※関連ニュースをご覧になる場合は、こちら↑のタグ(アーティスト名/項目)をクリック。
パーラメント/ファンカデリックのベーシスト、ビリー・ベース・ネルソン死去
ファンカデリック1971年の名盤『Maggot Brain』(Westbound)のスリーヴ。右画像の裏面がメンバーでのカットとなっており、前列左がビリー・ネルソン。前列右がタウル・ロス、後列左からエディ・ヘイゼル、バーニー・ウォレル、ティキ・フルウッド。
1月31日、パーラメント/ファンカデリックの創設メンバー、ビリー・ベース・ネルソンことウィリアム・ネルソンJr.が亡くなりました。享年75歳。グループのフロントマン、ジョージ・クリントンのフェイスブックでは、死因等の詳細は明かされていません。「永遠の平和とファンクの中で眠れ」というのが、このニュースに添えられた彼のコメントです。
1951年1月28日生まれのネルソンは、ニュージャージー州プレインフィールドの床屋で働いていたクリントンが仲良くなった大勢のミュージシャンたちのひとりでした。やがて彼らはドゥー・ワップ・ヴォーカル・グループを結成し、まだ十代だったネルソンを含めた彼らはザ・パーラメンツと名乗って、モータウンとの契約獲得を目標に定めました。グループは60年代後半にかけて5枚のシングルをリリースし、中でも 「I Wanna Testify」は、ポップ・チャートで最高位20位、R&Bチャートでは最高位3位を記録します。彼らがその次に出したシングル「All Your Goodies Are Gone」からは、グループが既にサイケデリアで実験を試みている様子が窺えます。
デイヴ・トンプソンの著書『Funk』には、パーラメンツでリズム・セクションを雇えば、ツアーをする時にも行く先々でハウス・バンドに頼る必要がなくなるのでは、と提案したのはネルソンだったと記されています。グループ内で当初はギターを弾いていたネルソンは、ギタリストのエディ・ヘイゼルを雇い入れることを提案した張本人であり、後にヘイゼルの「Maggot Brain」のギター・ソロはバンドの最もよく知られたパートのひとつとなりました。彼の加入を受けてネルソンはベースに転向し、ジェイムス・ジェマーソンから励まされながら、オン・ザ・ロードでプレイの仕方を習得しました。YouTubeチャンネルのpremierguitar.comによれば、クリントンはかつてネルソンのプレイ・スタイルを「アグレッシヴなロック・アティテュードを持ったモータウン・フレーヴァー」を持っていると評していました。
また、彼は破天荒なコスチュームでバンドのルックスにファンキーさをテコ入れした先駆者でした。バンドの中の最年少で、“ベイビー” 呼ばわりされることにウンザリしていた彼は、ある日のショウにオムツとコンバット・ブーツという出で立ちで現れたのです。
1967年、当時の所属レーベル、レヴィロットとの対立により、グループは新しいレーベルを探すこととなり、レヴィロットがザ・パーラメンツという名前の権利保持を主張しているとクリントンが発言したために、新たなバンド名も模索し始めます。後にパーラメンツから「s」を落としただけのスペルで落ち着くことになるものの、彼らはひとまずファンカデリックと改名することに決めました(ネルソンはこれを生前自分が考えた名前だと主張していました)。
ネルソンはファンカデリックの最初の3枚のアルバム、『Funkadelic』(1970)、 『Free Your Mind... and Your Ass Will Follow 』(1970)、『Maggot Brain』(1971)でベースを弾いています。パーラメンツ時代から大黒柱だったネルソンは、各アルバムで1曲ずつリード・ヴォーカルも務めています。また、「s」抜きのパーラメントの方でもデビュー・アルバム『Osmium』(1970)でベースを、『Up for the Down Stroke 』(1974)でギターをプレイしています。
彼はクリントンとの金銭的な衝突をきっかけにバンドを辞め、クリントンの公式ウェブサイトによれば、後に同じ理由でバンドを離れて行ったミュージシャンたちの先例を作ることになりました。彼はしばらくザ・テンプテーションズでプレイしてから、アルバム『Let’s Take It to the Stage』(1975)に収録された「Better by the Pound」のレコーディングでP-ファンクに復帰し、『Tales of Kidd Funkadelic 』(1976)のクレジットは “黒帯サンパサウリック(Thumpasauric)ベース” となっています。その後も70年代の終わりまで、彼はパーラメントとファンカデリック両方のアルバムに参加していました。
クリントンのウェブサイトによれば、再びグループを離脱した後のネルソンは、ザ・コモドアーズ、フィッシュボーン、ジャーメイン・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スモーキー・ロビンソン他のアーティストの下でプレイしていました。また、ヘイゼル、ルース・コープランド、バーニー・ウォレルをはじめ、P-ファンクのメンバーたちのソロ・アルバムにも多数参加しています。
90年代に入ると、ネルソンはO.G.ファンクというグループでフロントマンを務め、1991年にシングル「I Wanna Know」を、94年にアルバム『Out of the Dark』をリリースしました。そしてその94年、彼は再度P-ファンクに復帰し、97年にP-ファンクがロックンロール・ホール・オブ・フェイムで殿堂入りを果たした際にはメンバーの一人として名を連ねました。また、420ファンク・モブやサンズ・オブ・F.U.N.K.でもツアーに参加しました。
2016年に『The Soul Show』というラジオ番組に出演した際、その場で頭に浮かんだ曲を幾つか挙げて欲しいと言われたネルソンは、1992年に亡くなった彼の友人、エディ・ヘイゼルと一緒にプレイした3曲を挙げました──ファンカデリックの『Maggot Brain』に収録されている「Hit It and Quit It」と「Super Stupid」、そしてザ・テンプテーションズのアルバム『A Song For You』収録の「Shakey Ground」です。インタヴュアーがザ・テンプテーションズの曲を、彼らの「サイケデリック・ソウル時代」の作品だと発言したのに対し、ネルソンはこう正しました。「いやあ、モータウンはそれを “ファンカデリック時代” って呼んでたんだよ」。その声には彼の矜持がありありと感じられました。
デイヴ・トンプソンの著書『Funk』には、パーラメンツでリズム・セクションを雇えば、ツアーをする時にも行く先々でハウス・バンドに頼る必要がなくなるのでは、と提案したのはネルソンだったと記されています。グループ内で当初はギターを弾いていたネルソンは、ギタリストのエディ・ヘイゼルを雇い入れることを提案した張本人であり、後にヘイゼルの「Maggot Brain」のギター・ソロはバンドの最もよく知られたパートのひとつとなりました。彼の加入を受けてネルソンはベースに転向し、ジェイムス・ジェマーソンから励まされながら、オン・ザ・ロードでプレイの仕方を習得しました。YouTubeチャンネルのpremierguitar.comによれば、クリントンはかつてネルソンのプレイ・スタイルを「アグレッシヴなロック・アティテュードを持ったモータウン・フレーヴァー」を持っていると評していました。
また、彼は破天荒なコスチュームでバンドのルックスにファンキーさをテコ入れした先駆者でした。バンドの中の最年少で、“ベイビー” 呼ばわりされることにウンザリしていた彼は、ある日のショウにオムツとコンバット・ブーツという出で立ちで現れたのです。
1967年、当時の所属レーベル、レヴィロットとの対立により、グループは新しいレーベルを探すこととなり、レヴィロットがザ・パーラメンツという名前の権利保持を主張しているとクリントンが発言したために、新たなバンド名も模索し始めます。後にパーラメンツから「s」を落としただけのスペルで落ち着くことになるものの、彼らはひとまずファンカデリックと改名することに決めました(ネルソンはこれを生前自分が考えた名前だと主張していました)。
ネルソンはファンカデリックの最初の3枚のアルバム、『Funkadelic』(1970)、 『Free Your Mind... and Your Ass Will Follow 』(1970)、『Maggot Brain』(1971)でベースを弾いています。パーラメンツ時代から大黒柱だったネルソンは、各アルバムで1曲ずつリード・ヴォーカルも務めています。また、「s」抜きのパーラメントの方でもデビュー・アルバム『Osmium』(1970)でベースを、『Up for the Down Stroke 』(1974)でギターをプレイしています。
彼はクリントンとの金銭的な衝突をきっかけにバンドを辞め、クリントンの公式ウェブサイトによれば、後に同じ理由でバンドを離れて行ったミュージシャンたちの先例を作ることになりました。彼はしばらくザ・テンプテーションズでプレイしてから、アルバム『Let’s Take It to the Stage』(1975)に収録された「Better by the Pound」のレコーディングでP-ファンクに復帰し、『Tales of Kidd Funkadelic 』(1976)のクレジットは “黒帯サンパサウリック(Thumpasauric)ベース” となっています。その後も70年代の終わりまで、彼はパーラメントとファンカデリック両方のアルバムに参加していました。
クリントンのウェブサイトによれば、再びグループを離脱した後のネルソンは、ザ・コモドアーズ、フィッシュボーン、ジャーメイン・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スモーキー・ロビンソン他のアーティストの下でプレイしていました。また、ヘイゼル、ルース・コープランド、バーニー・ウォレルをはじめ、P-ファンクのメンバーたちのソロ・アルバムにも多数参加しています。
90年代に入ると、ネルソンはO.G.ファンクというグループでフロントマンを務め、1991年にシングル「I Wanna Know」を、94年にアルバム『Out of the Dark』をリリースしました。そしてその94年、彼は再度P-ファンクに復帰し、97年にP-ファンクがロックンロール・ホール・オブ・フェイムで殿堂入りを果たした際にはメンバーの一人として名を連ねました。また、420ファンク・モブやサンズ・オブ・F.U.N.K.でもツアーに参加しました。
2016年に『The Soul Show』というラジオ番組に出演した際、その場で頭に浮かんだ曲を幾つか挙げて欲しいと言われたネルソンは、1992年に亡くなった彼の友人、エディ・ヘイゼルと一緒にプレイした3曲を挙げました──ファンカデリックの『Maggot Brain』に収録されている「Hit It and Quit It」と「Super Stupid」、そしてザ・テンプテーションズのアルバム『A Song For You』収録の「Shakey Ground」です。インタヴュアーがザ・テンプテーションズの曲を、彼らの「サイケデリック・ソウル時代」の作品だと発言したのに対し、ネルソンはこう正しました。「いやあ、モータウンはそれを “ファンカデリック時代” って呼んでたんだよ」。その声には彼の矜持がありありと感じられました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品詳細
ファンカデリック
『Maggot Brain』
Amazon Music(JUL 12 1971)
ファンカデリック
『Maggot Brain』
Amazon Music(JUL 12 1971)
商品詳細
パーラメント
『Osmium+7』(Digital Remastering)
Amazon Music(-)
パーラメント
『Osmium+7』(Digital Remastering)
Amazon Music(-)
商品詳細
O.G. Funk
『Out Of The Dark』
Amazon Music(MAY 04 1993)
O.G. Funk
『Out Of The Dark』
Amazon Music(MAY 04 1993)
この記事についてのコメントコメントを投稿
この記事へのコメントはまだありません
RELATED POSTS
関連記事
-
2026.02.04 スリー・ドッグ・ナイトのリード・ヴォーカリスト、チャック・ネグロン死去
-
2026.01.28 スライ&ロビーのスライ・ダンバー死去
-
2026.01.27 元スコーピオンズのベーシスト、フランシス・ブッフホルツ死去
-
2026.01.23 ミッドナイト・オイルのドラマー、ロブ・ハースト死去
-
2026.01.21 ボブ・ウィアーの追悼式開催、バンド仲間のジョン・メイヤーが弔辞を述べ演奏を披露
-
2026.01.21 元スージー&ザ・バンシーズのドラマー、ケニー・モリス死去
-
2026.01.21 訃報:フランス往年の名女優にして活動家、ブリジット・バルドー死去
LATEST POSTS
最新記事
-
2025.01.07 クイーン関連 最新ニュース(2026/2/3更新)
-
2024.04.04 ザ・ビートルズ関連 最新ニュース(2026/2/3更新)
-
2023.03.07 直近開催予定のイベントまとめ(2026/2/3更新)