エレクトリック・プルーンズのリードシンガー、ジェイムズ・ロウが82歳で死去

サイケデリック・ロック・バンドのパイオニア、エレクトリック・プルーンズ(Electric Prunes)の創設者で、長年リードシンガーを務めたジェームズ・ロウ(James Lowe)が5月22日、82歳で死去しました。

家族が訃報を伝えており、ロウは家族に見守られながら老衰のため亡くなったそうです。
1943年にカリフォルニア州サンルイスオビスポで生まれ、ウェスト・ロサンゼルスで育ったロウは、1963年にフォーク・デュオで歌とギターを担当し、音楽キャリアをスタートさせ、またロケットの製作会社でも働いていました。

一時期ハワイに移住しましたが、1965年にロサンゼルスに戻り、ベーシストのマーク・チューリン、リード・ギタリストのケン・ウィリアムズ、ドラマーのマイケル・“クイント”・ウィークリーらとザ・サンクションズ(The Sanctions)を結成。このバンドが、その後エレクトリック・プルーンズに改名し、1966年のデビュー・シングル「Ain’t It Hard」に続き、1967年にデビュー・アルバム『Electric Prunes』(邦題『今夜は眠れない』)をリリースしました。

このアルバムから、「I Had Too Much to Dream (Last Night)」や「Get Me to the World On Time」がヒットし、バンド最大のヒット曲になった前者の曲は、当時のガレージロックとサイケデリック・ムーヴメントを象徴する存在になりました。

また、同年セカンド・アルバム『Underground』(邦題「アンダー・グラウンド・サウンド」)もリリースし、翌1968年にクラシックと宗教的要素を取り入れた野心的なサード・アルバム『Mass in F Minor』(邦題『ヘ短調のミサ』)をリリースしましたが、コンサートで新曲を演奏しようとしたものの大失敗に終わり、オリジナルのエレクトリック・プルーンズは間もなく解散しました。

バンド解散後、ロウはプロデューサー/エンジニアとしてのキャリアをスタートさせ、トッド・ラングレンのレコーディング・エンジニアや、スパークスのセカンド・アルバム『A Woofer in Tweeter's Clothing』のプロデューサーなどで活躍しました。

その後、1970年代初頭に音楽業界を離れたロウは、テレビ番組の制作に携わっていましたが、1999年にオリジナル・メンバーらとエレクトリック・プルーンズを再結成し、ツアーや新曲のレコーディングを行なっていました。

しかしながらチューリンが2011年に急死し、バンドは活動休止期間をへて2013年にツアーを再開、2014年にはスタジオ・アルバム『WaS』をリリースしましたが、2024年にはマイケル・ウィークリーが他界し、オリジナル・メンバーとしてバンドに残っていたのはロウだけでした。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
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