元プロコル・ハルムのベーシスト、アラン・カートライトが75歳で死去
英ロック・バンド、プロコル・ハルムのベーシストだったアラン・カートライト(Alan Cartwright)が3月4日、75歳で死去しました。バンドがフェイスブックで訃報を伝えています。カートライトは、2020年に胃ガンと診断されていました。
ロンドン出身のカートライトは、1971年から1976年までプロコル・ハルムに在籍し、バンド1972年のライヴ・アルバム『Procol Harum Live with the Edmonton Symphony Orchestra』、1973年の『Grand Hotel』、1974年の『Exotic Birds and Fruit』、1975年の『Procol’s Ninth』に参加しました。
その後、クリス・コッピンが再びベースを担当することになり、バンドを脱退したカートライトは音楽業界から引退し、長年にわたりバーを経営していました。
カートライトの訃報を受け、プロコル・ハルムの創設者でリーダーのゲイリー・ブルッカーが3月8日、追悼文を発表しています。
「アラン・カートライトの訃報を聞き、非常に悲しい。思い返せば、彼は常に堅実で信頼できるベース・プレイヤーで、スタジオでもツアーでもベストを尽くしてくれた。(1977年のアルバム)『Something Magic』の頃に連絡が途絶え、その後バンドは解散したが、1997年の30周年記念コンサートの頃までに再び連絡を取り合うようになり、彼はバンドのリユニオンに参加してくれた。彼に会えて嬉しかったが、彼が以前のようにベースを弾けなくなった姿を見るのは悲しかった。たった5年間だったが、彼のいたプロコル・ハルムの時代が最も記憶に残っている」
プロコル・ハルム公式HPより/Procol Harum - Beyond the Pale
その後、クリス・コッピンが再びベースを担当することになり、バンドを脱退したカートライトは音楽業界から引退し、長年にわたりバーを経営していました。
カートライトの訃報を受け、プロコル・ハルムの創設者でリーダーのゲイリー・ブルッカーが3月8日、追悼文を発表しています。
「アラン・カートライトの訃報を聞き、非常に悲しい。思い返せば、彼は常に堅実で信頼できるベース・プレイヤーで、スタジオでもツアーでもベストを尽くしてくれた。(1977年のアルバム)『Something Magic』の頃に連絡が途絶え、その後バンドは解散したが、1997年の30周年記念コンサートの頃までに再び連絡を取り合うようになり、彼はバンドのリユニオンに参加してくれた。彼に会えて嬉しかったが、彼が以前のようにベースを弾けなくなった姿を見るのは悲しかった。たった5年間だったが、彼のいたプロコル・ハルムの時代が最も記憶に残っている」
プロコル・ハルム公式HPより/Procol Harum - Beyond the Pale
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