カリプソ音楽のキング、ハリー・べラフォンテが96歳で死去
1956年の大ヒット曲「バナナ・ボート」(原題「Day-O〈The Banana Boat Song〉」)で知られる歌手/俳優/社会活動家のハリー・べラフォンテ(Harry Belafonte)が4月25日、96歳で死去しました。
『ニューヨーク・タイムズ』紙によると、べラフォンテはNYCの自宅にて、鬱血性心不全により亡くなったそうです。

べラフォンテは1927年、ジャマイカ系アメリカ人の両親のもとNYのハーレムで生まれ、高校卒業後、第二次世界大戦で海軍に兵役していました。その後、1940年代に親友のシドニー・ポワチエとアメリカン・ニグロ・シアターのショウを見たことを機に舞台に魅せられ、演劇のレッスンに通った後、同劇場に出演し始め、1954年のブロードウェイ・ミュージカル『John Murray Anderson’s Almanac』でトニー賞を受賞しました。
べラフォンテの音楽キャリアは、演劇のレッスン代を稼ぐためにナイトクラブで歌ったことからスタートし、1953年にデビュー・シングル「Matilda」をリリースした後、1956年のサード・アルバム『Calypso』が全米チャートで31週にわたり第1位を獲得、同作から「Day-O(The Banana Boat Song)」や「Jamaica Farewell」が大ヒットし、カリプソのアイコンになりました。
また、1953年の映画『Bright Road』に初出演したべラフォンテは、1954年のミュージカル映画『Carmen Jones』(邦題『カルメン』)で主役を務め、ハリウッドで主演男優として成功した最初の黒人俳優になりました。しかしながら、1959年の映画『Odds Against Tomorrow』(『拳銃の報酬』)と『The World, the Flesh and the Devil』に出演した後、役柄に幻滅したべラフォンテは俳優業から離れ、代わりにポワチエがハリウッドの黒人俳優として名声を得ました。
その後、音楽に焦点をあてたべラフォンテは、『Tonight with Belafonte』をはじめとする多数のTV特番で人気を博し、ジャマイカ系アメリカ人として、初めてエミー賞を受賞したほか、フランク・シナトラから招待され、ケネディ大統領の就任式典でパフォーマンスを行ない、スターのステイタスを証明しました。
べラフォンテの商業的な成功は、60年代のブリティッシュ・インヴェイジョンで衰えたものの、1960年のアルバム『Swing Dat Hammer』と1965年のコラボ・アルバム『An Evening with Belafonte/Makeba』がグラミー賞を受賞、その後もTVの特番に出演し続け、1968年2月の『The Tonight Show』では、ゲスト司会者としてロバート・ケネディ上院議員やキング牧師にインタヴューを行なっていました。
また、公民権運動に貢献したべラフォンテは、学生非暴力調整委員会(SNCC)と、キング牧師の南部キリスト教指導者会議の主な資金調達者の一人として活動し、1963年のバーミングハム運動の中、投獄されたキング牧師らを釈放するための資金提供にも協力しました。
べラフォンテの音楽キャリアは、演劇のレッスン代を稼ぐためにナイトクラブで歌ったことからスタートし、1953年にデビュー・シングル「Matilda」をリリースした後、1956年のサード・アルバム『Calypso』が全米チャートで31週にわたり第1位を獲得、同作から「Day-O(The Banana Boat Song)」や「Jamaica Farewell」が大ヒットし、カリプソのアイコンになりました。
また、1953年の映画『Bright Road』に初出演したべラフォンテは、1954年のミュージカル映画『Carmen Jones』(邦題『カルメン』)で主役を務め、ハリウッドで主演男優として成功した最初の黒人俳優になりました。しかしながら、1959年の映画『Odds Against Tomorrow』(『拳銃の報酬』)と『The World, the Flesh and the Devil』に出演した後、役柄に幻滅したべラフォンテは俳優業から離れ、代わりにポワチエがハリウッドの黒人俳優として名声を得ました。
その後、音楽に焦点をあてたべラフォンテは、『Tonight with Belafonte』をはじめとする多数のTV特番で人気を博し、ジャマイカ系アメリカ人として、初めてエミー賞を受賞したほか、フランク・シナトラから招待され、ケネディ大統領の就任式典でパフォーマンスを行ない、スターのステイタスを証明しました。
べラフォンテの商業的な成功は、60年代のブリティッシュ・インヴェイジョンで衰えたものの、1960年のアルバム『Swing Dat Hammer』と1965年のコラボ・アルバム『An Evening with Belafonte/Makeba』がグラミー賞を受賞、その後もTVの特番に出演し続け、1968年2月の『The Tonight Show』では、ゲスト司会者としてロバート・ケネディ上院議員やキング牧師にインタヴューを行なっていました。
また、公民権運動に貢献したべラフォンテは、学生非暴力調整委員会(SNCC)と、キング牧師の南部キリスト教指導者会議の主な資金調達者の一人として活動し、1963年のバーミングハム運動の中、投獄されたキング牧師らを釈放するための資金提供にも協力しました。
1985年には、アフリカ飢餓救済のための「USAフォー・アフリカ」を提唱し、スーパースターらを集結させたチャリティ・シングル「We Are the World」のレコーディングに貢献したほか、同年の「ライヴ・エイド」コンサートにも出演しました。
なお、べラフォンテは1989年にケネディ・センター名誉賞、1994年に国民芸術勲章、2000年にグラミー賞特別功労賞、2014年に映画芸術科学アカデミーから「ジーン・ハーショルト友愛賞」を受賞し、2022年には「ロックの殿堂」から、最高齢で「アーリー・インフルエンス賞」を受賞しています(2022年5月6日MLCニュース参照)。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
安らかなる眠りをお祈りいたします。


商品情報
ハリー・ベラフォンテ
『ホエン・カラーズ・カム・トゥゲザー〜ザ・レガシー・オブ・ハリー・ベラフォンテ』
・Amazon Music/MP3(-)¥1,800
・CD(2017/4/26)¥2,640
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