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ストーン・ローゼズ、プライマル・スクリームで活躍し先月他界したたマニ、死因は長年の肺疾患からの自然死
これをステップにメジャー・レーベルとの契約を目指したバンドに対し、所属していたレーベル、シルヴァートーンは契約解除を認めず、最終的には法廷に持ち込みます。長期間身動きが取れなかったバンドでしたが、1991年になってようやくゲフィンと契約のが実現。しかしその後もレコーディングの知らせはニュースで伝えられるものの新作は一向にリリースされず、当時は「彼らのセカンド・アルバムは本当にリリースされるのか?」とさえ言われていました。
その2作目『セカンド・カミング』は1994年リリース。演奏も音楽性もまるで別のバンドのようにスケール・アップしており、ファンや批評家の間でも賛否両論を呼んだ話題作となります。しかし翌1995年、当時のシーンではマニとともに最高のリズム・セクションと称されたドラムスのレニが脱退、続いてバンドの軸を担ったギターのジョン・スクワイアもグループを去ることに。マニは、イアン・ブラウンとともにバンドを支えることを選びましたが、惜しくも1996年に解散へ。
ストーン・ローゼズの解散後、間も無くしてマニはプライマル・スクリームに加入。彼はプライマル・スクリームをして「自分が参加したい3つのバンドのうちの1つ」だと語っていたそうで(残る2つはジーザス&メリー・チェインとオアシス)、ファンの側から見ても彼ほど適任と呼べる人材はいなかったと思われます。2012年にはストーン・ローゼズ再結成のためにプライマル・スクリームを脱退することになりますが、彼は2011年大晦日公演の出演までの15年間、アルバムでいうと1997年の『Vanishing Point』から2008年の『Beautiful Future』まで、プライマル・スクリームのフルタイム・メンバーとして活動を続けました。
ストーン・ローゼズは2011年に再結成を発表。そのリユニオン・ツアーは2012〜2013年にかけて行なわれ、地元マンチェスターを手始めに全英ツアー、最終的にヨーロッパ、アジア、北米、オセアニアなどで50公演が行われました。2016年から2017年にかけて多数のフェス出演や海外ツアーを重ね、来日公演も実現。アルバムの制作こそなかったものの、2016年に「All for One」「Beautiful Thing」の2枚のシングルもリリースしています。
またそうしたグループとしての活動の合間にも、オーシャン・カラー・シーンのベーシスト脱退に伴い代打としてそのツアーに参加したり、時にはストーン・ローゼズ再結成の前にもイアン・ブラウンのステージに上がり、ローゼズ時代の曲を演奏し共演することもあったということです。
そして今回、死因が発表されました。地元紙『マンチェスター・イブニング・ニュース』によると、長年の肺疾患である肺気腫に起因する呼吸器系の問題から、眠っている間に安らかに亡くなったことが家族によって確認されたということです。病院に搬送されることはなく現場で死亡が確認され、警察の出動などはなかったとみられており、63歳という若さでの急逝からその死因を不安視する声もありましたが、グレーター・マンチェスター警察はマニの死は「不審死ではない」と発表したということです。
安らかなる眠りをお祈りいたします。
ザ・ストーン・ローゼズ
『ザ・ストーン・ローゼズ -20th アニヴァーサリー レガシー・エディション』
Amazon(2009/10/21)¥3,257
プライマル・スクリーム
『Vanishing Point』
・Amazon Music(JUL 07 1997)[Expanded Edition]
・Amazon(1997/7/15)輸入盤CD
プライマル・スクリーム
『Beautiful Future』
Amazon Music(JUL 14 2008)
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