サザン・ソウルの代表的シンガー、スペンサー・ウィギンスが81歳で死去

Spencer Wiggins
商品情報『The Goldwax Years』CD(2006/4/25)輸入盤
最も偉大なディープ・ソウル・シンガーの一人、スペンサー・ウィギンス(Spencer Wiggins)が2月13日、81歳で死去しました。彼の弟でゴスペル歌手のパーシー・ウィギンスが訃報を伝えています。

1942年にテネシー州メンフィスで生まれたウィギンスは、母親が聖歌隊のメンバーだった教会でゴスペルを歌い始め、50年代初頭に弟パーシーや姉妹たちとニュー・ライヴァル・ゴスペル・シンガーズを結成し、WDIAラジオで毎週パフォーマンスを行なっていました。
高校の同級生には、後にスタックス・レコードのソングライター/プロデューサーになったデヴィッド・ポーターや、アース・ウィンド&ファイアーの創設者モーリス・ホワイト、スタックス・レコードのレジェンド、ブッカー・T・ジョーンズ、ハイ・レコードのシンガー、ドン・ブライアント、ゴールドワックスのレーベル仲間となるジェイムス・カーらがおり、高校卒業後にゴスペルからR&Bにシフトしたウィギンス兄弟は、デヴィッド・ポーターとR&Bグループのザ・フォー・スターズ(The Four Stars)を結成しました。
ウィギンスは60年代初頭、地元の人気ナイトクラブ、フラミンゴ・ルームに出演し、アイザック・ヘイズ(オルガン)や、ドラマーのハワード・グライムス(2022年2月16日MLCニュース)が参加していたジーン・“ボウレッグス”・ミラー率いるオールスター・アンサンブルで歌っていたところ、ゴールドワックスの共同創設者/プロデューサーのクイントン・クランチに発掘され、1965年にゴールドワックスの子会社、バンドスタンドUSAからデビュー・シングル「Lover’s Crimes」をリリースしました。
その後、デュアン・オールマンのギターをフィーチャーした1969年の「I Never Loved a Woman」に至るまで、ゴールドワックスから7枚のシングルをリリースしましたが、どれも商業的に成功せず、同年フェイム・レコードに移籍しました。
しかしながら、フェイムからリリースした2枚のシングルもヒットせず、ウィギンスは1973年にメンフィスを去り、マイアミに移住しました。マイアミでは、ニュー・バース・バプティスト教会の助祭とコーラス・ディレクターを務めていましたが、80年代後半から日本のレーベル「ヴィヴィド・サウンド」とUKのレーベルが、初期の楽曲や未発表曲のコンピレーション・アルバムをリリースし始め、ウィギンスは2011年にメンフィスに戻りました。
その後、過去10年にわたり、イタリアのポレッタ・ソウル・フェスティバルや、ニューオーリンズのポンデローザ・ストンプに出演し、イギリスと日本でも公演を行なっていました。
ウィギンスは、チャートで大きな成功を収めることはなかったものの、サザン・ソウルの黄金時代における最も喚情的なヴォーカリストの一人として称賛され、カルト的な人気を博しました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
高校の同級生には、後にスタックス・レコードのソングライター/プロデューサーになったデヴィッド・ポーターや、アース・ウィンド&ファイアーの創設者モーリス・ホワイト、スタックス・レコードのレジェンド、ブッカー・T・ジョーンズ、ハイ・レコードのシンガー、ドン・ブライアント、ゴールドワックスのレーベル仲間となるジェイムス・カーらがおり、高校卒業後にゴスペルからR&Bにシフトしたウィギンス兄弟は、デヴィッド・ポーターとR&Bグループのザ・フォー・スターズ(The Four Stars)を結成しました。
ウィギンスは60年代初頭、地元の人気ナイトクラブ、フラミンゴ・ルームに出演し、アイザック・ヘイズ(オルガン)や、ドラマーのハワード・グライムス(2022年2月16日MLCニュース)が参加していたジーン・“ボウレッグス”・ミラー率いるオールスター・アンサンブルで歌っていたところ、ゴールドワックスの共同創設者/プロデューサーのクイントン・クランチに発掘され、1965年にゴールドワックスの子会社、バンドスタンドUSAからデビュー・シングル「Lover’s Crimes」をリリースしました。
その後、デュアン・オールマンのギターをフィーチャーした1969年の「I Never Loved a Woman」に至るまで、ゴールドワックスから7枚のシングルをリリースしましたが、どれも商業的に成功せず、同年フェイム・レコードに移籍しました。
しかしながら、フェイムからリリースした2枚のシングルもヒットせず、ウィギンスは1973年にメンフィスを去り、マイアミに移住しました。マイアミでは、ニュー・バース・バプティスト教会の助祭とコーラス・ディレクターを務めていましたが、80年代後半から日本のレーベル「ヴィヴィド・サウンド」とUKのレーベルが、初期の楽曲や未発表曲のコンピレーション・アルバムをリリースし始め、ウィギンスは2011年にメンフィスに戻りました。
その後、過去10年にわたり、イタリアのポレッタ・ソウル・フェスティバルや、ニューオーリンズのポンデローザ・ストンプに出演し、イギリスと日本でも公演を行なっていました。
ウィギンスは、チャートで大きな成功を収めることはなかったものの、サザン・ソウルの黄金時代における最も喚情的なヴォーカリストの一人として称賛され、カルト的な人気を博しました。
安らかなる眠りをお祈りいたします。


商品詳細
スペンサー・ウィギンス
『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド・XLレコーディングス』
CD(2010/7/21)¥2,423[日本語解説付]
スペンサー・ウィギンス
『フィード・ザ・フレイム:ザ・フェイム・アンド・XLレコーディングス』
CD(2010/7/21)¥2,423[日本語解説付]

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