ニューヨークの伝説的ラッパー、DMXが50歳で死去
DMX - Party Up (Up In Here)
ラッパーのDMXが4月9日の朝、ニューヨークのホワイト・プレインズ病院にて亡くなりました。享年50。
DMXは4月2日の夜、薬物の過剰摂取による心臓発作で救急搬送され、生命維持装置を付けたまま危篤状態が続いていました。また、DMXが新型コロナに感染していたという報道もあります。
家族は次の声明を発表しています。
「愛するDMX(本名アール・シモンズ)が、家族に見守られながら50歳で他界したことを深い悲しみと共にお知らせします。ここ数日、生命維持装置を付けていた彼は、最後まで闘った戦士でした。彼は心から家族を愛し、私たちは彼と過ごした日々を愛おしく思っています。彼の音楽は世界中のファンにインスピレーションを与え、彼の象徴的なレガシーは永遠に生き続けることでしょう。この極めて辛い時に皆様から愛とサポートを頂いたことに感謝しています。我々のブラザーであり、父、叔父であり、そしてDMXとして世界に知られた彼の死を悼む我々のプライヴァシーにご配慮いただければ幸いです。葬儀については、詳細が決まり次第、お知らせいたします」
ラッパーのDMXが4月9日の朝、ニューヨークのホワイト・プレインズ病院にて亡くなりました。享年50。
DMXは4月2日の夜、薬物の過剰摂取による心臓発作で救急搬送され、生命維持装置を付けたまま危篤状態が続いていました。また、DMXが新型コロナに感染していたという報道もあります。
家族は次の声明を発表しています。
「愛するDMX(本名アール・シモンズ)が、家族に見守られながら50歳で他界したことを深い悲しみと共にお知らせします。ここ数日、生命維持装置を付けていた彼は、最後まで闘った戦士でした。彼は心から家族を愛し、私たちは彼と過ごした日々を愛おしく思っています。彼の音楽は世界中のファンにインスピレーションを与え、彼の象徴的なレガシーは永遠に生き続けることでしょう。この極めて辛い時に皆様から愛とサポートを頂いたことに感謝しています。我々のブラザーであり、父、叔父であり、そしてDMXとして世界に知られた彼の死を悼む我々のプライヴァシーにご配慮いただければ幸いです。葬儀については、詳細が決まり次第、お知らせいたします」

1970年12月18日にニューヨーク州マウントヴァーノンで生まれたシモンズは、1990年代からDMX(Dark Man X)の芸名で活動を始め、特徴的なしゃがれ声とアグレッシヴなラップで知られていました。
1998年に発表したデビュー・アルバム『It’s Dark and Hell Is Hot』とセカンド・アルバム『Blood of My Blood, Flesh of My Flesh』がそれぞれ全米チャートのトップに輝き、DMXは同じ年に発表した最初の2枚のアルバムが第1位を記録した初のアーティストになりました。さらに、翌1999年のサード・アルバム『...And Then There Was X』、2001年の『The Great Depression』、2003年の『Grand Champ』もチャートのトップを飾り、5枚のアルバム全てがプラチナ・アルバムに認定されました。
2015年に発表した『Redemption of the Beast』が最後のスタジオ・アルバムになってしまいましたが、亡くなる前日の4月8日に新曲「X moves」が発売されたばかりでした(4月9日MLCニュース参照)。
1998年に発表したデビュー・アルバム『It’s Dark and Hell Is Hot』とセカンド・アルバム『Blood of My Blood, Flesh of My Flesh』がそれぞれ全米チャートのトップに輝き、DMXは同じ年に発表した最初の2枚のアルバムが第1位を記録した初のアーティストになりました。さらに、翌1999年のサード・アルバム『...And Then There Was X』、2001年の『The Great Depression』、2003年の『Grand Champ』もチャートのトップを飾り、5枚のアルバム全てがプラチナ・アルバムに認定されました。
2015年に発表した『Redemption of the Beast』が最後のスタジオ・アルバムになってしまいましたが、亡くなる前日の4月8日に新曲「X moves」が発売されたばかりでした(4月9日MLCニュース参照)。

また、DMXは俳優としても活躍し、1998年の映画『Belly』(邦題『血の銃弾』)や、2000年の『Romeo Must Die』(邦題『ロミオ・マスト・ダイ』)、2001年のアクション映画『Exit Wounds』(邦題『DENGEKI 電撃』)、2003年の『Cradle 2 the Grave』(邦題『ブラック・ダイアモンド』)などに出演していましたが、キャリアの初期から麻薬所持や無免許運転などで何度も逮捕され、10代の頃からドラッグ中毒と闘っていました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
安らかなる眠りをお祈りいたします。



この記事についてのコメントコメントを投稿
この記事へのコメントはまだありません




RELATED POSTS
関連記事
-
2025.04.30 ジ・アラームのフロントマン、マイク・ピーターズが66歳で死去
-
2025.04.28 ペル・ウブのフロントマン、デヴィッド・トーマスが71歳で死去
-
2025.04.23 クイーンやカーズの伝説的プロデューサー、ロイ・トーマス・ベイカーが78歳で死去
-
2025.04.18 元ジューダス・プリーストのドラマー、レス・ビンクスが73歳で死去
-
2025.04.18 元リトル・リヴァー・バンドのベーシスト、ロジャー・マクラクランが71歳で死去
-
2025.04.15 ジャマイカの伝説的レゲエ・シンガー、マックス・ロメオが80歳で死去
-
2025.04.08 ブロンディのドラマー、クレム・バークが70歳で死去
LATEST POSTS
最新記事