伝説のサルサ・ミュージシャン、ラリー・ハーロウが82歳で死去
アメリカでサルサを有名にした伝説のピアニスト/作曲家/アレンジャー/プロデューサーのラリー・ハーロウ(Larry Harlow)が8月20日、心不全のためブロンクスの病院で亡くなりました。享年82。
ハーロウは、ニューヨークのラテン音楽専門レーベル、ファニア・レコード所属のスター・アーティストによるサルサ・グループ、ファニア・オールスターズのメンバーでもありました。
1939年にニューヨークのブルックリンで生まれたハーロウは、早い時期から様々な楽器の演奏に長け、50年代にキューバでアフロ・キューバン音楽を学び、ニューヨークに戻った後、自身が率いるオーケストラ・ハーロウがファニア・レコードと契約しました。
またハーロウは、様々なアーティストのアルバムや自身のアルバムを含め200枚以上のアルバムをプロデュース/レコーディングしつつ、ファニア・オールスターズとの活動も続けていました。
史上最も重要なサルサ・グループと言われるオールスターズの初代ピアニストで、ファニアの初代レコード・プロデューサーだったハーロウは、オールスターズ1972年のドキュメンタリー映画『Our Latin Thing』にも出演し、同映画では、オーケストラ・ハーロウ1971年のパフォーマンスがハイライトの一つになっていました。
ハーロウは、2000年に「インターナショナル・ラテン・ミュージックの殿堂」入りを果たし、2008年にラテン・グラミーの特別功労賞を受賞、2016年にはラ・ムーサ・アワードのレガシー・アワードを受賞し、昨年のパンデミックまでレコーディングとパフォーマンスを続けていました。
日本にも何度か訪れ、ファニア契約第一号アーティストの実力を存分に聴かせてくれました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
1939年にニューヨークのブルックリンで生まれたハーロウは、早い時期から様々な楽器の演奏に長け、50年代にキューバでアフロ・キューバン音楽を学び、ニューヨークに戻った後、自身が率いるオーケストラ・ハーロウがファニア・レコードと契約しました。
またハーロウは、様々なアーティストのアルバムや自身のアルバムを含め200枚以上のアルバムをプロデュース/レコーディングしつつ、ファニア・オールスターズとの活動も続けていました。
史上最も重要なサルサ・グループと言われるオールスターズの初代ピアニストで、ファニアの初代レコード・プロデューサーだったハーロウは、オールスターズ1972年のドキュメンタリー映画『Our Latin Thing』にも出演し、同映画では、オーケストラ・ハーロウ1971年のパフォーマンスがハイライトの一つになっていました。
ハーロウは、2000年に「インターナショナル・ラテン・ミュージックの殿堂」入りを果たし、2008年にラテン・グラミーの特別功労賞を受賞、2016年にはラ・ムーサ・アワードのレガシー・アワードを受賞し、昨年のパンデミックまでレコーディングとパフォーマンスを続けていました。
日本にも何度か訪れ、ファニア契約第一号アーティストの実力を存分に聴かせてくれました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
商品詳細
Larry Harlow
『La Herencia』
MP3(2007/8/14)¥1,900
Larry Harlow
『La Herencia』
MP3(2007/8/14)¥1,900
商品詳細
Larry Harlow
『Live at Birdland(Live)』
MP3(2002/9/30)¥1,600
Larry Harlow
『Live at Birdland(Live)』
MP3(2002/9/30)¥1,600
この記事についてのコメントコメントを投稿
この記事へのコメントはまだありません
RELATED POSTS
関連記事
-
2025.12.09 名セッション・ギタリスト、フィル・アップチャーチが84歳で死去
-
2025.12.08 追悼:山内テツ──英国ロック界に名を轟かせた偉大なベーシストを偲ぶ
-
2025.12.05 2025年11月に他界したミュージシャン及び音楽関係者
-
2025.12.04 伝説のR&B/ソウル・ギタリスト、スティーヴ・クロッパーが84歳で死去
-
2025.11.27 【追悼】R.I.P ジミー・クリフ 1944-2025【撮影1978年4月初来日時】
LATEST POSTS
最新記事
-
2025.01.07 クイーン関連 最新ニュース(2025/12/12更新)
-
2024.04.04 ザ・ビートルズ関連 最新ニュース(2025/12/12更新)