デヴィッド・ボウイ初期のコラボレーター、ジョン・ハッチンソンが死去

デヴィッド・ボウイ初期のコラボレーターでギタリストだったジョン・“ハッチ”・ハッチンソン(John “Hutch” Hutchinson)が7月25日、長い闘病生活の末に亡くなりました。ボウイの公式サイトで訃報が発表されています。
ハッチンソンは、1966年から1973年にかけてボウイの3つのバンドに参加し、1969年に『Space Oddity』のファースト・デモでギターを演奏した後、1973年の「Aladdin Sane」ツアーにも参加していました。

北イングランドのスカボローで生まれたハッチンソンは、リトル・リチャードやジーン・ヴィンセントのサポート・バンドで演奏した後、1966年にボウイのバック・バンドだったバズ(Buzz)のオーディションでボウイと初めて出会いました。

バズが解散した後、ハッチとボウイは1968年、ボウイの恋人だったヘルミオーネ・ファージンゲールと “フェザーズ” というフォーク・トリオを結成し、いくつかのデモをレコーディングしたものの、ボウイとヘルミオーネの破局により解散しました。
しかしながら、解散後もボウイとハッチンソンはフォーク・デュオとして活動を続け、「Space Oddity」の初期ヴァージョンなどをレコーディングしていましたが、ボウイとの活動時間がハッチの私生活に支障をきたすようになり、ハッチンソンが脱退。それから数か月後、ボウイのソロ・ヴァージョン『Space Oddity』が、UKチャートのトップ10に入る大ヒットになりました。

スーパースターになったボウイは1973年、「Aladdin Sane」ツアーでバック・バンドのスパイダース・フロム・マーズにリズム・ギタリスト/バッキング・シンガーとしてハッチを起用しましたが、ボウイのジギー・スターダスト引退に伴い、このバンドも解散しました。

その後、1979年にアメリカン・エコーズという自身のバンドとシングルをリリースしたハッチは、1980年にプロのミュージシャンから引退し、石油産業に携わっていました。

2014年には自身の回顧録『ボウイ&ハッチ』を出版し、時折ボウイとメールのやりとりをしていると明かしていました。

なお、初期のボウイとハッチがレコーディングした未発表音源は、2019年に発売されたボックスセット『Clareville Grove Demos』(2019年2月22日MLCニュース参照)や、『Spying Through A Keyhole』(2019年1月31日MLCニュース)に収録されています。

安らかなる眠りをお祈りいたします。
Bowie TV : John 'Hutch' Hutchinson
on playing Space Oddity with David Bowie
商品詳細
John 'Hutch' Hutchinson
(著)
『Bowie & Hutch(English Edition)』

Kindle版/英語版(2014/7/8)¥1,020
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