「フレディ邸で一番偉いのは猫ちゃんでした(笑)」

フレディ邸の日本庭園を造った男・高原竜太朗トークイベント・リポート

出演:高原竜太朗(庭師 生け花師)
進行:石角隆行(クイーン研究家)

2019年9月8日 於:ブレイクセカンド/シンコーミュージック・アネックス
 

写真左より 高原竜太朗氏、石角隆行氏
石角隆行(以下石角):本日は台風が近づいている中、お集まりいただきありがとうございます。司会進行をさせていただきます石角隆行と申します。ではお待ちかね、フレディ・マーキュリー邸の日本庭園を造った男──高原竜太朗さんをご紹介します。高原竜太朗さんです。
高原竜太朗(以下高原):高原竜太朗です、よろしくお願いいたします。
石角:僭越ながら、私の方から高原さんがどういう方なのかを簡単に紹介します。ケンジントンにあるガーデン・ロッジというフレディ・マーキュリー邸の日本庭園の庭師をやられていた方です。おそらく日本人の中でフレディ・マーキュリーと一番長く接したのではないかと思われます。ガード(警備)を担当された伊丹さんも長いかもしれませんが、基本的には日本公演の間だけですから。高原さんは1986年6月くらいから87年2月までずっと毎日フレディ邸に通ってらして。
高原:日曜はお休み、土曜は午前中行ってました。
石角:元々お花というのはご実家が?
高原:生花店をやってまして、その影響で花を好きになり、日本庭園にも興味があったので京都の短大で造園を勉強していました。それで海外に行って修行したいなと思い、21歳のときロンドンにある「ジャパニーズ・ガーデン・センター」に就職したんです。
石角:そこからフレディにはどう繋がるのですか?
高原:フレディ・マーキュリーの方から、その「ジャパニーズ・ガーデン・センター」に〈自宅に日本庭園を造って欲しい〉というオファーがあったんです。会社の社長さんが日本人で、造園と生け花の先生をしてらして、私はその弟子みたいな形でした。当時はまだそんなに造園の技術もなかったのですが、日本人は私だけでしたので、専属で担当するようになったんです。
石角: 1986年7月からクイーンは最後のツアーとなった「マジック・ツアー」を始めるので、その直前の6月頃ケンジントンのフレディ邸に行かれたとの事ですが、フレディの最初の印象は如何でした?
高原:最初の設計の段階では会社の社長(親方と呼んでました)が打ち合わせをしていまして、私は測量でフレディ邸に伺ったんです。そうしたらなんとメンバーが全員いたんです!
石角:フレディ・マーキュリーはもちろん、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、ジョン・ディーコンの4人が!
高原:はい、4人が庭で──これは後で聞いたんですが、ツアーの打ち合わせをしていました。
石角:マジック・ツアーの打ち合わせの日に、たまたま行かれた! フレディの家にメンバーが揃うことはそうそうないと思われますが。
高原:そう伺いました。本当に貴重なタイミングですね。
石角:持ってますね(笑)。
高原:私、持ってますか? よかった(笑)。クイーンは好きだったんですけど、特にそんなに大ファンということではなく。でも、そのとき測量はしたんですけど、数字が全く頭に入らないんです、そこにメンバーがいるというだけで(場内爆笑)。あ、今は大ファンですよ。で、先生には巻尺で測れって言われたんですけど、それでもフィートやインチで数字が全く頭に入らない(笑)。私が測量に伺ったときはだいたい打ち合わせは終わっていたようで、その後庭で簡単な食事会があったんです。
石角:そのときは当然まだ日本庭園はなく。
高原:全くの更地でした。後でご説明しますが、その奥に英国庭園の造りかけがあったんです。
ここでフレディ邸の平面図がモニターに映され、花をポインターにした高原さんの解説始まった。広さは全部で約300坪。通用口は敷地の真ん中にあり、そこから入ると正面と右側に住居部分。左側に日本庭園が約100坪。庭園の真ん中に池があり、奥には滝が造られ水は循環するシステム。池の左奥には茶室があった。
石角:通用口の写真を映しますね。これがフレディ邸で一番有名かもしれません。扉に世界中のファンの落書きがあって。では平面図にもどりますが、打ち合わせ後の食事会は?
高原:ローストビーフとか美味しそうな食事をされていて、見たこともないようなワインとか──そっちの方に目が眩んで、それもあって測量の数字は頭に入りませんでした。
石角:それで、測量も終わり実際の造園作業に入られた。日本庭園に池がありますね、そのお話を伺いたいのですが。
高原:フレディたっての希望で造った池なんです、ここに錦鯉を飼いたいと。それでどこからか鯉を調達して。
石角:日本から輸入すると関税とかが凄く高いので、イギリスの錦鯉愛好家から調達。
高原:その辺りはジム・ハットンさんが。
石角:ジム・ハットンさん、フレディの最愛の恋人で、亡くなるまでの7年間を共に過ごした方ですね。それで、日本庭園を造るのはどのくらい日数がかかったんですか?
高原:初夏から秋口くらいまで、一つの季節はかかりました。日本庭園は踏み石を歩きながら色々な景色を見て行く──というテーマがあって少しずつ造っていくんですけど、フレディの場合は〈自宅の自分の部屋から全てが見渡せるように造って欲しい〉というリクエストがあったんです。それで通常の造り方ではなく、一気に取りかかりました。フレディさんせっかちだし、ツアーもあるから急いで欲しいと。
石角:全ての指示は親方から?
高原:当時は全体の指示はイギリス人の親方で、現場監督はウェールズ人、一緒に働いたのはアイルランド人。
石角:国際色豊かな感じですね。それで2〜3ヵ月かけて造った池に、いよいよ錦鯉を放流。一匹何十万円じゃ済まないくらい高価な錦鯉が。
高原:その前に池を造って水を入れるんですが、これが大変だったんです。普通、池は底や周囲は穴が開かないようにコンクリートで固めるんですね。そこに滝から水を流すんです、今回は8時間置きに循環式で。ところがそこで、庭の奥の方で英国式庭園を造っていた別チームが出張ってきて、『イギリスでは池にはビニールシートを張って水を溜めるのが一般的なやりかただ』って言うんです。プールみたいになってそれはあり得ないですよ、いくら30年前でも。でもそのときは、何故かジム・ハットンさんたちもその方法に賛同したので、とりあえずシートを張ってフチを石で固めて水を入れました。本当は水が定着するまで1〜2日は待つんですけど、なにぶん気の早いフレディなので、早く泳がせたいと、ジム・ハットンさんたちはその池に鯉を入れたんです。それで、翌朝通用門から入ると大騒ぎになっていて。私はてっきり水が漏れたか?と思ったんです。入っていくとフレディが凄くジム・ハットンさんに怒っていて。水が漏れたのはもちろんのこと、水がなくなって鯉はもうプカプカ浮いたりぐったりしてるんです。それを死んだと思ったジムさんが大きなスコップで掬っては投げ掬っては投げしていて、それを見てフレディが激怒してたんです。本来は池の水が漏れたことを怒るんですけど、このときは鯉を乱雑に扱ったジムさんに怒りの矛先が向けられて、ジムさんはしゅんとして。私は内心ホッとしたんです(場内笑)、下手すればクビで日本に帰るところでしたから。水漏れの原因を作ったイギリス人は引っ込んじゃって出てこないので、穴が開いたところを潜って捜して応急処置をして、後日水を抜いてコンクリートを塗って元に戻しました。──私も、今話しただけでグッタリきました。
石角:いやぁ本当に冷や汗ものでしたね。……で、平面図を見ると池の脇に茶室とあるんですが。
高原:これはイギリス人の方が造られて、私はそのアシスタントをしました。
石角:ちょうどその頃、フレディは1986年の8月頃までのマジック・ツアーが終わってグッタリしていて。疲れたときは日本に限ると、9月に約1ヵ月くらいプライヴェートで来日して京都にも行った──と。
高原:日本庭園の茶室だから侘び寂びの雰囲気で……と、最初は、瓦の色は茶色だったんです。ジム・ハットンさんも喜んでいて。ところが日本から戻ったフレディがその茶室を見て開口一番、『瓦の色が京都で見たものとは全然違う、何だコレはインチキじゃないか!』と。
石角:たしかに茶色の瓦屋根は……、ヨーロッパの方ではあるかもしれないですけど。
高原:今思えばそうですよね。それで黒い瓦に全部張り替えました。
石角:この茶室、東屋にはどんな方がいらしたんですか?
高原:一番覚えているのはモンセラート・カヴァリエさんが、この場所がお気に入りで、よく来てらっしゃいました。
石角:フレディと一緒にアルバム『バルセロナ』を作ったオペラ歌手の方。
高原:ここでお茶を飲んでいろんな話をされて。
石角:まさにここでできたんじゃないかという曲があるんです。『バルセロナ』に収録されている「ラ・ジャポネーゼ」。クイーンじゃないですけど「手をとりあって」以来の、フレディの日本語で歌われてます。そうするとこの曲誕生の遠因は高原さんにもあると。
高原:瓦の塗り替えは一晩でやりました(笑)。一人じゃ間に合わないのでイギリス人のカーペンター(大工)と一緒に。
石角:通常の作業のときは食事以外の休憩ってあったんですか?
高原:朝8時から仕事を始めて、午前中の10時と午後3時にティー・タイムがあって、その都度空いてる場所でお茶を飲んでました。ピーター・“フィービー” ・フリーストーンさんがお茶を出してくださって。
石角:フィービーさんはフレディのパーソナル・アシスタントで、フレディの最後も看取った方。元はロイヤルバレエ団の衣装係だったそうです。──フィービーさんは通いですか?
高原:そうですね、皆さん基本的には通いでした。ジム・ハットンさんは住んでらして、フレディの身の回りの世話とか細々としたことをされてました。お茶についてはフィービーさんがいないときはメアリーさんが出してくれました。メアリーさんは通いで秘書と紹介されて、でもプライヴェートでもガールフレンドだったので、失礼のないように。
石角:メアリーさん、怖かったですか?
高原:話してみると優しかったです。何かあったらメアリーさんに言って。いらっしゃらない場合はジム・ハットンさんかフィービーさんに相談するように言われてました。
石角:で、伺ったところによると、作業中に何かよく邪魔が入った──と。
高原:猫ちゃんです(笑)、この家の中ではフレディよりも偉いので、絶対に失礼のないように。で、元気いっぱいなんです、ご主人に似て。ディライラ。
石角:──「愛しきディライラ」って歌の題名にもなってます。
高原:他にも延べ7〜8匹いましたかね。作業を始めると、待ってたかのように庭に出てくるんです。
石角:錦鯉とか食べられなかったですか?
高原:心配でしたけど──、でも、もし食べてもフレディはジム・ハットンさんのときみたいには怒らないでしょうね。
石角:ジム・ハットンさん、メアリーさん、フィービーさんとお名前が挙りましたが、フレディ邸では全部でどれくらいの方が働いていたんですか?
高原:私の記憶では7〜8人が常に出入りしてました。中でも印象深かったのが、時々お茶を運んできてくださる、小柄なんですが屈強な凄くカッコいい方がいらして。色々お話をしていると『私はフレディのために身体を鍛えている』と仰っていて、何かあったらフレディの身を守る──と。
石角:なるほど。──それで、高原さんが最初直接フレディと話したときの印象を伺いたいのですが。
高原:最初は自己紹介と仕事の話をしたんですが、それもさっきの測量と同じでほとんど頭に入ってなかったですね。覚えてるのは歯が出ていたことくらい(笑)。会うのは出かけるときが多かったので、スタイリッシュでていつも高そうなスーツを着てらして。
石角:ふだん庭に出て来られることは?
高原:カヴァリエさんとかお客様がいらした場合は、猫を抱いて出てきてました。そういうときもスタイリッシュでお洒落でしたね。
石角:そうやって庭が完成したのが、翌87年の2月くらい。──最後にフレディから戴いた、記念のものがあると伺ったのですが。
高原:まず、この作業を始めるのにあたって、〈フレディにサインを求めてはいけない。写真もいけない〉というのがあったんです。庭の写真はフィービーさんやジム・ハットンさんにことわって撮影しました。──で、いただいたプレゼントは、〈通用門の鍵〉。誰よりも早く来て準備をして、一番最後に全部締めて帰る、というのをフレディも分かっていただいていて、別れるときに『この鍵は君にあげる』と。後は、〈日本庭園の石〉、これはフィービーさんに言って戴きました。そして〈フレディのサイン入りポートレート〉。コレはメアリーさん経由で戴きました。「To Ryutaro Best Wishes Freddie Mercury」と書いてあります。
石角:別れはちょっと寂しかったですか。
高原:完成と共に終わりですからね。
石角:ということで無事に完成しました。──では、ここでこの会場の入り口に飾ってあるお花の説明をしていただけますか? 
高原:私の好きなアルバム『ホット・スペース』をモチーフにして活けたものです。まずはフレディの赤、これは《赤く燃える情熱》。青はジョン・ディーコンで《青く澄んだ挑戦》。緑は《秘めた冷静》のロジャー・テイラー。黄色は《輝く英知》のブライアン・メイ。
石角:メンバーの中で一番理知的な感じで、確かにブライアンでなければこのメンバーを押さえきれなかったと思います、一番大人だったし。

この後、高原さんの好きな曲のプレイリストが紹介された。何故好きか?の問いに、“私は曲に合わせて踊りながら花を活けるから” という回答が印象的だった。それぞれの曲に関しては、『クイーン全曲ガイド』の著者である石角さんからの詳しい紹介コメントが付けられた。

<高原さんプレイリスト>
・花に因んで「谷間のゆり」(『シアー・ハート・アタック』)
・ダンス・ミュージックとして「バック・チャット」(『ホット・スペース』)
・曲のつながりが好き「フリック・オブ・ザ・リスト」(『シアー・ハート・アタック』)
・86年訪英時に流行っていた「カインド・オブ・マジック」(『カインド・オブ・マジック』)
 
最後に、会場からの質問に答える流れで日本庭園に関する話題になった。

石角: 1987年の2月に完成した日本庭園は、全部でどのくらい費用がかかったんですか?
高原:当時のレートで1ポンド=250円くらいだったので、全部で3,000万円くらいですね。その後の管理費、メンテナンス費も含めてですけど。
石角: 30年前の3,000万円は、今だと1億円くらいいっちゃうかもしれない。
高原:そのくらいになるかもしれないです。日本で造る日本庭園と材料がない海外とでは費用が違いますし、輸入には税金がかなりかかります。ですから比較的安い木材をインドから、石灯籠は一部韓国から船便で調達したりしました。
石角:日本庭園だけど、日本からのものではない(笑)。フレディ邸は今でもメアリーさんが管理されてるそうですけど、日本庭園が残っているかどうか……。
高原:そうですね……。
石角:〈google earth〉で上からの写真をなんとなく見られるので、大きさ感覚はそれで分かるかと思います。
高原:庭には元々大きな西洋ケヤキがあって、有るものは残して活かすという方式でした。
石角:ということで、本日はありがとうございました。
高原:ありがとうございました。
 

出口で、今回『ホット・スペース』をモチーフに活けられた花が分けられ、希望者に一本ずつ配られた。

─了─


 

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