ムーディー・ブルースの創設メンバー、マイク・ピンダーが82才で死去

ムーディー・ブルース『In Search Of The Lost Chord』裏ジャケより。最上段の個別写真、左から二番目がピンダー。

英ロック・バンド、ムーディー・ブルースの創設メンバーで、キーボード奏者/ヴォーカリストのマイク・ピンダー(Mike Pinder)が4月24日、82才で死去しました。

家族によると、ピンダーは北カリフォルニアの自宅にて、家族に見守られながら息を引き取ったそうで、元バンド仲間のジャスティン・ヘイワードは、次のようにコメントしています。

「マイクは生まれながらのミュージシャンで、どんなスタイルの音楽でも、熱心に愛情をもって演奏していた。彼がメロトロンを文字通り再創造し再構築したことで、我々の特徴的な初期のサウンドが生まれた。彼は僕自身の音楽の旅において大きな存在だった」

ピンダーは1941年に英バーミンガムのエルダートンで生まれ、1964年にレイ・トーマス、デニー・レイン、グレアム・エッジ、クリントン・ワーウィックと共にムーディー・ブルースを結成しました。

ドラマーのエッジを除く4人がヴォーカルも兼ね、力強いヴォーカル・ハーモニーを特徴としたバンドは、1965年にデビュー・アルバム『The Magnificent Moodies』(邦題『デビュー!〈The Magnificent Moodies〉』)を発表し、同作からシングル「Go Now」がUKチャートで第1位、USチャートで10位を記録する大ヒットになりました。

ピンダーは、当初からデニー・レインとB面曲を共作していましたが、レインとワーウィックが1966年に脱退し、後任としてジョン・ロッジとジャスティン・ヘイワードが加入。その後もピンダーは、バンド1967年のセカンド・アルバム『Days of Future Passed』、1968年の画期的なサード・アルバム『In Search of the Lost Chord』(邦題『失われたコードを求めて』)、1969年の『On the Threshold of a Dream』(邦題『夢幻』)をはじめとする多数のアルバムに曲を提供していましたが、1974年にバンドの活動停止を機に脱退しました。

その後、1976年に初ソロ・アルバム『The Promise』を発表したピンダーは、1978年にムーディー・ブルースが再始動した際に復帰し、バンドが同年発表したアルバム『Octave』(邦題『新世界の曙』)に、初ソロ・アルバムの未収録曲「One Step into the Light」を提供しました。しかしながら、アルバムのツアー参加に難色を示したピンダーは、アルバムのセッション中に再びバンドを去り、『Octave』が、ピンダーにとってバンド最後のアルバムになりました。

ピンダーは1964年~1978年にかけて、高評価を得た「My Song」や「Lost in a Lost World」など、合計で27曲をムーディー・ブルースに提供しており、中でも1968年の「A Simple  Game」は、後にフォー・トップスがカヴァーし、1972年にアメリカでリリースされています。

なお、ピンダーは2018年、ムーディー・ブルースのメンバーとして「ロックの殿堂」入りを果たし、2023年にデニー・レインが他界して以降(2023年12月6日MLCニュース)、生存していた最後のオリジナル・メンバーでした。

安らかなる眠りをお祈りいたします。

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