米ジャズ・ピアニストのジュニア・マンスが92歳で死去
米ジャズ・ピアニスト/作曲家のジュニア・マンス(Junior Mance)が1月17日、マンハッタンの自宅で亡くなりました。享年92。
妻のグロリア・クレイボーンによると、マンスはアルツハイマー病を患い、先月転倒した時に脳出血を起こしていたそうです。
1928年にイリノイ州のエヴァンストンで生まれたマンスは、子供時代からピアノを弾き始め、10歳でプロとしてブルースを演奏していました。キャリアが本格的にスタートしたのは、1951年に入隊してからのことで、駐在先のケンタッキー州フォートノックス基地のクラブでキャノンボール・アダレイと出会い、彼のバンドでピアノを演奏したことがきっかけでした。
1953年に除隊してからは、ダイナ・ワシントンのピアニストとしてクラブで演奏し、ディジー・ガレスピーのバンドに参加したほか、バディ・ガイやチャーリー・パーカー、デクスター・ゴードンらと共演していました。
その後ニューヨークへ移ったマンスは、ダイナ・ワシントンとレコーディングやツアーを行い、1956年にはサム・ジョーンズやジミー・コブとキャノンボール・アダレイのバンドに参加し、2年以上にわたりレコーディングを行ないました。
アダレイのバンドが解散した後は、再びディジー・ガレスピーのバンドに加入したほか、1959年にはリーダーとしてのデビュー・アルバム『Junior』もリリースし、多数のミュージシャンたちと共演したマンスは、2016年に引退するまでリーダーとして、またサイドマンとして膨大な数のアルバムをリリースしています。
なお、1990年から2009年にかけて、マンスは1年おきに日本で開催された「100 Gold Fingers Piano Playhouse」というオールスター・ジャズ・ピアニスト10人によるコンサートに出演し、メンバーが毎回交代するラインナップには、秋吉敏子やモンティ・アレキサンダー、ケニー・バロンらが参加していました。
また、80年代後半から2011年まで、ニューヨークのニュー・スクール大学(The New School)で教鞭を執り、ジャズを教えていました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
1953年に除隊してからは、ダイナ・ワシントンのピアニストとしてクラブで演奏し、ディジー・ガレスピーのバンドに参加したほか、バディ・ガイやチャーリー・パーカー、デクスター・ゴードンらと共演していました。
その後ニューヨークへ移ったマンスは、ダイナ・ワシントンとレコーディングやツアーを行い、1956年にはサム・ジョーンズやジミー・コブとキャノンボール・アダレイのバンドに参加し、2年以上にわたりレコーディングを行ないました。
アダレイのバンドが解散した後は、再びディジー・ガレスピーのバンドに加入したほか、1959年にはリーダーとしてのデビュー・アルバム『Junior』もリリースし、多数のミュージシャンたちと共演したマンスは、2016年に引退するまでリーダーとして、またサイドマンとして膨大な数のアルバムをリリースしています。
なお、1990年から2009年にかけて、マンスは1年おきに日本で開催された「100 Gold Fingers Piano Playhouse」というオールスター・ジャズ・ピアニスト10人によるコンサートに出演し、メンバーが毎回交代するラインナップには、秋吉敏子やモンティ・アレキサンダー、ケニー・バロンらが参加していました。
また、80年代後半から2011年まで、ニューヨークのニュー・スクール大学(The New School)で教鞭を執り、ジャズを教えていました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品詳細
ジュニア・マンス
『ジュニア』
CD(2016/6/29)¥1,300
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商品詳細
Junior Mance
『The Complete Albums Collection』
CD(2017/9/8)輸入盤
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