元ウォーのベーシスト、モリス “B. B.” ディッカーソンが71歳で死去
米ファンク/ロック/ソウル・バンド、ウォー(War)の共同創始者でベーシストだったモリス “B. B.” ディッカーソン(Morris B. B. Dickerson)が4月2日、71歳で死去しました。
家族の代表が訃報を発表しており、ディッカーソンは長い間病気を患っていたそうですが、死因は公表されていません。
家族の代表が訃報を発表しており、ディッカーソンは長い間病気を患っていたそうですが、死因は公表されていません。
南カリフォルニアで生まれ育ったディッカーソンは、12歳でベースを弾き始め、クリエイターズというバンドで演奏していました。このバンドが1968年にナイトシフトというバンドに展開し、その後1969年に元アニマルズのエリック・バードン率いるウォーが誕生しました。
1970年に2枚のアルバムを発表したウォーは、ヨーロッパとアメリカで大規模なツアーを行ない、ジミ・ヘンドリックスが亡くなる前日に行なった最後のパフォーマンスでも共演しましたが、その後すぐにバードンが脱退しました。
ウォーに10年在籍したディッカーソンは、バンドの絶頂期に貢献し、大ヒット曲「Spill the Wine」「The Cisco Kid」「Why Can’t We Be Friends」「Low Rider」を共作したほか、1972年の「The World Is a Ghetto」ではヴォーカルも担当しました。
1970年に2枚のアルバムを発表したウォーは、ヨーロッパとアメリカで大規模なツアーを行ない、ジミ・ヘンドリックスが亡くなる前日に行なった最後のパフォーマンスでも共演しましたが、その後すぐにバードンが脱退しました。
ウォーに10年在籍したディッカーソンは、バンドの絶頂期に貢献し、大ヒット曲「Spill the Wine」「The Cisco Kid」「Why Can’t We Be Friends」「Low Rider」を共作したほか、1972年の「The World Is a Ghetto」ではヴォーカルも担当しました。
ウォーは、ディッカーソンの在籍中に12枚のスタジオ・アルバムをリリースし、そのうち7タイトルがゴールド・ディスクに認定されましたが、ディッカーソンは1979年に脱退し、90年代にウォーの元メンバーらとロウライダー・バンド(Lowrider Band)を結成しました。
ディッカーソンの訃報を受け、ロウライダー・バンドのフェイスブック・ページには追悼メッセージが掲載されています。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
ディッカーソンの訃報を受け、ロウライダー・バンドのフェイスブック・ページには追悼メッセージが掲載されています。
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