米クリーヴランドのロック・アイコン、マイケル・スタンレーが72歳で死去
米クリーヴランド出身のシンガー/ソングライターで、マイケル・スタンレー・バンドのフロントマンを務め、ラジオのパーソナリティでもあったマイケル・スタンレー(Michael Stanley)が3月5日、肺ガンのため72歳で死去しました。
スタンレーは、自宅で家族に見守られながら静かに息を引き取ったそうで、スタンレーが3月3日まで出演していたクリーヴランドのラジオ局WNCX-FMが訃報を発表しました。
また、スタンレーが生前最後に綴ったお別れの手紙も公開されており、関係者への感謝の言葉が綴られています。
「あなたがこの手紙を読んでいるということは、僕が天国でビッグなクラブ・ツアーに参加しているということですが、その前にこれまで僕の音楽旅行に参加して下さった全ての皆様に感謝を伝えたかったのです」
また、スタンレーが生前最後に綴ったお別れの手紙も公開されており、関係者への感謝の言葉が綴られています。
「あなたがこの手紙を読んでいるということは、僕が天国でビッグなクラブ・ツアーに参加しているということですが、その前にこれまで僕の音楽旅行に参加して下さった全ての皆様に感謝を伝えたかったのです」
1948年にクリーヴランドで生まれたスタンレーは、大学時代にシルクというバンドに在籍し、1969年にアルバム『Smooth As Raw Silk』をリリースしました。その後、レコード店のマネージャーとして働きながら、イーグルスのプロデューサーだったビル・シムジクが手掛けた2枚のソロ・アルバム『Michael Stanley』と『Friends and Legends』を1973年に発表し、後者のアルバムには、ジョー・ウォルシュやトッド・ラングレン、デヴィッド・サンボーン、ダン・フォーゲルバーグらがゲスト参加しました。
翌1974年にマイケル・スタンレー・バンド(MSB)を結成し、1975年から毎年発表していたアルバムは、クリーヴランドで売り切れになるのが当たり前になっていましたが、全米で人気を博したことはなく、ビルボード200のアルバム・チャートでトップ100に入ったアルバムは4枚だけでした。
バンドは1987年、クリーヴランドで12回のフェアウェル・コンサートを行なった後に解散し、それ以来スタンレーは、MSBの元メンバーらとマイケル・スタンレー&フレンズとしてオハイオ州で演奏を続けていました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
翌1974年にマイケル・スタンレー・バンド(MSB)を結成し、1975年から毎年発表していたアルバムは、クリーヴランドで売り切れになるのが当たり前になっていましたが、全米で人気を博したことはなく、ビルボード200のアルバム・チャートでトップ100に入ったアルバムは4枚だけでした。
バンドは1987年、クリーヴランドで12回のフェアウェル・コンサートを行なった後に解散し、それ以来スタンレーは、MSBの元メンバーらとマイケル・スタンレー&フレンズとしてオハイオ州で演奏を続けていました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
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