【連載】
『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』刊行記念トーク・イベント・レポート
松田ようこ × ピーター・バラカン「ビートルズのそばにいる日常」
【第5回】
ビートルズ解散後、自分の道を模索していたマル。だがそこに声をかけてきたのは、またしてもあの4人だった……!!
・日時:2025年1月22日(水)19時30分~21時30分
・場所:下北沢 本屋B & B
・参加者:ピーター・バラカン、松田ようこ
・テキスト協力:島乙平
『マル・エヴァンズ もう一つのビートルズ伝説』発刊記念トークイベント・レポート、今週の第5回もまた1日遅れでの公開となってしまい、楽しみにしている皆様申し訳ありません。今回は、ビートルズ解散後のお話。バラバラになった4人でしたが、そこへ声をかけてきたのもまたその4人でした。さらに、バッドフィンガーやスプリンターのくだりなど、ロック史的に貴重なお話も飛び出してきます。
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MUSIC|FEATURE・2025.06.04
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【連載】松田ようこ × ピーター・バラカン『マル・エヴァンズ もう一つのビートルズ伝説』トーク・イベント・レポート〜出版の奇跡&薄給!?マルの巻【第2回】
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【ミュージック・ライフ写真館】お誕生日おめでとう!──ポール・マッカートニー83歳【ML Imagesライブラリー】 
バッドフィンガーの「嵐の恋」とか、マル・エヴァンズのプロデュースですけども、当時はプロデューサーとしてマルの名前なんて誰も信用してなかったっていう…… ── 松田
バッドフィンガーが世に出るキッカケを作ったマル
松田:マルが、ポール・マッカートニーに「マネージング・ディレクターになれ」って言われて、もう本人はもう舞い上がってしまって。マネージング・ディレクターと言ったら、社長というニュアンスがあるんですけれども、自分がアップル・レコードの社長になれると、すごく浮き足だった時がありましたね。それがこの本にも入ってますけれども。でもどんどんどんどん、本当のマネージング・ディレクターのような方たちが入ってきて、マルの立場が弱くなってしまいます。
バラカン:がっかりするんですよ、マルが。最初はすごい責任を負うことになるはずなのに、そうじゃなかったのかって。それで A&Rのトップになるかと思ったら、結局ピーター・アッシャーがそのポストに。ピーター・アッシャーの方が絶対に適任のはず。
松田:そういう意味でマルはちょっと乗せられて、自分もその気になったところで、どんどんちゃんとできる人が入ってどんどんどんどんまた落とされてしまった。だけど、彼は一生懸命アマチュアの人から送ってもらったデモテープとかを聞いて、返事を書いたり、地道にがんばってたんですよね。それがとてもかわいそうだなというか、同情してしまいます。
バラカン:結局、バッドフィンガーというグループ。最初は別の名前、なんだったっけ?
松田:アイヴィーズです。
バラカン:そうだアイヴィーズ。彼がデモテープ聞いて、これはいいバンドだ、絶対契約すべきだと。でもピーター・アッシャーは最初あんまりいいと思ってなくて。
松田:そうですね。ピーター・アッシャーの耳には届かなかった、アイヴィーズのサウンドは。
バラカン:で、何度も何度も新しいデモを作らせて、マルはとにかく頑張って、このバンド絶対ものになると思ってて。で、最終的にはバッドフィンガーとして。
松田:そうですね。バッドフィンガーのサウンドは今聞いてもすごくポップで、パワー・ポップで素晴らしいと思うんです。マルの発掘する力というのは、やっぱり本物だなと思うんですけれども。ただ、当時アップルの上層部からはダメ出しされましたね。バッドフィンガーの例えば「嵐の恋」という邦題のついた「No Matter What」という曲がありますけれども、それはマル・エヴァンズは一押ししていたけれども、アップルの上層部からダメだと言われて、ビートルズのメンバーからもダメだと言われていましたね。それはなぜなんだろう?と私は今でも思ってるんですけれど。
バラカン:いや、レコード会社の人たちの、これはヒットになるかならないかっていうのは、もう全部その人の感覚ですからね。何とも言えない。で、売れそうな曲と、これは要するにいい曲なんだけど売れるかどうかちょっと分からない、っていうのもあるわけですよね。じゃあそういい曲だから出そうっていう人もいれば、いや、いい曲かもしれないけどこれは売れない、売れないってことはレコード会社にとって損する、ってことだから。レコード会社って最終的には利益しか考えていない人が圧倒的に多いですよね。で、本当に音楽の好きな人がレコード会社にどれだけいるかって言ったら、僕、これはシニカルなの見方かもしれないけれど、意外に少ないように思います。
松田:そうですか?
バラカン:ようするに、売れることが一番なんだから、どんなに音楽的に良くても売れないレコードを出せば会社として損なわけで、音楽の良し悪しっていうのも個人が判断するものだから、「これは良くない」っていうことを絶対的に断言することはできない。だけど、どちらかというと、一番売れたレコードやめちゃくちゃヒットした曲っていうのは、最大公約数にアピールしたものが多いわけですよ。で、それが出た時すごく売れても十年後には「なぜ買ったんだろう?」っていう人、意外に多いと思います。
松田:なるほど。でも、マル・エヴァンズがプロデュースしたっていうのは、バッドフィンガーの「嵐の恋」とかそうですけども、当時はマル・エヴァンズの名前なんて、プロデューサーとして誰も信用してなかったっていう……。
バラカン:知らないですよね。
松田:知らないし、上層部の人たちもローディーのマルが曲をプロデュースするなんて、あまり考えられないことで、そういう偏見ももしかしてあったのかななんて思ってしまいますけれども、どうでしょうね。
バラカン:仕方ないですよね。実績がないわけだからね。レコード・プロデューサーって、何も実績のない人でもハッタリで、なんとか出てくるっていう人たちは時々いますけれど、マルは多分そういう性格でもなかったと思うし。
松田:押しは弱そうですよね。
バラカン:難しかったと思いますよ正直。
松田:マルが、ポール・マッカートニーに「マネージング・ディレクターになれ」って言われて、もう本人はもう舞い上がってしまって。マネージング・ディレクターと言ったら、社長というニュアンスがあるんですけれども、自分がアップル・レコードの社長になれると、すごく浮き足だった時がありましたね。それがこの本にも入ってますけれども。でもどんどんどんどん、本当のマネージング・ディレクターのような方たちが入ってきて、マルの立場が弱くなってしまいます。
バラカン:がっかりするんですよ、マルが。最初はすごい責任を負うことになるはずなのに、そうじゃなかったのかって。それで A&Rのトップになるかと思ったら、結局ピーター・アッシャーがそのポストに。ピーター・アッシャーの方が絶対に適任のはず。
松田:そういう意味でマルはちょっと乗せられて、自分もその気になったところで、どんどんちゃんとできる人が入ってどんどんどんどんまた落とされてしまった。だけど、彼は一生懸命アマチュアの人から送ってもらったデモテープとかを聞いて、返事を書いたり、地道にがんばってたんですよね。それがとてもかわいそうだなというか、同情してしまいます。
バラカン:結局、バッドフィンガーというグループ。最初は別の名前、なんだったっけ?
松田:アイヴィーズです。
バラカン:そうだアイヴィーズ。彼がデモテープ聞いて、これはいいバンドだ、絶対契約すべきだと。でもピーター・アッシャーは最初あんまりいいと思ってなくて。
松田:そうですね。ピーター・アッシャーの耳には届かなかった、アイヴィーズのサウンドは。
バラカン:で、何度も何度も新しいデモを作らせて、マルはとにかく頑張って、このバンド絶対ものになると思ってて。で、最終的にはバッドフィンガーとして。
松田:そうですね。バッドフィンガーのサウンドは今聞いてもすごくポップで、パワー・ポップで素晴らしいと思うんです。マルの発掘する力というのは、やっぱり本物だなと思うんですけれども。ただ、当時アップルの上層部からはダメ出しされましたね。バッドフィンガーの例えば「嵐の恋」という邦題のついた「No Matter What」という曲がありますけれども、それはマル・エヴァンズは一押ししていたけれども、アップルの上層部からダメだと言われて、ビートルズのメンバーからもダメだと言われていましたね。それはなぜなんだろう?と私は今でも思ってるんですけれど。
バラカン:いや、レコード会社の人たちの、これはヒットになるかならないかっていうのは、もう全部その人の感覚ですからね。何とも言えない。で、売れそうな曲と、これは要するにいい曲なんだけど売れるかどうかちょっと分からない、っていうのもあるわけですよね。じゃあそういい曲だから出そうっていう人もいれば、いや、いい曲かもしれないけどこれは売れない、売れないってことはレコード会社にとって損する、ってことだから。レコード会社って最終的には利益しか考えていない人が圧倒的に多いですよね。で、本当に音楽の好きな人がレコード会社にどれだけいるかって言ったら、僕、これはシニカルなの見方かもしれないけれど、意外に少ないように思います。
松田:そうですか?
バラカン:ようするに、売れることが一番なんだから、どんなに音楽的に良くても売れないレコードを出せば会社として損なわけで、音楽の良し悪しっていうのも個人が判断するものだから、「これは良くない」っていうことを絶対的に断言することはできない。だけど、どちらかというと、一番売れたレコードやめちゃくちゃヒットした曲っていうのは、最大公約数にアピールしたものが多いわけですよ。で、それが出た時すごく売れても十年後には「なぜ買ったんだろう?」っていう人、意外に多いと思います。
松田:なるほど。でも、マル・エヴァンズがプロデュースしたっていうのは、バッドフィンガーの「嵐の恋」とかそうですけども、当時はマル・エヴァンズの名前なんて、プロデューサーとして誰も信用してなかったっていう……。
バラカン:知らないですよね。
松田:知らないし、上層部の人たちもローディーのマルが曲をプロデュースするなんて、あまり考えられないことで、そういう偏見ももしかしてあったのかななんて思ってしまいますけれども、どうでしょうね。
バラカン:仕方ないですよね。実績がないわけだからね。レコード・プロデューサーって、何も実績のない人でもハッタリで、なんとか出てくるっていう人たちは時々いますけれど、マルは多分そういう性格でもなかったと思うし。
松田:押しは弱そうですよね。
バラカン:難しかったと思いますよ正直。
バラカン:でも結局バッドフィンガーで何が一番売れたかって言ったら、ハリー・ニルソンがカヴァーした「Without You」だったんですよね。
松田:そうなんですね。ハリー・ニルソンの「Without You」はバッドフィンガーが作った曲で、バッドフィンガーのアルバムにも入っていて、それも実はマルがプロデュースしているんですよね。
松田:そうなんですね。ハリー・ニルソンの「Without You」はバッドフィンガーが作った曲で、バッドフィンガーのアルバムにも入っていて、それも実はマルがプロデュースしているんですよね。

“マルの曲が、マルが亡くなった後、日本で浸透した”
松田:(バッドフィンガー は)ダメだと言われて、そこでお蔵入りしてした棚上げ状態だったわけですけれども。それをアメリカのEMIキャピタルのプロデューサーが見つけて、やっぱ発掘してくれて、それで出したところでヒットしたっていうのは、本当に読んでいてホッとしますよね。特に曲の最初のイントロのダーンっていうところが私、本当に好きで。ピーターさんもラジオでかけてくださいましたよね。
バラカン:はい、かけました。本の紹介をした時ですね。
松田:それを聞いてすごく私は嬉しかったんです。
バラカン:でも結局バッドフィンガーで何が一番売れたかって言ったら、ハリー・ニルソンがカヴァーした「Without You」だったんですよね。
松田:そうなんですね。ハリー・ニルソンの「Without You」はバッドフィンガーが作った曲で、バッドフィンガーのアルバムにも入っていて、それも実はマルがプロデュースしているんですよね。で、それを、ハリー・ニルソンが歌ったことで大ヒットして。私がアメリカに住んでた時のリアルタイムのヒット曲で、特にああいうバラードは女性にはたまらないんですよ。なので、とてもジーンときます。それもバラカン・ビートでかけてくださいましたよね。
バラカン:かけました。
松田:それはとても嬉しかったんです。「Without You」とかそういうちゃんとした実績をマルが少しずつ残していってるというのが、本当にこの本の中で救いかなという気がします。この後にも、ビートルズの解散の後にもマルはいくつかプロデュースをして、スプリンターというアコースティックのユニットをプロデュースします。スプリンターって実は日本での方が知られてるっていうのは皆さんご存知ですか?
バラカン:名前を知ってるんですけど、聞いたことがないかもしれない。
松田:私もあんまり知らなかったんですけれども、ただ、中村雅俊さんが、スプリンターの「Lonely Man」という曲の日本語歌詞を書かれて、それをスプリンターが日本語で歌ったっていうのが76年かな? ヤマハの世界歌謡祭のゲストで来日した時に話題になって。なので、そういう意味では “マルの曲が、マルが亡くなった後、日本で浸透した” というのがあります。ただ、マルは作詞をしているはずなので、それが日本語の歌詞に変えられてしまってますからなんとも言えないんですけれどもね。マルがプロデュースして発掘したスプリンターというユニットは日本で活躍した時代がありました。
バラカン:はい、かけました。本の紹介をした時ですね。
松田:それを聞いてすごく私は嬉しかったんです。
バラカン:でも結局バッドフィンガーで何が一番売れたかって言ったら、ハリー・ニルソンがカヴァーした「Without You」だったんですよね。
松田:そうなんですね。ハリー・ニルソンの「Without You」はバッドフィンガーが作った曲で、バッドフィンガーのアルバムにも入っていて、それも実はマルがプロデュースしているんですよね。で、それを、ハリー・ニルソンが歌ったことで大ヒットして。私がアメリカに住んでた時のリアルタイムのヒット曲で、特にああいうバラードは女性にはたまらないんですよ。なので、とてもジーンときます。それもバラカン・ビートでかけてくださいましたよね。
バラカン:かけました。
松田:それはとても嬉しかったんです。「Without You」とかそういうちゃんとした実績をマルが少しずつ残していってるというのが、本当にこの本の中で救いかなという気がします。この後にも、ビートルズの解散の後にもマルはいくつかプロデュースをして、スプリンターというアコースティックのユニットをプロデュースします。スプリンターって実は日本での方が知られてるっていうのは皆さんご存知ですか?
バラカン:名前を知ってるんですけど、聞いたことがないかもしれない。
松田:私もあんまり知らなかったんですけれども、ただ、中村雅俊さんが、スプリンターの「Lonely Man」という曲の日本語歌詞を書かれて、それをスプリンターが日本語で歌ったっていうのが76年かな? ヤマハの世界歌謡祭のゲストで来日した時に話題になって。なので、そういう意味では “マルの曲が、マルが亡くなった後、日本で浸透した” というのがあります。ただ、マルは作詞をしているはずなので、それが日本語の歌詞に変えられてしまってますからなんとも言えないんですけれどもね。マルがプロデュースして発掘したスプリンターというユニットは日本で活躍した時代がありました。
ビートルズのようにもう本当超有名人になると、信頼できる人と信頼できない人とはっきり分かれると思うんです。で、マルのような存在の人っていうのはとにかく、100%信頼できるはずだから。それが一番大きかったんじゃないのかな? ── バラカン

ビートルズ解散とマル・エヴァンズ
バラカン:結局、ビートルズが解散した後からの、彼の仕事はほとんどなくなっちゃうから、彼がアメリカに移住するのは何年からでしたっけ。
松田:移住というか、そうですね……、70年頃からしょっちゅう行くようになって。
バラカン:行ったり来たりしてるんですよね。
松田:70年、71年頃だったと思うんですけれども。ロサンゼルスに行くことになって。そこで恋人ができてしまって……。マルは奥さんのことを愛しているんだけれども、どんどんなかなか家に帰りづらい状況になってしまう。そこがとてももどかしいところで。本人もやっぱりビートルズが解散してしまったことで、自分の居場所がなかなか見つからず、プロデューサーとして頑張っていくのか、作曲家として頑張っていくのか、いろいろ模索しているところだったと思いますけれど。
バラカン:で結局、個々のメンバーから突然、何かまた用事を……。
松田:そうなんですよね。ジョン・レノンがアルバムやるから手伝ってくれとか、ハリー・ニルソンのアルバムをプロデュースするから手伝ってくれとか。ポールもウィングスとしてツアーするから手伝ってくれっていう話をしたり。あとジョージ・ハリスンですよね。アルバム『Living In The Material World』とかその辺の後、「バングラデシュ救済コンサート」もそうですね。いろいろ声をかけられて、マルは結構忙しくしてるんです。解散してからもソロのアーティストとしての活躍の中で、彼は相当必要とされていたし、多分ビートルズもマルをずっとそばに置いてきたかったんじゃないかなと私は思います。マルはその後、やっぱり独立しなければと、自分のキャリアを築いていこうと思って、いろいろ頑張るんですけれども──。できれば、リンゴでも、ジョージでもマルにそばにいてもらって、現場をマネージメントして欲しかったんじゃないかな。
バラカン:落ち着くっていうか、安心するんだと思うんですよね。同じリヴァプール出身で、一番最初からずっとそこにいた人だからね。ビートルズのようにもう本当超有名人になると、信頼できる人と信頼できない人とはっきり分かれると思うんです。で、マルのような存在の人っていうのはとにかく、100%信頼できるはずだから。それが一番大きかったんじゃないのかな?
松田:そうですね。そうするとやっぱりビートルズのメンバーがロサンゼルスに滞在することが多くなったり、アメリカ、ニューヨークに行ったりすると、マルをそっちに呼び寄せたくなってしまう。それによってマルには家庭の方が ── ロンドンに置いてきた子供たちと妻の方が、だんだん疎遠になってしまうというのが、このマルの人生のとても悲しいところですね。
バラカン:そうなんですよね。うーん。
松田:まだ最後まで読んでらっしゃらない方もいっぱいいると思いますけれども、最後は悲しいんです。マル・エヴァンズっていうのは76年に亡くなってるんです。で、それを知った上で、皆さんこう本を読むことになると思うので、どこでどうしてその道に行ってしまうのか?っていうところがこの本の後半のつらいところかなと思います。私は当時76年、マルが亡くなった時はニューヨークに住んでたんですけれども、まったくマル・エヴァンズのことを知らなくて。
バラカン:だってまだ十代半ばですよね。
松田:そうなんです。だけど、私がこのことを知っていれば、もっといろんな情報を集められたりとか──悔しい思いがあります。
バラカン:でもね、あの時代はまだ今のように情報はそんなにたくさん表には出てこなかったんですよ。音楽ジャーナリズムは、60年代後半から色々と発達はするんだけれども。まだあまり書かれてかったですよね、ビートルズの本は。長いインタビューを『ローリング・ストーン』誌でやったりとかしてるんだけれど、ビートルズのいろんなこういう舞台裏の取材とかそういうことは、まだみんなしてない時代だからね。うん。
松田:そうですよね。だから、マル・エヴァンズが亡くなったからといっても、そんなに大きなニュースになるわけではなかった、と。
バラカン:なってなかったと思います。
松田:イギリスの方では、もしかしたらなっているのかもしれないですけども。
バラカン:どうだろうね? ミュージシャンだったらそうだけど、ローディーが死んだっていうことで、ニュースにはほとんど、多分音楽雑誌でもなってないかもしれませんね。
松田:うん、最後は悲しいお話なんですね。だからこの本は、そうですね──ビートルズの新事実を知る資料、すごく重要な資料だと思うんですけれども、それと同時にマル・エヴァンズっていう人の人生を描いたドキュメントとして、私はすごく影響を受けていて。というのは、マル・エヴァンズって普通のサラリーマンだったわけですよね。一般の人が、大好きなアイドル──ビートルズに憧れていたら、その人たちから一緒に仕事しないかと言われて、その世界に入って、どんどんそっちに夢中になって。やりたいことをどんどん彼らに尽くしていくうちに、家族を見失ってしまうっていう。とてもこう、一般の人の悲しい物語だなというふうに私は捉えてしまうんですけども。
バラカン:でもやっぱり「ビートルズの付き人だったから」、ですよね。ビートルズがいなければ、他のバンドのローディーだったら、このような本は出ないんですよ。やっぱりビートルズありきの話なんですね。マルの目から見たビートルズの周りのいろんな事情が、そうでなければ伝わってこないような細かい話がいっぱいあるから、面白いわけで。
松田:やっぱビートルズだからこそ。
バラカン:だと思いますけどね。
松田:ビートルズのローディーになれたことが、彼にとってはすごくラッキーなことだったんでしょうね。そういう意味では。
バラカン:結局、ビートルズが解散した後からの、彼の仕事はほとんどなくなっちゃうから、彼がアメリカに移住するのは何年からでしたっけ。
松田:移住というか、そうですね……、70年頃からしょっちゅう行くようになって。
バラカン:行ったり来たりしてるんですよね。
松田:70年、71年頃だったと思うんですけれども。ロサンゼルスに行くことになって。そこで恋人ができてしまって……。マルは奥さんのことを愛しているんだけれども、どんどんなかなか家に帰りづらい状況になってしまう。そこがとてももどかしいところで。本人もやっぱりビートルズが解散してしまったことで、自分の居場所がなかなか見つからず、プロデューサーとして頑張っていくのか、作曲家として頑張っていくのか、いろいろ模索しているところだったと思いますけれど。
バラカン:で結局、個々のメンバーから突然、何かまた用事を……。
松田:そうなんですよね。ジョン・レノンがアルバムやるから手伝ってくれとか、ハリー・ニルソンのアルバムをプロデュースするから手伝ってくれとか。ポールもウィングスとしてツアーするから手伝ってくれっていう話をしたり。あとジョージ・ハリスンですよね。アルバム『Living In The Material World』とかその辺の後、「バングラデシュ救済コンサート」もそうですね。いろいろ声をかけられて、マルは結構忙しくしてるんです。解散してからもソロのアーティストとしての活躍の中で、彼は相当必要とされていたし、多分ビートルズもマルをずっとそばに置いてきたかったんじゃないかなと私は思います。マルはその後、やっぱり独立しなければと、自分のキャリアを築いていこうと思って、いろいろ頑張るんですけれども──。できれば、リンゴでも、ジョージでもマルにそばにいてもらって、現場をマネージメントして欲しかったんじゃないかな。
バラカン:落ち着くっていうか、安心するんだと思うんですよね。同じリヴァプール出身で、一番最初からずっとそこにいた人だからね。ビートルズのようにもう本当超有名人になると、信頼できる人と信頼できない人とはっきり分かれると思うんです。で、マルのような存在の人っていうのはとにかく、100%信頼できるはずだから。それが一番大きかったんじゃないのかな?
松田:そうですね。そうするとやっぱりビートルズのメンバーがロサンゼルスに滞在することが多くなったり、アメリカ、ニューヨークに行ったりすると、マルをそっちに呼び寄せたくなってしまう。それによってマルには家庭の方が ── ロンドンに置いてきた子供たちと妻の方が、だんだん疎遠になってしまうというのが、このマルの人生のとても悲しいところですね。
バラカン:そうなんですよね。うーん。
松田:まだ最後まで読んでらっしゃらない方もいっぱいいると思いますけれども、最後は悲しいんです。マル・エヴァンズっていうのは76年に亡くなってるんです。で、それを知った上で、皆さんこう本を読むことになると思うので、どこでどうしてその道に行ってしまうのか?っていうところがこの本の後半のつらいところかなと思います。私は当時76年、マルが亡くなった時はニューヨークに住んでたんですけれども、まったくマル・エヴァンズのことを知らなくて。
バラカン:だってまだ十代半ばですよね。
松田:そうなんです。だけど、私がこのことを知っていれば、もっといろんな情報を集められたりとか──悔しい思いがあります。
バラカン:でもね、あの時代はまだ今のように情報はそんなにたくさん表には出てこなかったんですよ。音楽ジャーナリズムは、60年代後半から色々と発達はするんだけれども。まだあまり書かれてかったですよね、ビートルズの本は。長いインタビューを『ローリング・ストーン』誌でやったりとかしてるんだけれど、ビートルズのいろんなこういう舞台裏の取材とかそういうことは、まだみんなしてない時代だからね。うん。
松田:そうですよね。だから、マル・エヴァンズが亡くなったからといっても、そんなに大きなニュースになるわけではなかった、と。
バラカン:なってなかったと思います。
松田:イギリスの方では、もしかしたらなっているのかもしれないですけども。
バラカン:どうだろうね? ミュージシャンだったらそうだけど、ローディーが死んだっていうことで、ニュースにはほとんど、多分音楽雑誌でもなってないかもしれませんね。
松田:うん、最後は悲しいお話なんですね。だからこの本は、そうですね──ビートルズの新事実を知る資料、すごく重要な資料だと思うんですけれども、それと同時にマル・エヴァンズっていう人の人生を描いたドキュメントとして、私はすごく影響を受けていて。というのは、マル・エヴァンズって普通のサラリーマンだったわけですよね。一般の人が、大好きなアイドル──ビートルズに憧れていたら、その人たちから一緒に仕事しないかと言われて、その世界に入って、どんどんそっちに夢中になって。やりたいことをどんどん彼らに尽くしていくうちに、家族を見失ってしまうっていう。とてもこう、一般の人の悲しい物語だなというふうに私は捉えてしまうんですけども。
バラカン:でもやっぱり「ビートルズの付き人だったから」、ですよね。ビートルズがいなければ、他のバンドのローディーだったら、このような本は出ないんですよ。やっぱりビートルズありきの話なんですね。マルの目から見たビートルズの周りのいろんな事情が、そうでなければ伝わってこないような細かい話がいっぱいあるから、面白いわけで。
松田:やっぱビートルズだからこそ。
バラカン:だと思いますけどね。
松田:ビートルズのローディーになれたことが、彼にとってはすごくラッキーなことだったんでしょうね。そういう意味では。
──以上、第5回でした。そろそろ終盤、続きの第6回は、来週7月9日(水)10日(木)あたりの公開予定です……。どうぞお楽しみに!

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BOOK|2023.06.05
ビートルズをこよなく愛する杉 真理&和田 唱がナビゲートするラジオ番組が待望の書籍化〜『ディスカバー・ビートルズ THE BOOK』
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