めてのレセプション・パーティ。このあと彼女は膝に乗せているヘルメットをかぶって脚立に上り、「ハイスクールはダンステリア」を熱唱したそうです。いかにもシンディらしいサービス精神は最初からまったく変わりません。

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続いては、初来日公演となった1986年9月のステージと、最後に同来日時での記者会見と思われる2枚を。この「True Colors Tour」は東京は日本武道館で5公演、この他大阪で2公演と、静岡・名古屋でそれぞれ1公演。これを皮切りに、90年代には全国津々浦々、2019年までの間に何と16回のジャパン・ツアーで来日。加えて歌番組にも多数出演、テレビCMも複数あって1990年には紅白歌合戦にも出演したそう。
そして最後に、プロモーション来日と初来日公演の間の新年に送ってきてくれた、『ミュージック・ライフ』恒例の「アーティストからの年賀状」、1985年1月号掲載。もちろん今も大事に保管しております。
 
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このあと彼女は洋楽という垣根を超え、先にも書いた通りTV CMや紅白に出演するなど、生来のキャラクターを活かしてもはやお茶の間のスターに。MLイメージズのライブラリに残された写真もおおむねここまでとなります。

しかし本国ではちゃんと音楽的にも評価され続けており、デビュー時にグラミー賞4部門でノミネートされ新人賞を受賞して以後、今日に至るまで諸部門でノミネートされること計16回、そして2014年にはついにシンディが全曲作詞作曲を務めたブロードウェイ・ミュージカルのオリジナル・キャスト録音作品『キンキー・ブーツ』が新人賞以来の受賞作となりました。目下の最後の来日は2019年ですから、コロナ禍が明けたらまたすぐに来てくださるのではないでしょうか。そんな日がまた待ち遠しいものです。
1960〜90年代にかけて、雑誌『ミュージック・ライフ』は、フォトグラファー長谷部 宏氏を中心にした撮影陣で、数多くの海外アーティストの写真を撮り続けて来ました。60年代にはビートルズ、70年代にはクイーン、KISS、チープ・トリック、ジャパン、80年代にはボン・ジョヴィやデュラン・デュラン……などなど、撮りためたポジ・フィルムやプリントは、数十万枚にも及ぶ量になります。しかもその貴重さは世界的レベルのため、海外からのリクエストも絶え間なく寄せられています。

現在我々は、そのコレクションを「ML Images」と名付け、膨大な量の写真を地道に整理整頓しつつ、貸し出すサービスを行なっており、ライブラリへアップロード済みの画像は目下約3万点で、現在も増え続けております。ご利用をご希望のメディア/展示スペースの方は、弊社までご連絡いただければ、具体的なご希望がない場合でもスタッフがお応えいたします。お気軽にご相談ください。メールはこちらから。

※個人の方へのご提供は行なっておりません。
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