ビートルズに出逢えなかったら、今はないな ── 岡田 徹

ムック「50年目に聴き直す『アビイ・ロード』深掘り鑑賞ガイド」発売記念トークショー・レポート

司会:藤本国彦(ビートルズ研究家・本書監修)
ゲスト:岡田 徹(ムーンライダーズ)



2019年11月14日 於:HMV & BOOKS SHIBUYA

「50年目に聴き直す『アビイ・ロード』深掘り鑑賞ガイド」の発売を記念したトークショー&サイン会が、岡田 徹氏(ムーンライダーズ)をゲストに迎え、監修の藤本国彦さんの司会進行により、2019年11月14日HMV&BOOKS SHIBUYAにて開催された。
写真左より 藤本国彦氏、岡田 徹氏
岡田 徹(以下岡田):こんばんは、岡田です。
藤本国彦(以下藤本):藤本です、ではさっそく行きますか。岡田さんとこういう場面でご一緒するのは初めてなので、ありがたいです。なんといっても岡田さんはビートルズの日本公演もご覧になってるという歴史的証人の一人でもあるわけで。
岡田:そうですね。これあまり言ってないんです、みんな悔しがって無視するので(笑)。公演は1日目に行きました。ポールのマイクが固定されてなかったのはいつ?
藤本:1日目です。
岡田:ポールのマイクはちゃんとしてた。
藤本:じゃ2日目ですね、昼ですか? 夜ですか?
岡田:子供だったから昼ですね。
藤本:クラスではビートルズ好きは結構いました?
岡田:いました。子供たちが先にビートルズに気がついた。そのあと騒がれるようになって、雑誌とかが飛びついて。あの頃はAMラジオのヒットパレードですよね。そこで新しもの好きのDJが紹介して子供たちに火がついた。ただ、しばらくの間、世間の人たちはビートルズのことは知らなかったと思いますよ。
藤本:元『ミュージック・ライフ』編集長の星加ルミ子さんも、女子高生から火がついた──って仰ってました。その頃岡田さんは高校二年生。
岡田:映画の『ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!(ハード・デイズ・ナイトの公開当時の題名)』を見に行ったのが高校一年かな。あの映画では「テル・ミー・ホワイ」の時に逆光でジョンとポールが浮かび上がるんですけど、それを見て僕はサラリーマンになるのをやめたんです、なぜかわからないけど(笑)。
藤本:それってすごく大きい分岐点ですよね。今はフリーっていう立場がありますけど、当時はない。
岡田:ないですね。
藤本:最初にビートルズを聴いたのはいつですか?
岡田:中学生の頃、飯能の方にハイキングに行った時。当時はAMラジオを持ち歩いて聞くっていうのが常で、そこで流れた「恋する二人(I Should Have Known Better)」を聞いて、いいと思った。
藤本:レコードは最初何を買ったんですか?
岡田:日本盤の『ミート・ザ・ビートルズ』。恥ずかしがり屋だったんで、レコード屋に行けなくて、出たものから母親に買ってきてもらった(笑)。多分それが日本で最初に出たアルバムかな。
藤本:じゃ、その後も出たらすぐに買ってらした。
岡田:そうですね、ビートルズがバリバリの現役だった頃の数少ないリアル・ビートル・マニアなんです。だから『ミュージック・ライフ』とか深夜ラジオとかからの数少ない情報がどんどん溜まって、濃くなっていく。すると、どうなるかというと、ジョンやポールやジョージが一緒に生活の中にいる──そういうファンになっちゃう。
藤本:もっぱらLPですか? 買ったのは。
岡田:シングルは「ヘルプ」とか買ってました。でもほとんどLP。LPほど値段の変わらないものってないんですよ、当時から2,000円とかそれ以上してましたから。でもそれを買うにはお小遣いを貯めて。僕が住んでいたのが東京の落合だったんですけど、近所に目白堂っていう有名なレコード店があって、そこの試聴室で聴いて、よかったら買って──というシステムだった。
藤本:当時はそうやって結構試聴しましたよね。家に帰って聞いたら気に入らないからって交換してくれました?
岡田:それは気が弱くてできなかったかな(笑)。
藤本:失礼しました(笑)。そうやってのめり込んだビートルズが日本に来る! と聞いて。コンサートに行くのは、学校は大丈夫だったんですか? 退学とか停学になるとか。
岡田:それは大丈夫でしたね。
藤本:他にも同学年で行かれた方はいます?
岡田:最近 facebook でやり取りして分かったんだけど、コモエスタ八重樫さんが同じ日に行ってるんですよ。彼はお洒落だったと思うんだけど、コーデュロイのジャケットを着て行ったって facebookに 書いてあった。僕はビーチ・ボーイズみたいなストライプのシャツを着ていて。多分、その日の武道館でビーチ・ボーイズ・ストライプを着ていたのは僕一人なんですよ(笑)。コーデュロイのジャケットを着てたのも八重樫さんだけ。だから、観客の中でそれぞれたった一人しかいないファッションの二人だったんだね、縁があったんだねって言って喜んでました。
藤本:席はどの辺りでした?
岡田:記憶ではかなり上の方だったかな、アリーナは開放されてなかったから。で、時々ビートルズが袖からステージを覗くんですよ。
藤本:前座がやってる最中に?
岡田:その時はもうこれ以上ワクワクしたことがないってくらいワクワクしましたね。あっポールがいる! ジョンがいる! とか。それ以降もあんなワクワクは経験したことがないです。音についてはビートルズの頃は PA というシステムがなくて(ピンク・フロイドが箱根アフロディーテのライヴでイギリスの wem のシステムを使ったのが日本で最初)、信じられないけどヴォーカルとかは天井の埋め込みスピーカーですよ。楽器は彼らが持ってきた VOX のアンプから流れる生音。だから歓声で演奏が聞こえないっていうのは当たり前で、アメリカでも日本でも女の子がキャーっていう声で絶対聞こえないんですよ、PA がないんだから。PA ができたのは SHURE てメーカーの単一指向性のマイクが発明されて音が拾えるようになってから、それで PA(パブリック・アドレス)が発明されて。
藤本:岡田さんもビートルズの音は歓声にかなり掻き消されてた印象ですか?
岡田:印象はそうですね。後ろの席の女の子がジョージ・ファンで、名前を呼びながらハンカチを振り回し、頭に何度か当たるんです(笑)。だからそれを避けながら見てた。
藤本:それじゃ気が散りますね(笑)。
岡田:ビートルズで何が変わったかというと、音楽そのものも良かったんだけど、ビートルズの〈好きなようにやればいい〉ってメッセージが子供たちに強烈に行き渡ったんですよ。それまでは僕らは大人から言い含められてる世代だったのが、〈好きなようにやればいい〉って言われた。だって自分で曲を作って演奏して歌って、映画に出て演技をして──というのを見て、それまでいい子ちゃんだった子供たちのハートに火がついちゃった。いい子が初めて〈アンファン・テリブル(enfant terrible)=恐るべき子供たち〉に変身した。そこからガラッと変わっていったんです。
藤本:子供と大人しかなかったのが、その間のジェネレーションが目覚めた。そういう衝撃的な体験があって、今もずっと現役でバンド活動を、ポール・マッカートニーと同じように、こうやってムーンライダーズを続けてらっしゃる、ということでもあるわけですね。
岡田:だから東京に住んでいると、〈決意の日、決心の日〉っていうのはないんですよ。成り行きでその都度音楽をしていて、僕なんか今日まで来ちゃった。地方にいると「私はこうなるんだ!」っていうドラマチックな決意の日があるんですけど。
藤本:映画の『イエスタデイ』で、もしもビートルズのいない世界だったら──っていうのがありますけど、岡田さんはビートルズがいなかったらここにはいない。
岡田:そうでしょう、きっと。
藤本:それで、今日は『アビイ・ロード』深掘り鑑賞──のイベントなんですけど、岡田さんはビートルズのアルバムの曲で、特に思い入れが強く聴いたのは?
岡田:ビートルズの曲で何が好き?って訊かれれば、「イン・マイ・ライフ」とか「恋を抱きしめよう(We Can Work It Out)」とか──特定の曲ってなかなかないんですよ。よく口ずさむのは「クライ・ベイビー・クライ」。あれは歩きながら歌うにはすごくよくて、なんか口に出ちゃう。
藤本:鍵盤楽器、ハーモニウムとかが入ってるし。『アビイ・ロード』に関してはいかがですか? 思い出とか。
岡田:解散が近い末期、リアル・ビートル・マニアの終わりに近い頃。で、今回の50周年盤のジャイルズ・マーティンのミックスについては、いろんな人のコメントを見るとみんな絶賛なんですよね。悪口を言えない雰囲気──というのも結構見かけて。僕も今回の盤を聴いて、一つ一つの音とかよく分かるんですよ。それはプロデューサーのジョージ・マーティンやエンジニアのジェフ・エメリックがトータル・コンプ(コンプレッサー)をかけて高密度の音像を作るというのを〈モダン・レコーディングの祖〉として発明してきたと思うんですけど、ジャイルズの音はその進化系じゃなくて、今のテクノロジーでマルチトラックのテープから吸い取って音の粒立ちをはっきりさせよう──というのがすごく感じられた。それは何故なんだろう? と考えたんです。高密度のトータル・コンプで作られた音像の製造進化の道を歩まずに、何故こうなったのか──と。気にかかってたので、PSY・Sの松浦(雅也)君に意見を求めたんですよ。「この音はマルチから一つずつ吸い出した音にポリフォニック・コンプをかけたんじゃないか?」と。たしかにそうすると輪郭とか粒だちがはっきりするんです。ただそうすることで、従来のビートルズが持っていた高密度の音と音をつなげる空気感みたいなものがなくなってるような気がする。
藤本:それぞれはいいけど全体をみると──という話ですね。
岡田:自分の脳内で鳴ってるビートルズの音像とは違う感じがして、それは松浦君も言ってた。ビートルズが作り出した高密度の音像とかけ離れていくのかな……と思った時に、これをジョージ・マーティンという偉大なプロデューサーを父に持った息子ジャイルズの物語としてみると、また見えてきて納得できるものがある。反発っていうのじゃなくて違う方向へ行ってる。
藤本:そうですよね。50周年記念盤には、オーケストラのトラックだけ取り出して入れたものもある……とか、父親のことは讃えてるというのも見えますね。
岡田:それでこれを機会に、僕はどういうビートルズを聴いてきたんだろう──と、LPはもう聴けないので持っているCDを聴き直してみたんです。そうしたら自分の脳内で鳴っているビートルズの音というのは、今の音に上書きされてる、塗り替えられてるというのがよく分かったんです。初期の頃のステレオ盤の音像はすごく変なんです、左側だけドラムが鳴ってて。
藤本:右にヴォーカルだけ、とか。
岡田:ジョージの「恋をするなら(If I Needed Someone)」とか右側からはしばらく何も聞こえないで、途中から急にジョージの歌やコーラスが聞こえてくる。最初の頃の音像はそうとう変なんですよ。子供の頃は右と左の音が違うから、「これがステレオなんだ」って感心してたんですけど(笑)。
藤本:『ラバー・ソウル』なんか完璧に左右に音が分かれてた。
岡田:だけど脳内で鳴ってるビートルズはそういう音像じゃないんです。だから〈現物の “モノ” としては脳内で鳴ってるビートルズの音はない〉ということが発見できたんです。30年ぶりくらいに聴いたCDもあるし、2009年に出た MONO BOX も聴いたんですが、やっぱり脳内で鳴ってるビートルズはアップデートされて、今の音圧や今の感じで鳴ってるんです。これは新しい発見でした。
藤本:記憶と実際は変わりますよね。
岡田:再構築されて。だから、すべてが許せる、すべてを受け入れられるようになりました。
ここで、藤本氏が先日ロンドン〜ハンブルグに行った話題になり、ハンブルグで買ったロシア盤の『アビイ・ロード』のジャケットを見せながら、表紙写真のトリミングの違いや裏側はオリジナル盤を無視したデザインになっていることを解説。さらにポール本人の『ポール・イズ・ライヴ』をはじめとした各種『アビイ・ロード』のパロディ盤の実物が紹介された。
 
藤本:岡田さんがビートルズの影響を受けた生き方の部分は先ほど窺ったのですが、特にビートルズの影響を受けた音楽的な部分というのはどういったことですか?
岡田:ジョージ・マーティンのストリングス・アレンジとか、いろんなアレンジ。彼って、ソープ・オペラの音楽とか結構いろんなものをやってますよね。そこにぶち込んである音楽的素養が、ビートルズたちにも影響を与えていると思うんです。
藤本:初期は先生ですからね。
岡田:「エリナー・リグビー」のストリングスとかも、楽器にマイクをかなり近づけて録音したんですよね。僕はボウイングのザラザラする音を初めて聴いてビックリしました。ムーンライダーズの曲でよく人々に言われるのは、「九月の海はクラゲの海」で、中期ビートルズっぽいとかよく言われます。
♪ムーンライダーズ「九月の海はクラゲの海」試聴
 
岡田:よくバグルス(「ラジオスターの悲劇」)っぽいとかとも言われるんですけど──これは言ったことがないんだけど──実は平ウタのAメロの部分はポールの「夢の人(I’ve Just Seen A Face)」みたいなのを作りたいなと思って、オリジナルのビートルズよりテンポを落としたんです。そうしたら原田知世さんがその「夢の人」をゆっくりしたテンポでやっていて、これが最初にイメージした、音はあまり動かないけどヴォーカルで伝えにいこう──みたいなサウンドなんです。
藤本:全然気づきませんでした。メロディ的には「夢の人」で、サウンド的にはどうですか?
岡田:頭にチェロを持ってきてるのはジョージ・マーティンのあのザラザラした感じ。
藤本:影響はありますね。
岡田:この頃のビートルズはスタジオで音遊びに夢中になってた時代、ライダーズも同じように新しく手に入れたテクノロジーで遊びまくってたんです。バンドの録音方法も普通のバンドのイディオムとか全然使ってなくて、変なパターンが多いものの組み合わせで、パッと聴くとそうは感じないんですけど、分解して聴くと実は凄く変なアレンジになってる。そういったいろんな仕掛けがあってアレンジ上のイディオムがない、ビートルズもそうであったように音に夢中になっているとそういう所に行くんですね。
藤本:簡単に聞こえるけど難しい。
岡田:別にそれを意図したわけじゃないけど、結果そうなっちゃってる。
藤本:遊び心の方が大きい。
岡田:そうですね。
藤本:じゃ、最後に岡田さんの中で、この本「50年目に聴き直す『アビイ・ロード』深掘り鑑賞のガイド」で興味深い記事は。
岡田:「それぞれのアビイ・ロード・スタジオ体験」とか
藤本:アビイ・ロード・スタジオの中にはなかなか入れなくて、実際音響設計に携わった日本人の方とか、体験された方のお話を窺って。
岡田:それ、凄いですよね。日本人が関係してたんですね、全く知らなかった。
藤本:私も知らなかった。あと、これは凄く難しい質問になるかもしれないんですけど、岡田さんにとってビートルズは一言で言うと何ですか?
岡田:難しいなぁ。出逢えなかったら今はないな──って感じです。
藤本:敢えて訊きますけど、好きな曲を絞るとしたら。
岡田:さっき言ったけど、「イン・マイ・ライフ」「恋を抱きしめよう」……これ一曲っていうのがなかなかなくて、全て好きっていえば好きだし。
藤本:難しいですよね、私もすぐに答えられなくて逃げちゃいますけど。アルバムはよくお聴きになるのはどの辺ですか?
岡田:聴き直すっていうのがないからね、今回本当にいいチャンスを与えてもらって。
藤本:来年は50周年で『レット・イット・ビー』が控えています。
岡田:個人的に曲のファンとしては、ジョージ・ハリスンが「サムシング」とかを作り出す前の状態、『ヘルプ』に入ってる「アイ・ニード・ユー」とか「ユー・ライク・ミー・トゥー・マッチ」の頃ってジョージの曲はサビが結構ダラダラしてるんですよ、終わりそうで終わらないっていうか、その感じが好きです。
藤本:いいですよね、ジョンとポールにはない、どこに行くか分からない感じ。
岡田:そうそう。だから到達する直前ってやっぱりいい味出す。
藤本:『アビイ・ロード』の曲はジョージが一番いいですからね。
岡田:ジョンも言ってますもんね、「ベスト・トラックは “サムシング” だ」って。
藤本:リンゴも言ってますね。ジョンの曲は「ビコーズ」が評判いいみたいで。皆さんもぜひこの機会に、この本を片手に『アビイ・ロード』をお聴きいただければ。
岡田:あ、あと一言。ビートルズはスリー・コードの曲をやってもやっぱりビートルズで、独特の陰影があるんですよ。「ビコーズ」なんかもトップで動いている音とか、なんでああいうことができるのかと思って。要するにリアル・ビートルズの頃の彼らは全てのジャンルを舐め尽くしていて、現代音楽からクラシック、ロックンロール……と全て舐め尽くして僕らに提示してくれた。これはデカいですよ、全ての音楽のジャンルを経験できたんですから。
藤本:そこから広がって。
岡田:そうですね。僕も大学で「作詞作曲クラブ」っていうのに入ったんです。そこの人たちは皆コピーができない、できないから自分の好きなようにやろうという人たちだったんです。だから無茶苦茶流行に弱くて、ボサ・ノヴァが流行るとそれに染まってセルジオ・メンデス一色に。あの頃は何かが流行ると半年はそれに染まるんです、ニューオリンズが流行るとそこら中ドクター・ジョンだらけ(笑)。でも、そこでもいろんなジャンルを経験できたことが後々役に立ってますね。
藤本:ビートルズの影響が表に出なくてもそうやって体に染み付いてるから。ということでちょうどいい時間になってきましたので、トークはこの辺りにして。岡田 徹さんでした(場内大拍手)。
 
この後サイン会が行われた。

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