名プロデューサーのキース・オルセンが死去
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1970年代から90年代にかけて、フリートウッド・マック、スコーピオンズ、グレイトフル・デッド、フォリナー、パット・ベネター、サミー・ヘイガー、オジー・オズボーン、ホワイトスネイクなどのアルバムを手掛けた名プロデューサーのキース・オルセンが、3月9日に亡くなりました。
オルセンの訃報は様々なメディアが伝えていますが、年齢や死因は公表されておらず、スコーピオンズはSNSで次の追悼コメントを発表しています。
「我々の親愛なる友人でプロデューサーのキース・オルセンが亡くなったことを先ほど知りました。キースは、我々のアルバム『Crazy World』を含め、多くの伝説的なアルバムをプロデュースしました。キースは素晴らしい人で、『Crazy World』の制作は感動的な旅のようであり、名曲となった “Wind of Change” や “Send Me an Angel” の全ての音にキースのタッチがありました。彼のご家族に心からお悔やみを申し上げます。安らかに、キース。あなたは音楽の中に生き続けます……スコーピオンズ」
オルセンの訃報は様々なメディアが伝えていますが、年齢や死因は公表されておらず、スコーピオンズはSNSで次の追悼コメントを発表しています。
「我々の親愛なる友人でプロデューサーのキース・オルセンが亡くなったことを先ほど知りました。キースは、我々のアルバム『Crazy World』を含め、多くの伝説的なアルバムをプロデュースしました。キースは素晴らしい人で、『Crazy World』の制作は感動的な旅のようであり、名曲となった “Wind of Change” や “Send Me an Angel” の全ての音にキースのタッチがありました。彼のご家族に心からお悔やみを申し上げます。安らかに、キース。あなたは音楽の中に生き続けます……スコーピオンズ」
スコーピオンズ、デヴィッド・カヴァデール、リック・スプリングフィールドらの追悼ツイートはこちら。
サウスダコタ州スーフォールズ生まれのオルセンは、ミネアポリスの音楽シーンで経験を積み、60年代後半にロサンゼルスへ移住してからは、サウンド・シティ・スタジオのエンジニアになり、スティーヴィー・ニックスとリンジー・バッキンガムと出会ったことでチャンスを掴みました。二人が1973年に発表したLP『Buckingham Nicks』をプロデュースし、二人をミック・フリートウッドに紹介したオルセンは、フリートウッド・マックのアルバムを手掛けることになり、フリートウッド・マック1975年の「Freetwood Mac (邦題:ファンタスティック・マック)は、全米1位を獲得しています。
その後、売れっ子プロデューサーになったオルセンは、70年代から90年代にかけてフリートウッド・マックのみならず、グレイトフル・デッドやリック・スプリングフィールド、REOスピードワゴン、ハート、ジョー・ウォルシュ、サンタナ、キム・カーンズ、ジェスロ・タル、オジー・オズボーン、スコーピオンズ、ホワイトスネイク、フォリナー、シーナ・イーストン、ジャーニーなど数多くのトップ・アーティストらのアルバムをプロデュースし、映画『フットルース』や『トップ・ガン』『フラッシュダンス』などのサントラも手掛けました。
これまでにオルセンがプロデュースした120を超えるアルバムのうち、39作以上の作品がゴールド、24作がプラチナ、14作がマルチ・プラチナ・ディスクに認定されており、オルセンはグラミー賞を6度受賞しています。
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