【追悼企画】『志村けんが愛したブラック・ミュージック』 連載第9回・ダイアナ・ロス

「【追悼企画】『志村けんが愛したブラック・ミュージック』レコード評原稿・再掲載」もついに第9回目となってしまいました。ラス前となる今回の作品は、ダイアナ・ロス1980年の『ダイアナ』です。志村さんは番外編のインタヴューで彼女のステージをラスヴェガスで観て「感激しまくった」とまで語っておいででした。前回のブラザーズ・ジョンソン・アルバム評に続き、今回のダイアナ・ロス作品評も、ソウル愛、そしてダイアナ愛がほとばしっております。

 

本連載は、70〜80年代にかつて弊社が刊行した音楽&カルチャー雑誌『jam』に掲載された、志村けんさんの手になるレコード評を再掲載するもの。この連載をずっとお読みになってきた方も、今一度最初から読み直してみてはいかがでしょうか。

ダイアナ・ロスは1944年デトロイト生まれ。1960年に同地のモータウン(当時)からまずはザ・プリメッツとして、そしてグループの編成が変わりザ・スプリームス(ザ・シュープリームス)と名前も改め、トリオでのリード・シンガーとしてデビュー。「愛はどこへ行ったの」「ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ」「恋はあせらず」「キープ・ミー・ハンギン・オン」「恋ははかなく」などなどヒットを連発、同レーベルの黄金時代をリードしました。しかし1970年に脱退してソロへ。以降も「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」「エンドレス・ラブ」「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」など、1990年代までコンスタントにヒットを出しています。

今回取り上げるアルバム『ダイアナ』は1980年5月にモータウンからリリースされた、ソロとして11作目のアルバム(デュエット作含む)で、当時彼女は36歳。ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズがプロデュース〜シックの全面バックアップで、全米最高2位を記録。ここからカットされたシングル「アップサイド・ダウン」は全米1位を獲得したという大ヒット作です。

【音楽雑誌『jam』】
『jam』は、1978〜1981年に弊社が刊行した音楽を中心としたカルチャー雑誌。『ミュージック・ライフ』『ロック・ショウ』と編集長を歴任した水上はる子氏が立ち上げ、ティーンを主な対象読者としたそれら2誌に対し、もう一段階上の年齢層、言わば “その2誌を卒業した読者” に向けたものでした。

【『jam』1980年9月号】
今回の原稿が掲載されたのは『jam』1980年9月号(編集長は高橋まゆみ氏)、表紙はジャクソン・ブラウン。ビーチ・ボーイズに始まり、CSN&Yやイーグルスへと続く70年代の西海岸シーンをまとめた特集。インタヴューには表紙のジャクソン・ブラウンの他、ポール・バレア(リトル・フィート)、ニコレッタ・ラーソン、ウォーレン・ジヴォンなど。そしてこの号は、特別編での志村さんのインタヴューが掲載されたのと同じ号になります。表紙/目次で時代背景も確認しつつ、志村さんの原稿をお読みになってください(タップ/クリックで拡大できます)。

『jam』1980年9月号
同号目次

◾️同号アルバム評ページ、その他の掲載作品(※太字は志村けんさん執筆分)
コモドアーズ『ヒーローズ』、ジャクソン・ブラウン『ホールド・アウト』、映画『ザ・ブルース・ブラザーズ』サウンドトラック、シック『リアル・ピープル』、B-52's『残留濃度−反応52』、クリスティーナ『クリスティーナ』、マンハッタンズ『マンハッタン・ミッドナイト』、ボブ・ディラン『セイヴド』、ダイアナ・ロス『ダイアナ』、ブルース・ロバーツ『クール・フールって誰?』、ジョーン・アーマトレイディング『ミー・マイセルフ』、ザ・ビート『恋のスカ・ダンス』、ジューシィ・フルーツ『ドリンク!』、フォトグロ『愛のシルエット』、ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズ『目醒め』、ブライアン・イーノ『鏡面界』、クイーン『ザ・ゲーム』、ピーター・ガブリエル『サード』、フィッシャーZ『デス・フォー・リヴィング』、アレキサンダー・ラグタイム・バンド『バッド・ニュース』、ジ・オンリー・ワンズ『ベイビーズ・ゴット・ア・ガン』、マガジン『コレクト・ユース・オブ・ソープ』、リップス『ファンキータウン』、ヴェイパーズ『ニュー・クリアー・デイズ』、デイヴ・メイスン『明日へのチャンピオン』、ヒューマン・リーグ『幻の果てに』

◾️執筆陣
近田春夫、かまやつひろし、志村けん、ピーター・バラカン、福田一郎、湯川れい子、江口寿史、仲邨一、木崎義二、伊藤勝男

【プロフィール】志村けん(しむらけん)

東京都東村山市出身のコメディアン。1950年2月20日生まれ、A型。荒井 注脱退に伴いザ・ドリフターズに加入、間も無く『8時だヨ!全員集合』で「東村山音頭」「ヒゲダンス」などでお茶の間の人気は絶頂に。その後も「バカ殿様」「変なおじさん」といったキャラクターを生み出した。テレビでは『天才!志村どうぶつ園』にレギュラー出演していたが、2020年3月29日、新型コロナウイルスによる肺炎で他界された。享年70。

音楽、特にブラック・ミュージック、ディスコ・ミュージック好きとして当時から広く知られていたことから、弊社『jam』でアルバム評を執筆することに。「ヒゲダンス」のトラックはテディ・ペンダーグラス、「ドリフの早口言葉」はシュガーヒル・ギャング+ウィルソン・ピケットで、いずれも自身によるセレクトであるというエピソードが知られている。また中学時代は熱烈なビートルズ・ファンで、1966年の武道館公演を見に行った逸話を披露したりもしていた。

【追悼企画】志村けんがライターとして執筆した、80年代ブラック・ミュージックのアルバム・レヴュー再掲載


【第9回・ダイアナ・ロス『ダイアナ』】

Diana Ross ‎/ Diana

US:Diana Ross ‎/ Diana
(Motown/M8-936M1)1980年5月発売
日本:ダイアナ・ロス『ダイアナ』
(モータウン/ビクター/VIP-6720)1980年発売
 
Side A
1. Upside Down/アップサイド・ダウン(4:05)
2. Tenderness/テンダネス(3:50)
3. Friend To Friend/フレンド・トゥ・フレンド(3:19)
4. I'm Coming Out/アイム・カミング・アウト(5:23)
 
Side B
5. Have Fun (Again) /ハヴ・ファン(5:57)
6. My Old Piano/マイ・オールド・ピアノ(3:57)
7. Now That You're Gone/通り過ぎた恋(3:58)
8. Give Up/ギヴ・アップ(3:45)


彼女のヴォイスに惚れてしまった


 

ダイアナ・ロス『ダイアナ』モータウン(VIP-6720)

 脂がのってるというのか、円熟味を増してきたとでもいうのか、このLPは今の彼女のそんな部分を聴かせてくれる。ウン、ソリャそうだ。常にソウルの先頭にいるんだから。そのうえ僕を驚かせた事は、このLP全8曲が実にすばらしいのだ。僕らシロウトにとって普通LPの中に一曲でも気に入った曲があればみっけものなのだから……。ああ、ベガスで見た彼女のステージがジワジワと想い出されてくる。気どらずにさりげなく歌うくせにダイナミックなものを僕の胸に響かせる。どこにそんなものが潜んでいるのか不思議でしかたがない。このLP、A面の3曲目(スロー)を除いてすべて軽快なアップである為、ある種の清々しさを感じる。それは彼女のヴォイスが実にかわいらしいからだ。僕はこのかわいらしいヴォイスに惚れてしまった。涙が出るくらい嬉しいのです。

(志村けん)
 

商品情報
ダイアナ・ロス
『ダイアナ』

CD(2018/5/16)¥1,100

Producer, Written-By, Arranged By, Conductor:Bernard Edwards & Nile Rodgers
Concertmaster:Gene Orloff
Engineer:Bill Scheniman, James Farber, Neil Dorfsman, Ralph Osborn
Engineer[Assistant]:Abdoulaye Soumare, Jeff Hendrickson, Lucy Laurie, Peter Robbins
Mastered By:Dennis King
 
Design:Ria Lewerke-Shapiro
Photography:[Cover]Francesco Scavullo, [Inside]Douglas Kirkland
 
Guitar:Nile Rodgers
Bass:Bernard Edwards
Drums:Tony Thompson
Keyboards:Andy Schwartz, Raymond Jones
Backing Vocals:Alfa Anderson, Fonzi Thornton, Luci Martin, Michele Cobbs
Saxophone:Eddie Daniels
Strings[The Chic Strings]:Cheryl Hong, Karen Milne, Valerie Heywood
Trombone:Meco Monardo
Trumpet:Bob Milliken

【プロフィール】

ダイアナ・ロス(Diana Ross)

 

12曲ものナンバーワン・ヒットを生み出したモータウンの看板女性グループ、シュープリームスのリード・ヴォーカルとして、ソロ・アーティストとして、20世紀のポップ・ミュージック・シーンにおいて最も成功した一人。

本名ダイアナ・アール。1944年デトロイトの出身。59年に友人のマリー・ウィルソン、フロレンス・バラード、バーバラ・マーティンとプリメッツというカルテットを結成し、61年にモータウン・レコードと契約。バーバラ・マーティンが脱退し、シュープリームスというトリオとして活動を始めた。このグループ名は、67年にフロレンス・バラードが脱退しシンディ・バードソングが加入した時に、ダイアナ・ロス&シュープリームスと改名するまで続いた。

ダイアナは、69年のシングル「またいつの日か(Someday We’ll Be Together)」を最後にグループを脱退し、ソロ活動をスタート。アルバムから70年の「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」、73年の 「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」、80年の「アップサイド・ダウン」と全米ナンバーワン・ヒットを連発。その一方で俳優業にも積極的で、75年の 映画『マホガニー』に主演、自ら歌ったテーマ曲「マホガニーのテーマ(Do You Know Where You’re Going To)」が全米ナンバーワン・ヒットとなる快挙を実現した。

またオズの魔法使いの新しいリメイクである78年のミュージカル映画『ウィズ』では、マイケル・ジャクソンと共演した。 また73年にはマーヴィン・ゲイとのデュエット・アルバム『ダイアナ&マーヴィン』を発表。さらに81年には、ブルック・シールズ主演映画『エンドレス・ ラヴ』の同名テーマ曲をライオネル・リッチーとのデュエットで披露。これも全米ナンバーワンを記録するなど、デュエットでも大活躍した。

82年にはモータウンを離れRCAレーベルへ移籍。同年のマイケル・ジャクソンのプロデュースによるアルバム『Swept Away』がヒットしたが、その後大きなヒットを生むことができず、89年にモータウンヘ復帰した。1991年には、ユニバーサルのアニメ映画『リトル・フットの大冒険』のテーマ曲として「イフ・ウイ・ホールド・オン・トゥゲザー」を発表。ここ日本では、テレビのトレンディ・ドラマで主題歌に使用されて大ヒットしたのも記憶に新しい。

オーティス・レディングでソウルにはまり、それを踏まえダイアナ・ロスというと、60年代のスプリームス時代のダイアナ・ロスをお好きそうなもんですが。リアルタイムの彼女に相当惚れ込んでしまっておられるご様子です。ナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズという当時最新のダンス・サウンドというのも大きなポイントだったのでしょう。80年代が進むにつれ、この二人はその後も大ヒットを次から次へとを手がけていくことになります。

ということで、今回もお読みくださりどうもありがとうございました。そして次回はいよいよ最終回。第10回は9月25日(金)正午に公開いたします。どうぞ次回もお楽しみに!

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