マイルス・デイヴィスのコラボレーター、伝説的ジャズ・ドラマーのジャック・ディジョネットが83歳で死去
ジャック・ディジョネット/ジョージ 大塚/古野 光昭『Jackeyboard』(トリオ・レコード:1973)
商品情報 ジャック・ディジョネット『ジャッキーボード』
Amazon(2020/5/29)¥1,636(日本独自企画、最新リマスター、新規解説付)
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マイルス・デイヴィスやキース・ジャレットなど数多のジャズ界の巨匠たちと共演してきたジャズ・ドラマーで、ピアニスト/バンドリーダーでもあったジャック・ディジョネット(Jack DeJohnette)が10月26日、うっ血性心不全のため83歳で死去しました。
家族が訃報を伝えており、ディジョネットはニューヨーク州キングストンの病院にて、家族や友人らに囲まれながら安らかに息を引き取ったそうです。
家族が訃報を伝えており、ディジョネットはニューヨーク州キングストンの病院にて、家族や友人らに囲まれながら安らかに息を引き取ったそうです。
1942年にシカゴで生まれたディジョネットは、人種隔離が色濃く残る地域で祖母と詩人の母親に育てられ、幼少期からクラシックピアノを習い始めました。叔父の影響でジャズを聴くようになり、高校ではドゥー・ワップを歌い、ダンス・バンドで演奏し、ドラマーの友人が家の地下室にドラムセットを置いていったことを機に、ジャズ・レコードに合わせてドラムを演奏し始め、すぐに才能を開花させました。
高校退学後、セロニアス・モンクやアート・ブレイキーのアレンジを専門とする地元のクインテットで演奏するようになり、シカゴのバーでピアノ演奏の仕事をしながら生計を立て、近所のバーでサン・ラ・アーケストラのリハーサルを見た後バンドに誘われ、臨時のメンバーとしてドラムを演奏していました。また、毎晩のように地元のクラブに通い、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンといった新世代のジャズ・マスターたちの演奏を聴き、コルトレーンのドラマーが遅刻した時に飛び入り参加し、数曲演奏したこともありました。
60年代半ば、ニューヨークへ向かったディジョネットは、プロのジャズ・ドラマーとしてキャリアをスタートさせ、チャールズ・ロイド・カルテットにキース・ジャレットやセシル・マクビーと参加、1966年のライヴ・アルバム『Forest Flower』がクロスオーヴァー・ヒットになり、彼らの実験的でロックンロールの要素を取り入れたフュージョン・サウンドは、サイケデリック・ロック・ムーヴメントとの親和性を生み出し、ジャニス・ジョプリンやジェファーソン・エアプレインとの共演にも繋がりました。
その後、60年代後半にロイドのバンドを離れたディジョネットは、ビル・エヴァンス、スタン・ゲッツ、サックス奏者のジャッキー・マクリーンといったバンドリーダーたちとフリーランスで共演するようになり、1968年にはバンドリーダーとしてのデビュー・アルバム『The DeJohnette Complex』をリリースしました。
続いてマイルス・デイヴィスに注目されたディジョネットは、デイヴィスがウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーターとカルテットで行うギグに起用され、デイヴィスが1970年と1972年に発表した歴史的名盤『Bitches Brew』と『On The Corner』にも参加しました。
しかしながら、より自由な音楽活動を求めて1971年後半にデイヴィスのバンドを脱退し、キース・ジャレットとのコラボレーションに活路を見出したディジョネットは、1973年にジャレットとのコラボ・アルバム『Ruta and Daitya』をリリースしました。また、ECMとマイルストーン・レコードから様々な編成で作品を発表し、その多くにジャレットやソニー・ロリンズが参加していました。
なお、2007年のアルバム『Peace Time』が、第51回グラミー賞の「最優秀ニューエイジ・アルバム賞」を受賞し、2010年代に入ってもなお、リーダー、ピアニスト、ドラマーとして数多くのライヴ・アルバムやスタジオ・アルバムをリリースし続けました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
高校退学後、セロニアス・モンクやアート・ブレイキーのアレンジを専門とする地元のクインテットで演奏するようになり、シカゴのバーでピアノ演奏の仕事をしながら生計を立て、近所のバーでサン・ラ・アーケストラのリハーサルを見た後バンドに誘われ、臨時のメンバーとしてドラムを演奏していました。また、毎晩のように地元のクラブに通い、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンといった新世代のジャズ・マスターたちの演奏を聴き、コルトレーンのドラマーが遅刻した時に飛び入り参加し、数曲演奏したこともありました。
60年代半ば、ニューヨークへ向かったディジョネットは、プロのジャズ・ドラマーとしてキャリアをスタートさせ、チャールズ・ロイド・カルテットにキース・ジャレットやセシル・マクビーと参加、1966年のライヴ・アルバム『Forest Flower』がクロスオーヴァー・ヒットになり、彼らの実験的でロックンロールの要素を取り入れたフュージョン・サウンドは、サイケデリック・ロック・ムーヴメントとの親和性を生み出し、ジャニス・ジョプリンやジェファーソン・エアプレインとの共演にも繋がりました。
その後、60年代後半にロイドのバンドを離れたディジョネットは、ビル・エヴァンス、スタン・ゲッツ、サックス奏者のジャッキー・マクリーンといったバンドリーダーたちとフリーランスで共演するようになり、1968年にはバンドリーダーとしてのデビュー・アルバム『The DeJohnette Complex』をリリースしました。
続いてマイルス・デイヴィスに注目されたディジョネットは、デイヴィスがウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーターとカルテットで行うギグに起用され、デイヴィスが1970年と1972年に発表した歴史的名盤『Bitches Brew』と『On The Corner』にも参加しました。
しかしながら、より自由な音楽活動を求めて1971年後半にデイヴィスのバンドを脱退し、キース・ジャレットとのコラボレーションに活路を見出したディジョネットは、1973年にジャレットとのコラボ・アルバム『Ruta and Daitya』をリリースしました。また、ECMとマイルストーン・レコードから様々な編成で作品を発表し、その多くにジャレットやソニー・ロリンズが参加していました。
なお、2007年のアルバム『Peace Time』が、第51回グラミー賞の「最優秀ニューエイジ・アルバム賞」を受賞し、2010年代に入ってもなお、リーダー、ピアニスト、ドラマーとして数多くのライヴ・アルバムやスタジオ・アルバムをリリースし続けました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品詳細
ジャック・ディジョネット
『New Directions』
・Amazon Music(JAN 01 1978)
・Amazon(2019/5/17)¥3,494
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商品詳細
ケニー・ホイーラー/キース・ジャレット/デイヴ・ホランド/ジャック・ディジョネット
『Gnu High』
・Amazon Music(JAN 01 1976)
・Amazon(2008/8/26)¥1,810
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商品詳細
マイルス・デイヴィス
『ブラック・ビューティー』
Amazon(2023/11/22)¥2,045[CD]
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