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デトロイト・テクノの祖、フアン・アトキンス死去
「モーターシティ」の異名を取るデトロイトで生まれ、近隣のミシガン州ベルヴィルで育ったアトキンスは、同級生のケヴィン・ソーンダーソンやデリック・メイとともに、テクノ・ミュージックの代名詞的存在となりました。彼ら「ベルヴィル・スリー」は、シカゴで流行していたハウス・ミュージックと、クラフトワークやイエロー・マジック・オーケストラといったバンドのエレクトロニック・ミュージックを融合させた、デトロイト・テクノの創始者として知られています。
当初はDJとして活動を開始したアトキンスは、1980年に大学の同級生であるリック・デイヴィスと共にエレクトロニック・ミュージック・グループ、サイバトロンを結成します。このデュオは1985年に解散しますが、彼らが1983年に出した唯一のアルバム『Enter』は後世に大きな影響を与えることになりました。
アトキンスは次に自身のレコード・レーベル〈Metroplex〉を設立すると共に、モデル500という名義でレコーディング活動を開始します。1985年にアトキンスが同名義でリリースしたシングル「No UFO’s」は、デトロイト・テクノを欧州に広めるきっかけを作った作品として評価されており、このトラックに触発されて英国のコンピレーション・アルバム『Techno! The New Dance Sound of Detroit』が生まれたのでした。
2025年、「No UFO’s」を『史上最高のダンスソング200選』に選出した際、『ローリング・ストーン』誌は「フアン・アトキンスこそがテクノの創始者である、ピリオド──そのコンセプトを考案し、名前を付けたのは彼なのだ──そして、彼が先駆けとなった数多くの物事のひとつが、作品のタイプ毎に別々の名義を用いることだった」と言及しています。
「豊かで力強いモデル500の最初の12インチ・シングル、“No UFO’s” は、デトロイト・アプローチとでも言うべきサウンド・スタイルのテンプレートを確立した。『彼らは、限りなく人間の感覚に近い機能を備えたシンセサイザーやキーボードを作っているんだ』と、アトキンスは1997年に語っていた。『これこそがデトロイトの素晴らしさだと思う。僕らは人間らしいエモーションを自分たちの音楽で表現することができたんだ』」
一方2024年には、アトキンスは同誌にこうも語っていました。「『テクノ』という言葉は悪用されているんだよ。と言うのがね、現に今もそうなんだけど、ドイツのテクノとスペインのテクノは別物なんだ。ここデトロイトでは、誰もがその音楽を愛していたけど、それがテクノ・ミュージックって名前だなんて誰も知らなかった。特にデトロイトの黒人の若者たちはね。彼らが知っていたのは、これが新しいサウンドだってことだけだった。それが何であれ、周波数の構成がどうだとかに拘わらず、とにかくそれによってどこかしらにあるボタンが押されたような感覚を味わえるものだったんだよね。それがヨーロッパに伝わった時、ヨーロッパではそれに何らかの名前をつける必要があったんだ」
アトキンスはその後30年間にわたってモデル 500名義でレコーディング活動を続け、さらにインフィニティ(Infiniti:1998年のアルバム『Skynet』で際立ったミニマリスト・テクノ的アプローチによる作品用の名義)、オーディオ・テック、そして本名と、別名義を使い分けていました。
また、アトキンスはモーリッツ・フォン・オズワルド(名義上はBorderland)のようなエレクトロニック・ミュージック系のアーティスト仲間たちともアルバムをリリースした他、2010年代にはメイやソーンダーソンと共に、ベルヴィル・スリー名義でツアーを行ないました。
「今日は胸が張り裂けるようなニュースが入って来た。僕のブラザーであるフアン・アトキンスがこの世を去ってしまった」と、ソーンダーソンは自身のSNSに投稿しています。「フアンはテクノの創始者であり、僕を含め、多くの者たちに道を開いてくれた、真の先見の明を持つ人物だった。僕の最初のレコード『Triangle of Love』の制作中に、仕上げまでの持って行き方を教えてくれたことは、決して忘れない。それは当時の僕にとってはもの凄く大きな意味を持つことだったし、今でも変わらず大切な思い出なんだ」
ソーンダーソンはさらに次のように続けて、こう述べています。「僕らは音楽を根本から変えてしまう旅を共に歩んできた。彼の友情や指導、そして僕らのシーンに与えてくれた総てに対して、僕はこれからも永遠に感謝し続けるよ」
「優れたDJはリーダーだけど、平凡なDJはフォロワーにしかなれない」と、アトキンスは2024年に『ローリング・ストーン』誌に定義していました。「それが、僕がDJとしての仕事において、また音楽制作や音楽のプレゼンテーションにおいて心がけていることなんだ。世間の人々の関心が持続する時間は案外短いし、人々は常に『次に何が起こるか』に関心を持っているんだよね。昨日何が起きたかにはさして関心がなく、今何が起きているかにもそれほど関心はない。重要なのは『次に何が起こるか?』なんだよ」
彼の訃報を受けて、国内外の多くの人々から追悼の言葉が送られています。デトロイト市のメアリー・シェフィールド現市長は、同市への彼の貢献を称えるコメントを寄せました(『Pitchfork』より転載)。「シンセサイザーと大きな夢を抱いた10代の少年であった彼は、未来の音楽がどのようなものになるかを想像し、それを実現させたのです」
「彼は40年以上にわたり、レコーディングやツアーを続け、音楽を前へ前へと進め続けてきました。それと同様に重要なのは、彼が後続のデトロイトのアーティストたちのために道を切り拓いてくれたことです」と彼女は付け加えています。「デトロイト市を代表して、フアンのご家族、ご友人、共に仕事をした方々、そして彼を悼む世界中の音楽愛好家の皆様に、心よりお悔やみ申し上げます。デトロイトは彼の功績を称え続け、彼の音楽はこれからも私たちを前進させ続けてくれるでしょう」
安らかなる眠りをお祈りいたします。
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